⑧ そこまでして生きるとは?
「昨日の明日だ……、今日、会えるとしたら、もうずっと……それの何がいけない?」
「本当にそうなるの? ――まあ、そうするつもりだから言ってるんだろうけど」
「アンジーはそう思わない?」
「思ってなかったな。――ずっと一緒だとは限らないのよ」
「何で?」
「何で? ロンが仕事行ったら一緒じゃないじゃないの。そういうことよ。半年後のことが分からないってことよ」
「……」
「半年後のことが分からないのと分かるのとではどっちが安心する?」
「……分かったところで、今日は、会えない」
「……」
ため息をつく。
今日は一応研究所に出向いてきたはいいものの、個室に入ったきり出たくなくなった。ぐったりと机に伏せっていた。
「時々……本当に何もかもが嫌になることがある」
携帯を机の上に置く。
彼の耳にはイヤホンが入っていて、携帯と繋がっている。マイクを通して彼女と通話できる、話題のグッズだった。通販で買おうと考えていてこの前やっと買って、届いた。
携帯を耳に当てなくても話せる。電話越しの彼女の声が外に漏れないのもいい。
――この声はおれだけが聞いている。
彼の独占欲を満たすには格好の道具だった。
ただこれを買おうと思い立つまでも時間がかかって、通販サイトを検索するのにも時間がかかった。必要な気力を蓄えるのが大変なのだ。
思い立つのにこれほど時間がかかるのも、最近は酷く「何もかもが嫌だ」と感じるから。
「何でそこまでして生きなきゃいけない?」
「……あなたの生きる意味と言うか、動機を、あたしが決め切れるわけじゃないのよ、でも――会いたいから、生きてて」
「だったら、今すぐ会いたい」
「ロン……」
「苦しい」
「ごめんね、……生きててなんて勝手に言って……どうしたらいい、かな……」
「会いたい」
「……うう……」
電話の向こうで彼女が嗚咽をもらした。
「――おれが会いに行ったらいいのか。思いつかなかった」
まるで他人事のように呟いた。
そんな気力がないのだから。
個室のドアをこんこんとノックされて、先輩が入って来た。
彼はその時まだ机に伏せっていた。
「……起きてる? 大丈夫か?」
彼は入り口の方に、まるでガラス玉のような目をぼんやりと向けて静止していた。
「……目が動いてないぞ、一旦起きてくれって。会議が今終わってさ……」
肩を揺すられてやっと彼は何とか半身を起こして椅子に座り直した。今朝与えられた業務は一通り終わっており、レスポンス待ちだった。
「そう言やこの前の学会で、教授と話した? うちの音響学研究室の」
「……」
彼はふいと目を伏せた。
「何か用件ありましたっけ」
「今度の企画の監修に教授も賛同してもらえないか、直接聞けるなら聞いておいてって話だよ」
確かに学会には出てパネリストとしてこれまでの企画を報告してきたものの、今後のことについてはそこまで触れていない。その場の質疑応答や議論だけで彼は疲弊して、すぐに帰ってしまっていた。学会後に人と交流する気など全く起きなかった。
質問くらいはされたような気がします、と答えたら笑われた。
「そっかそっか。ったくもうシャイなんだから……メールでいいから改めて聞いてみてくれないか」
「……おれが?」
「企画開発チームの名前でいいから。他の仕事は終わってるんだろ?」
「……」
「実験分析と精査の仕事は早くて完璧でさすがだよ。じゃよろしく」
それは会議が始まる前までと言う締め切りがあったから。
締め切りがなければもっと丁寧にやるのに。
――て言うか「完璧」なんてねえだろ。時間に追われてるし。「精査」のくせに。
パソコンを開いてメールを打つと、さっさと閉じてまた机に伏せった。