⑤ はなれたくない……
次の日も彼の腕の中で起きた。
ご飯は彼女ばかりが食べていた。彼は隣に座るものの、ずっと彼女を見つめて離さない。ご飯を食べるのではなくてご飯を食べる彼女を見つめるのが目的であるかのように。
どこかに穴が開いてもおかしくないと感じた。
「ロン。あなたも食べて……?」
「ううん」
「だめ……倒れちゃうから……」
どうにかこうにか、口にちぎったパンやベーコンを押し込んでみたものの、噛むのも忘れて飲み込みそうだったので慌てて止めた。
「やだ、噛まなきゃ喉詰まるわよ――っ。それか紅茶飲む……?」
近づいた彼女に彼は――近くに来てくれて嬉しかったのか――満足そうに微笑むなりキスをしようとする。
「ぁん、だめったら」
これでは落ち着いて食事ができたものではない。
そしてもっと彼女をすり減らすことに――彼は彼女がご飯を食べ終わるなり、彼女を襲おうとした。
食べ終わったばかりの唇を塞がれる。
彼女が食べたものの味を、唇伝いで認識するように。あたかもそれで自身も食事をしたように。
お腹を満たして潤った彼女をそのまま食べてしまうのだろう。自分は何も摂取しないくせに。
フォアグラにされるガチョウ、という考えが彼女の中をよぎった。
自分はいっぱい食べさせられて、後で彼に食らい尽くされてしまうのだろうと。
「アンジー……っ」
ベッドに座らされて、横から接吻を浴びた。
「ん……っ、ロン……、うう……」
その日は食事が終わる度に彼に服を脱がされ、優しいキスに騙されて、行為に及んでしまった。
何度喘がされたか分からない。自身が平静を失うと、彼に狂ったように求めてしまう。お互いに狂ったように激しく愛し合う時間が、堪らなくて。
昨日と違うのは1つだけ――彼の身体は不調だった。
その日の夜寝る前、彼女は彼に、明後日にはボストンに帰ると伝えた。既に航空券を取っていたから。
彼はぼんやりと青い目を宙に向けていた。聞こえなかったのかと思ってもう一度「明後日」と言いかけた途端、
「何でそんなこと言う!」
大声を上げて彼女に飛びついてきた。
「は――っ!? だって――っ、ぁ……っ!」
「離れたくないと言ったばかりなのに何で――!」
「でも――」
彼女の声にかぶさるようにして彼がああああ! と悲鳴に近い喚き声を上げた。
「何で! 何で離れていく!」
彼が大声で叫ぶところを聞いたことがなかった彼女は、そのあまりに悲痛すぎる響きに胸をえぐられて、言葉を失った。
――あたしだって当然離れたくないのよ。
声が出ない。
黙りこくった彼女を、同じように口を閉じた彼が乗りかかってベッドの上に押し倒した。そのまま、無言で口づけを交わす。
ふたりの言葉は消されてしまった。布団と身体が擦れ合う音とベッドがぎいと呻くように立てる音と雫が落ちて震えるように静かな口づけの音が悲哀に満ちて重なり合っていく。
彼が離れたくない気持ちは痛いほど伝わってくる。
やはり最後まで行かないまま彼は彼女を離した。
もどかしそうに、彼女に強くキスをする。
「アンジー……っ、まだ……」
頂上の景色はすぐそこなのに。例えばそれは夢の中で、頂上に達する直前で目が覚めてしまった状況と似ている。
不幸なことに今は夢じゃないのだ。
彼は現実に苦しくなったのか、俄に呻いて彼女をぎゅうっと、抱きすくめた。
「ロン――!」
彼の身体はぶるぶる震えている。
興奮は冷めたはずなのに動悸が激しくなっているようだった。
「だいじょぶ? ――んっ……」
それでも熱いキスが注がれる。
「アンジー……、離れたくない――はなれたく……っ」
彼の舌は彼女のものと絡み合い、言葉はお互いの身体の中に飲み込まれた。
彼女に男性的な本能というのは分からなかったが、彼が本能に関わる深刻な苦しみに囚われているのは分かった。彼女を離したくないのは欲求を満たせないもどかしさの反動でもあるし、彼女と繋がれない恐怖や、それでも彼女が欲しいという意地もあるだろう。
いつ壊れてもおかしくない。
――やっぱり、どうしちゃったのかしら。
――もっと彼と落ち着いて話がしたいのに。
この2日間彼とまともな会話をしていない気がする。
何か話しかけてもそれがほとんど、抱擁や口づけ、そこからのセックスという行動で返ってくるから。あるいは意味のなさそうな微笑で。はたまた大声で喚いたり、もはや聞こえていないような無反応さえ見せた。