⑨ 凪は諦念?
ごめんなさい、と言いながら自分で彼の胸にすがった。
彼の腕が彼女を再度抱きしめたが、ほんの数秒だった。
「今ご飯食べるなら、紅茶を淹れます。……顔洗っておいで」
「……はい……」
彼女が洗面所から出て改めてテーブルの前に行くと、彼は「もう行くね」と言って出て行こうとする。
「……そうだ」
出て行こうとした彼がそっと振り返った。
「今日、お昼に隣の研究所の友人と会えることになりました」
「……隣の……?」
「ロナルド・モーズレイと同じ部署にいる例の友人です。個人情報だからメールとかのメッセージに証拠を残したくないと言って、話だけならと応じてくれました」
彼の居場所が分かるかもしれない。
彼女は瞬時にそれを察した。
そして思い出した。大好きな彼のことを。
「――あたしも連れてって。直接聞く」
気づいたら、メリルにすがりついていた。
しかし、やんわりと肩を掴まれる。
「それでもし聞けてしまったら君どうするの」
「会いに行く」
「アンジー」
「一緒に会わせて」
「アンジーっ」
強く名前を呼ばれてびくっとした。
「……ったく、あの男のことになるとおれのことなんか忘れちゃうんだね。目の前でこんなに好きって言ってるのに」
呆然としたようなぼやきだった。そっと見上げると、相手の青い目には――諦念が滲んでいる。色を塗るのを諦めて、この色にしたような目を湛えていた。
「まだおれのことは好きになってくれないみたいだ」
「――」
たまらず彼の唇に口づけをした。
「――アンジー……っ、やめなよ……」
「や……っ!」
自分でももう何がしたいのか分からなかった。
自棄だった。
触れる唇の柔らかさに、彼女の身体は痺れて反応する。
――気持ちいい。
自分で彼の頭を押さえて唇を貪っていた。
瞑った目からぽとんと涙が落ちていくのにも気づかず。
「――ぁあ、……っ、やめなったら……我慢できなくなるから」
引きはがされる。
「夜にまた話ができるから――っ、君が話したいこともおれが聞いてきたことも全部……」
――君はまだ混乱してるみたいだ。ここでゆっくりしなよ。
頬をそっと撫でられる。
「夜まで待っててくれる?」
「……」
「――じゃあ、もう行くね」
彼は穏やかな故に残酷だ。