⑪ 狂った男と天使
もしかしたら本人だって無意識なのかもしれない。
そこが彼の「狂い」。
そこが、もしかしたら無自覚のうちに彼を狂わせている。完璧に見えて「抜けている」部分。まだ開栓していないワインの瓶を渡されたものの、どこにもコルク抜きがない、もしくはコルク栓が既にぼろぼろになっている状態。
――ロン……あなたの場合はそもそも瓶を割ってしまってるのね。
また違う彼のことを考えそうになった。
ふるふると首を振る。髪の毛をお下げにすることも忘れていたから、髪の毛が暴れまわった。
慣れないシャンプーのせいで髪の毛は無駄にふわふわ膨らんでしまっている。さすがにいつも使っているシャンプーをボトルごと買ってここに置くわけにもいかなかった。幸い、アレルギー体質の彼も植物由来の優しいシャンプーを使っているから、ごわごわにはなっていない。
日中、髪を下ろしっぱなしで過ごそうと思ったのはほとんど初めてと言っていい。
冷めた紅茶を淹れ直そうと思って、ケトルのスイッチを入れた。
確かにここに来た当初は「嫌い」、「好きになれない」とばかり感じていた。
どうしてそれは「好きになれるかもしれない」になれたのだろう。
心から大事にされていることを受け入れられるからかもしれない。余裕そうに見えて、本当は余裕なんかなくて情けない時もあると分かったからかもしれない。日常に寄り添うことで、自分がそこで気持ちよく過ごせると感じたから。
気持ちいい。
精神的にも、肉体的にも、ここにいることは快なのであった。
いつの間にか満たされているのであった。
幼馴染の彼は嫉妬心は燃やすだろうけれど僻みはしない。可愛く微笑ましいレベルなのだ。
年上の兄のような男に甘えている。彼女にはそういう自覚もあった。少し、自身が拗ねたりいじいじとしたりしてしまうことがある。それでもメリルは広い心で包んでくれる。彼女がひねくれきる前になだめてくれる。諭してくれるし、ひねくれた彼女が欲しいものを察して充足させてくれる。
よく考えたらすごい力だと思う。無駄に甘やかされたって彼女はひねくれるし反発してしまうだけだ。メリルは、反発させないぎりぎりのところで突き放す力を持っている。適度にほったらかしで、諦めがいい。
――きっと相性はいいんだわ。それこそ兄妹のようなもの。
兄妹ならすんなり腑に落ちる。
いや、肉体関係はあるからただの兄妹とは言えない。血も繋がっていない。
家族のようなもの。もしかしたらそう言ってもいい。
完全に他人の。
――すると、夫婦になる?
――ううん、やっぱりそれは違う。