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⑩ だいすきな理由



 きちんと化粧をする彼女のことを、玄関先の壁にもたれてぼんやり待っていた。


  さっき「これから行く」と実家に連絡を入れた。特に返事はないがこれなら行っても驚かれることなく入れるだろう。


「デート」に出かけるわけでもないのに何をそんなに丁寧に化粧するのだろう。こんなことを言うと大概「最低限やってるだけ」と言い返されてしまうから言わないが。


――最低限だとしてもきちんとやらないと気が済まない、っていうのは納得行くけれどな。気が済まないというか、やれることなら気が済むまでやりたい。


 大体のことは「どこで妥協するか」であることは一応分かっているつもりだけれども。どこかで妥協して進めなければならないことばかりだから、「完璧」なんてことはないと尚更感じる。


――完璧。軽々しく用いてほしくない。


「あの大学の物理博士でイケメンときたら、完璧」――と、耳にへばりつく人々の噂話。受付を通る度にこれを聞かされて視線がぶつけられて、今思うとそれは自分の中にゴミのように蓄積して行って、ある時限界を迎えたのだなと思う。


 いつだったかは分からない。


 たぶん任された実験器具の見張りが「長すぎる」と言われた頃だろう。


「十分完璧だから、そんなことにこだわってないでどんどん仕事獲得しに来てよ」――誰かに言われた一言はその限界になった心身を、火に油を注ぐように刺激した。


「十分完璧なら今頃ここにいない、完璧なんかあるもんか」、とたてついて、「そっちが見張ってろと言ったのにちゃんと見張ってると『そんなことにこだわるな』とは理不尽にもほどがある」と逆上して屁理屈を叩いた挙句実験室に立てこもっていた。


 あの日は本当に実験室から出るのが嫌になった。完全退出時間になって警備員に追い出されるまで器具を見張っていた。


 そのこと自体は、研究所内ではそこまでの騒ぎにはならなかったのだが、彼自身はその一件以降「完璧だから」と言われることが虫唾が走るほど忌々しくなり、個室から出るのが恐ろしくなった。


 何なのだろう。誰もかもが勝手に自分を「完璧」だと決めつけて。忌々しさは次第に自己嫌悪になっていった。そう言われる自分が、どうせなら「完璧」に消えればいいのにと皮肉っては実験室で1人で嗤った。


 器具の見張りを終えて個室に戻っても、気分が悪すぎて限界で、ある日彼女に電話したのだった。


「完璧に見えて全然そうじゃない問題児なあなたがだいすき」。甘い声で言われたあの言葉を聞いて、自分は完全に彼女の虜になった。今までにないくらい溺れこんだ。毎日彼女のことを考えて過ごした。妄想からの自慰行為だと言われればそれまでだった。しかしそうすることで気分の悪さは解消され、何とか出勤もできていた。


 彼の中で、「自分」は「彼女が唯一好きな主体」になり、「彼女」は「全て」になった。


 その全ての彼女がやっと自分のところに来てくれた。


 こういう時に限って身体は不調だ。


本作冒頭(「お酒と果肉」部分)に出て来た会話はその電話の様子なのです。

そういうわけで、彼にとって彼女が救いであり生きる唯一の意味だと……。

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