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⑦ 約束のしるしを左手に



 袋を目にした彼女が驚いて息を呑んだ。


「途中で壊れるのが心配だったから2つあるんだけど……どっちか、付けやすい方を選んでくれたら――」


 彼女のための指輪を、袋から出して本人の前にすっと差し出す。


「……ほんとうに?」


 緑の目がふるっと潤み出す。小さな細い手がおそるおそる出てきて、指輪に触れた。丸い輪郭をなぞるように。


「これ……今日……?」


「仕事って言ったけど本当は……これを作っていて」


「作った……の? 買いに行ってたんじゃなくて?」


「買えるほどのお金はない」


「……」


 初めて目にするから戸惑っている、と言いたいが言えなくて黙る彼女。つましい指先。


 そんな彼女の左手を取る。実はじっくり見させてもらったこの手。


「一応、おまえの、薬指のサイズは測らせてもらったけど……合う、かな」


 急に手を取られて恥ずかしいのか頬を赤くしている。――かと思えば、ついにその頬に涙を伝わせていた。


「分かった……つけて、みる」


 彼女が泣いている。


 何か気に障ることをしたのかと、彼は不安になって手を離した。


 一方で彼女も震えながら自ら指輪を手に取った。やっと指輪は細い指を通って行った。


「……こっちの方がいいかも」


「きついとか、大きすぎるとかは」


「大丈夫なの……」


 薬指を見せてくれる。華奢な手に、銀の指輪は美麗に収まっていた。


「ほんとうに……あたしにくれる、の?」


「……約束」


「約束……?」


 自分でもどう言ったものか、言葉を探していると、彼女が察してくれた。


「……結婚の約束の、しるし?」


「うん……そうだろうな」


「婚約指輪なのね……、だから、そんな話をしてくれたの」


「そんな話?」


「いつ結婚する、って」


「……ああ……そっか」


 余った方の指輪と袋を引き取る。――その手をきゅっと、指輪をした手が包んでくれる。


「嬉しいのよ」


「うれしい?」


「嬉しくて泣いてるの」


「……ならいいんだ」


 彼女の左手を見つめながら答える。どうしても顔は見られないが。嫌じゃないけれどどうしても。


「ありがとう」


 耳に入るその声はふわっと温かい。思わず笑みがこぼれた。


「どういたしまして」


 ぐっと詰まる声。久しぶりにこんなやり取りをしたせいで喉や唇の力加減らしきものが分からなくなっている。


 しかし、彼女が嬉しいと思ってくれたおかげで、笑うことができた。


「……あなたの分は?」


「――も、一応作った」


 別の袋を出した。これは型紙に自分の薬指を当てはめて適合サイズを測って作ったものだった。


「貸して。つけてあげる」


「……」


 左手をきゅっと引っ張られて、薬指に指輪がはめられた。


 この時初めて彼は、「はめてあげる」という気の利いたことなど思いつかなかったのだと気付いた。不安で仕方なくて自分を保つのに精一杯だったのだ。


「器用なのね……お金がないなら自分で作っちゃうなんて」


「全く」


「綺麗よ。お店で買うのなんかよりずっと気持ちもこもってる」


 しっとりした柔らかい手を握る。


「これで、約束」


「――分かった。約束ね」


 しばらく彼らの脇で放置されていたスコーンの袋を一瞥した。先輩の厚意を忘れるところであった。


「……あ、スコーン、食べたければ食べていいけれど」


「おうちで食べよ? 早く帰ろ……ね……」


「そっか」

 

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