⑬ やっぱり彼が忘れられない
紅茶の入ったティーカップを差し出す彼。
それから彼は自分のカップに、温度を確認するように手を添えた。しかし、すぐにティッシュに手を伸ばして鼻をかむ。
「あの男が、前から大学病院に通っていたことは知っている?」
「知ってます。カウンセリングと聞きました」
「首を切って搬送されたのも、大学病院だそうだ」
「じゃあ今も……」
「――結論から言うと友人も『会ってないから分からない』とのことだった。何しろ連絡はしたみたいだ。本人に会えないかと。でも、病院での面会は一切認められないと。彼と接触できるのは医者と彼のご両親だけだ」
「つまり、彼は大学病院に入院している」
「分からない」
「搬送されたのがその病院で。病院での面会は認められないということは、存在自体は認めてるってこと」
「……おれもそう思うんだけどね。推測でしかないじゃない」
「元からカウンセリングに通っていたのもあるし、やっぱり大学病院なんだわ」
「断定はできない」
「他に思い当たらない」
カップの横に置いた彼女の手を、そっとメリルの手が包んだ。
「おれの話は終わりだから、君の話を聞かせて」
「待って」
「でも――」
「受け止めるあたしの気持ちくらい待って! 考えてるの! 彼は大学病院にいるって……」
「場所が分かったとして、病院では会えないんだよ。そう考えるだけで……会えないって君の頭に刻み付けているのと同然なんだよ、嬉しい?」
「じゃあ何なの!」
苛立って叩きつけようと持ち上げた彼女の手は――ぎゅっと強く掴まれて動かせなくなった。
彼の手が下敷きになって、ゆっくりテーブルについた。
「考えすぎないようにしたらってことだよ。一切面会は禁止――それくらい彼の精神状態は不安定ってことでしょう。それくらい予想付かないの」
「彼の精神状態が不安定なのは――」
「決して嫉妬なんかじゃなくてね」
「じゃあ何なの! あたしの気持ちなんか知らないで! あなたのペースを押し付けて!」
今度こそ彼の手を払いのける。
弾みでティーカップを倒していた。熱い紅茶がどば、とテーブルに広がる。
「っ、大丈夫か――」
「もう――!」
幸い手前ではなく奥の方へ倒れて行ったので、彼らの方にはかかってこなかった。
彼女がカップを手で掴んで立て直したら、残っていた紅茶が勢い余って自分の手にかかった。
「ちょっと、ああ……熱いだろう……」
彼女の手を掴むメリル。彼のもう片方の手は布巾を持ち、テーブルを拭いている。
「いや……はなし、てっ」
「水で流しなよ」
――言われなくてもやるわ。
彼女はぷいとキッチンに直行した。水道で手を洗う。
彼も濡れた布巾を持って隣に佇んだ。
「大丈夫?」
「……」
彼女は水を流す音で聞こえないふりをした。