⑧ おやつは抱っこして
「スコーンは軽くおやつで……」
家に帰ってきてから、珍しくキッチンに直行していた。
ランチボックスを洗う彼女の横で、冷蔵庫や棚の食材を確認する彼だ。彼女の傍にいないと落ち着かないのだろう。
そう思ってくれる分には本当に嬉しくなる彼女だった。
「少し温め直したら美味しいかもしれない」
「そうね。今、紅茶とか淹れて食べる?」
「ん」
スコーンを温めている間に洗い物を終えた。彼に後ろから抱きつく。
ふたりの左手には指輪が揃って光っていた。
――目に見えるしるしになったんだわ。「ふたりでいること」は。
電子レンジを眺めていたはずの彼が、ぼそっとこぼした。
「アンジー、お酒がある。開けてないやつ」
「お酒……?」
「一緒に……飲む、か? やっと会えたから……」
どきりとした。
「ロン……? 大丈夫なの? お酒……無理に飲んじゃよくないと思うの」
「何か食べれば」
「本当に食べるの? スコーンだけじゃだめよ? もっとちゃんと食べてからね?」
「うん……」
温めたスコーンと、ティーポットをテーブルに運ぶ。
ティーバッグが出せるまで待つ。彼は椅子に座るなりこちらを見上げて手を伸ばして来た。
「なぁに――んー……」
引かれるまま腿の上に誘導された。腰にぐっと手が回され、捕まった。
途端に胸がどきどきして、体が熱くなる。
引き寄せられるまま彼とキスをした。濡れる唇。鼻先を触れ合わせたまま目を開けると、物欲しげに目を澄ます大好きな人がいる。
熱に耐えられなくて目をふら、と伏せた。
――どうしよう。どきどきして体が震える。崩れちゃいそう。
「……指輪何でできてるの」
気を紛らわすためにそんな話を振る。自分の吐息が彼の首筋を撫でた。こんなに近くにいては話もそう続きそうにない。
「銀」
「銀……。ねえ、金属の加工できるの? すごい……技術じゃない」
「ううん。銀の粘土から作ったから、いわゆる加工はできない」
「粘土? そんなのあるの」
「ん」
「そう……」
自分の左手を目の前にかざす。改めてまじまじと見入ってしまう。自然と頬がほころんでくるのだった。
「……うれしい」
自分をぽけっと見つめる彼の頬にキスをする。
「キスのお礼じゃ足りないかしら」
「……ん」
肯定とも否定とも取れない短い声がもれてきた。既に目はぼんやりとしてしまっている。
頬をすりすり撫でてみる。
「ロンったら。工作してたからもう疲れちゃったの」
「うう……ん。とくに」
「そう」
ティーバッグを取り出せそうなので立とうとしたら、ぐいと引き止められる。
「ぁあもう、なに」
まるで昨日のように。
「まだ」
「でも紅茶できたと思うの」
「ん――」
彼の腕が後ろからにゅっと伸びて器用にティーバッグを取り出すのだった。腕を伸ばすので体がぴたっとくっついて、彼女の胸はきゅんと跳ね上がった。
「ね、おやつ食べるから離して――」
「その必要はない」
「な――っ、ある! やだぁ――」
「アンジー……っ」
後ろからぎゅっと抱きしめられて、逃げられなくなった。
そのうちに彼が脚を広げたので座面にお尻が付き、真後ろからぴったりくっつかれた。
「ぁ――っ、もう。あたしを何だと思ってるの」
この様子はコアラが木に捕まっていると言ったらいいのだろうか。自分はコアラに大層気に入られたユーカリの木。
もしくは、自分は自分という抱き枕みたいなものか。こういう形のものを、「人間」ではなくそういう抱き枕と呼ぶのだろうか。いつからだろう。彼の中で自分はいつからそうなったのだろう。
とにかくこれでは彼がまともに食べられないのに。