⑨ 染まりたくないのに
黒いタートルネックと緑のフレアスカートという、買ってもらった新しい洋服に身を包んでいる彼女。
1日中彼と買い物に出かけていて、1週間生活できるだけの洋服と細かな化粧品などを手に入れた。
夜に帰ってきてお酒を酌み交わしていた。
「あいつがどの病院にいるか知りたいだって?」
彼女がうなずくと、彼はグラスを傾けようとした手をぴたりと止めてしまう。
「もうあの男の話はしないって……忘れたらどうって言ったろ」
彼女にはそんなことを言われる理由などさっぱり分からないのだった。
「どうして忘れなきゃいけないの」
「おれの嫉妬心をかき立ててどうしようっていうんだ?」
「こんな時に嫉妬心を燃やしてどうしようっていうの!」
彼女は空になったグラスをカンッとテーブルに打ち付けた。入っていた氷がカラカラ……! と乱れて騒ぐ。
「あたしはずっと、彼に会うための正当な理由を考え続けている! どうして忘れられるっていうの!」
「何でそうやって自分で自分を傷つける?」
「傷つけてない!」
「分かってないんだよ。自覚がないだけなんだ。……君があいつに会ったら、あいつだって余計気を可笑しくするだろうし君だって余計悲しむだろうよ……なのにどうして」
「あなたがあたしを好きで、仮にあたしもあなたを好きだとしても――! あたしがどうして彼を忘れなきゃいけないの! あたしは誰とも友達になれなくなる!」
「――」
――ごめん。忘れたい気分じゃなかったんだね。
抱きしめようとしてくるので拒んだ。
「やだ――っ! そんなことしてたしなめようとしたって無駄なの! だったら教えて! 彼がどこにいるのか……っ!」
「おれだって調べなきゃ分かんないよそれは」
「調べて! 隣の研究所くらい!」
「……」
彼がため息をついた。
「――わかったよ。本当は簡単なんだ……友人があいつと同じ部署の所属なんだ。でも教えてもらえるか分かんないよ、個人情報だから」
「あたしが知りたいって言えばいいの」
「はあん、なるほど……『婚約者』がね……」
3日ほどした夜に、彼と一緒のベッドで寝てしまった。
寝巻に着替えて寝る用意をしたところを、彼に呼び寄せられて行ってみたらあっという間に捕まった。
「可愛いアンジーが欲しい」
「あたし可愛くない」
「そうやってむくれっつらするところが可愛い」
彼は優しく彼女にキスをしてくれた。
いつしか唇同士がしかと重なり合う。ぐいと肩を押されてベッドに仰向けに倒された。
彼は――偶然にも――青い目をしていた。
愛おしそうに自分を見つめている。
とび色の髪の毛がそっと彼女の顔をくすぐった。
「おれは君のことを幸せにする自信がある」
「……自信家はきらい」
「嫌いなら簡単さ。――ちょっとすれば好きになる」
「……ん……っ」
花びらを包むような優しい口づけをされたら、撥ね退けられなかった。
「ぅ……ん……や――」
「そんな声出すなんて、君は殺しにかかってくるんだね。……あの男――嘘、言わない約束だったね。ね、もっと聞かせて……大丈夫だから。君のこと大事に想ってるから――」
そっと抱きしめられる。言った通り、大事そうに。壊れそうな箱を抱き止める包装紙のように。
「……好きだよ」
唇は頬から下へ――首にも肩にも、小さな胸にもしるしのように落とされた。
「うぅ……っ、いや……」
「くすぐったがりなんだね。――」