⑩ 有償の愛と無償の愛
彼が出て行って1人になった。
それからまるで自分の体が誰かに乗っ取られたかのように意識が遠のいた状態で時間を過ごした。ご飯を食べるのも、片付けをするのも、着替えるのも全く自分がしている心地がしない。
メリルは優しくて、確かに発言はきっぱりしていくけれどもそれを絶対だと思い込んでいるわけではない。自分の発言さえ客観的に捉える力を持っている。彼女に解釈だとか意見の余地を十分すぎるほど与えてくれてしまう。
「おれは君を愛している。君はどうなの。いい加減好き?」と、彼は彼女に優しく問いかけて出て行ってしまった。
――どうして愛の告白なのに解釈の余地のある言い方をしてしまうの。含みがありすぎ。
「どうなの」、「どう思う」、なんて、議論の時の言葉だと思っていた。
見返りを求めない愛ばかりをもらってきたんだなと、離れてみて思う。だけども、自分自身が自ら愛でもってお返しもしくは求愛ばかりしていたのだと。それでどうも自分たちは両想いだったのだと。
間違いなくそれで幸せだったのに。
飲酒からのあの事件だけで「もう会わないでほしい」と勝手に引き裂かれる意味はないように思う。
あの幸せが一般的に間違っているのだとしたら。望まれない幸せだったのだとしたら。
「――!」
彼女は我に返った。
いつの間にか、メリルの気持ちを忘れてしまっていた。また、幼馴染の彼のことでいっぱいになりかけている。
今は、目の前で「愛して」くれる彼のことを考えよう。
あんなに優しくて、比較的気も確かで、彼女のことを気にかけてくれるなんて。本当に兄みたいだ。肉体関係を欲されることはあるけれど。
きっと好きになれるんだろうなと思う。生理的には受け付けているなと感じる。
そして、きっと彼を愛するようになったら幸せになれるんだろうと思う。
無難、というやつだ。
欲しいものは手に入る気がする――あの穏やかな海に包まれて気持ちよく泳げる。温めてほしければいつでも温めてくれる。「おいで」と言って大事にしていてくれる。苛立つことや機嫌が悪いことはあるだろうが、暴力的な手を出しては来ない。
全ては自分を「愛して」くれているから。今は一方的でも真摯に。おそらくは尽きることなくどこまでも広がる愛だろう。
――でも、「有償」なんだわ。
そんな印象が拭えない。
彼と幸せになりたければ自分も彼を愛さないといけない。
愛さないといけない、なんて。無償の愛で結ばれていた彼女には酷だ。
――どうしていつも穏やかに微笑んでいて、最近は愛おしそうに見つめてくれるのに。
考えれば考えるほどその裏には「脅迫」が見えてくる。