③ 工作の時間 2
「で、何作ったの」
一瞬指輪と言いそうになったが、やめた。
クッキングシートをかぶせたマグカップを示す。指輪のついでにマグカップの蓋を作っていたのだ。
「これの蓋が、なくて。あったらいいなと思って」
全く嘘ではない。
隣に座った先輩がマグカップを見て、ああ! と相槌を打つ。彼が研究個室でこのマグカップを使うのを知ってくれていたのだ。
赤いティーポットとティーカップの絵が描かれた温和なデザインのマグカップだ。その絵の裏には小ぢんまりと、”Tea Party”と文字が入っている。
「……でもそれ元々蓋付いてなかったっけ」
「ええ、ありました。でも、なくしました」
「っおい、ほんとに? 珍しいね、物の管理はしっかりしてると思ったけど」
「おれもそう思いました。でも、コミュニティースペースでテーブルにこれと蓋とを置いたままコーヒー豆買いに行ってて、戻ってきたら、蓋がなくなってました。落ちたのかと思って少し周りを探しましたが、ありませんでした」
「――それ盗まれてんじゃん確実に」
気がかりそうに顔を覗かれたが、さあと言って目を逸らす。
「しかも蓋の方っていう」
「マグカップ本体じゃ目立ちすぎるんじゃないですか」
「蓋だろうと気づくだろ普通」
「気づきますね」
「ったく何考えてんだかな。――あ、お前のこと狙ってる女どもがついに……ってやつかな」
「蓋盗んでどうするんでしょうかね」
「ロンが使ってるだけで商品価値が上がるんだよ、ファンにとっては」
「そんな価値はないです」
「冷めてる。フフ、そうそう、あんま気にすんなよ。でも迷惑だよな、蓋があるのとないのとでは温かい飲み物の冷め具合が違うからさ」
「そう、本当に」
彼はマグカップを手に取った。気を紛らわせたくて。そういう話をされると、胸が苦しくなるから。もう1人でコミュニティースペースにも行けなくなるから。
蓋がなくなったと気づいてからは、カップを手に持ったまま、先にコーヒー豆を買って全て淹れてしまってから席を探すようにしていた。
――こうして居場所はなくなっていく。
「どうしたら、……余計なストーカーに遭わなくて済みますかね」
「婚約者いるって言うのにストーカーする気持ちがよく分かんねえんだよな。噂だけだから嘘だと信じたいご都合主義なんだ」
「証明するために連れてくるわけにも行かない」
「よな。本当の彼女に何かされたらたまったもんじゃないしさ」
「本当に」
この先輩とは会話のテンポがよく合うなと感じていた。だから、話しやすい。
もちろん言いたくないことは適当にかわして言わないし、そこで詮索してくる男ではないのだ。察しが良い、意識的な無関心にどれほど助けられただろう。
マグカップをするすると撫でる。
――これも本当は彼女から誕生日プレゼントにもらったものだった。彼が博士課程に入った年だった。しかも彼女がボストンに訪ねてきてくれた時だった。彼女はその時まだニューヨークで働いていたので、当然半年ぶりくらいの再会だったのだ。ふたりでボストンの市街地の方へ泊まりがけで出かけて行ったのだ。彼が男子寮にいるので彼女を泊められないから、いっそのことふたりで出かけようという話になって。
「蓋が付いてて便利でしょう」と、本人も嬉しそうにしていたのに。「道中割れないか心配で仕方なかったの」と、健気に幾重にも包装してまで持って来てくれたのに。
――これじゃ既にやられているようなもんだ。
ため息をつく。