⑧ 朝凪
彼女がボストンに帰るまであと3日だった。
朝、目を覚ました時にはメリルは隣にはいなかった。
こそっと寝室の外を覗く彼女。キッチンに彼の姿はあった。彼は既に朝食後の片づけをしているようだった。スーツを着てネクタイもきちんと締めているが、上にはグレーのカーディガンを羽織っていた。
彼女はそっと寝室から出て行く。
どういう顔をしていたらいいのか分からなかった。
あれだけ「好き」という感情を求められて。相手はあんなに自分を愛しているらしいのに、自分からは本能による喘ぎしか出て来なくて。
今も寝起きでろくに言葉を交わせる気はしないが。たとえ寝起きでなくても、彼女から彼にはどんな言葉を掛けたらいいのか分からないだろう。
居心地が悪いわけじゃない。むしろいい。いい意味でも悪い意味でも余計なことを考えなくて済むから。実家にいたらもっともっと、大好きな彼のことを考えてしまうだろう。
ぼんやりとテーブルの前で立ち尽くした。
彼女のために朝食が用意されている。何の変哲もない、ロールパンとゆで卵のプレートだった。ティーカップはまだ空だった。
後ろから靴音が迫ってきて、やんわりと抱擁される。
「まだ眠いんじゃないの?」
「……」
黙って首を横に振る。
髪の毛をそっと撫でてくれた。
「昨日はごめんね。間違いなく気が立っていた……無理やり君に気持ちを押し付けたのかなって。後になって自分で呆れました」
丁寧な口調だった。少し距離があるような。
一晩でどうしたのだろうか。
あの後彼女は何とかお風呂に入って、入れ替わるようにしてお風呂に入りに行った彼と話すことなく寝てしまった。
寝返りを打つのでぼんやり目を覚ましたような気がする。その時もまだ隣に彼はいなかった。遠くの方でグラスをごんとテーブルに置くような音がしていた。
――呆れながら1人で晩酌してたのかしら。
「……あなたの方が、寝不足なんじゃない、ですか」
「いいえ。そんなのは日常茶飯事です」
「……だめ……」
「大丈夫」
「だめです、今日は……寝てください。あたし、別のところで寝るので」
「一緒には寝たくないってことだよね」
「……」
力なく首を振る彼女。
ふっと緩んだ腕から逃れて、彼の方に向き直った。
「……でも、もうちょっとお話がしたい、です」
「おれと?」
「昨日のこと……、日中使えば十分考えられるから」
「……」
「きっと忙しいのに……ごめんなさい」
「アンジー……」