③ 離れられない
何とか手をついて立とうとすると――そこに彼もしゃがみ込んできて、彼女に抱きついてきた。
がばっ、と食らいつかれるように飛びかかられる。あっという間に床に転がっていた。
「ああっ! やだ――!」
「アンジー……!」
切迫したような彼の声がする。
残念ながら、彼女が倒れこんだことに対してではないのは容易に察しが付く。彼が切迫しているのは――彼女が離れて行こうとすることに対してなのだろう。
「みず……ぅ」
彼女は砂漠ですっかり喉が渇いて倒れる寸前の旅人のように、キッチンの方へ手を伸ばそうとした。――その手をがっと掴まれる。そのまま床と彼の身体とのサンドイッチにされてしまった。うつ伏せになった彼女の上に彼が覆いかぶさっている。
「アンジー、どこもいかない」
「くるし……っ」
自分がお酒を入れたこともあって、尚更胃袋やお腹が圧迫されて荒れている気がした。
「ロンおねがい――っ、お腹くるしく、て……ゆか、いたい――」
何とか訴えると背中が涼しくなった。
やっとのことで手をついて起きて、彼を振り返ると、ちゃんとそこにいた。
肩で息をして、じゅっと濡れた唇の間から息をもらして、つぶさに彼女のことを見つめていた。
「み、ず……のんでいいかな」
「……どこいく」
「どこも行かないの、水が冷蔵庫にあるから――」
そう言うと彼の方が先に動いた。
お酒に冒されていても聞くことは聞いてくれるのだろう、彼が冷蔵庫から水の入ったペットボトルを鷲掴みにして持ってきた。
「まずあなたが飲んで」
言うと彼がふたを開けて、自分の口に運んで行った――が、案の定唇からどっと零れ落ちて床を濡らすのだった。
「もう! 思い切りこぼして……っ」
それは彼女の足元にも及んだ。彼女はうんせと立ち上がって、彼の手に自分の手を添えて、水を飲むのを支えた。
不覚にもここでも彼の喉がごくごく動くので、ため息は熱い。
「どう。ちゃんとのんだ……?」
「……」
熱いまなざしが降ってくる。
「アンジーも」
「――ぅぐっ!」
すぐさま口にペットボトルの口が当てられ、一気に水を流し込まれる。
「ごほっ!」
図らずも彼女までこぼしてしまう。彼女の着ていたブラウスを派手に濡らすのだった。
「やだ! ひとりでのめる!」
「――ふく、ぬれて……」
「ロンのせいだからね!」
手が離されて彼女はやっと落ち着いて水を飲んだ。ほのかにワインの味がする。自分の飲んだお酒か彼の飲んでいたお酒の味が残っている。
――こんなに間接キスが熱いとは。
彼の唇をすぐ傍に感じてしまう。
「はぁ……っ」
何とか水のペットボトルを置いた。
トイレに行きたくなったのでふらふらと洗面所の方へ向かう。しかし、
「どこいく――」
「やだ! ついてこないで!」
「どこいく!」
「トイレ! ついてこない――っやだったら!」
彼が背後に抱きついたまま離れてくれない。
「いや! これじゃトイレにも行けないでしょう――」
もみ合うようにして洗面所になだれ込む。
「おねが、い! すぐだから外で待ってて!」
それでも何とか強く頼んで、外に力ずくで押し出す。
これでは彼女があの部屋から姿を消そうとするだけで大変なことになる。