② 電話をしよう
飛行機に乗るのが大好きだった。いつも胸を躍らせながら乗っていた。
だから、泣きながら飛行機に乗ったのは初めてだろう。
幸いにも特に遅延もなく時間通り着いてくれた。それが救いとばかりに急いで下宿先に帰った。
彼の母親から連絡が来ていた。
「『意識を取り戻した』……『アンジーのことを探しているのだけど、ボストンに戻ったんだよね? そう言い聞かせてるんだけど聞かなくて』……」
メッセージを声に出して読みながら、彼女はずっと泣いていた。
――どうしよう。どうして飛行機を投げ打たなかったんだろう。
しかしそうしたら彼女は一生ニューヨークから出て来られなかった気もする。
彼が意識を取り戻したことには安心した。
「『分かりました。付き添えなくてごめんなさい。あたしから連絡してみます』……」
彼女は震えながらそうメッセージを送り、次に、彼に電話をかけた。
出ない。
時間からして食事中かもしれない。
息をついて電話を切る。
怖くて留守電を残せなかった。
彼から折り返し電話がかかってきたのは夜中だった。
うとうとしかけていた彼女はベッドの上で振動する携帯を見て慌てて出た。
「もしもし?」
「アンジー……どこいる」
電話越し、それに夜中なのに妙に彼の声は明瞭に届いてきた。
「あたし? ボストンにいる……」
「誰もかもそう言う」
「いや、あたしがそう言うんだから本当にいるのよ」
「なんで?」
「何で? だから、今日戻るって言ったでしょう? 本当に戻ったの、それだけ」
「……」
「あたしの言うこと信じてくれないの?」
「……ううん。信じるよ」
「じゃあ信じて」
「……信じられない」
「信じて」
「……時間がかかる」
「ロン……」
やっぱり変だなと思った。
ユーモアじゃないのだ。軽い冗談だったらよかったものを、全くその雰囲気を感じ取れない。
電話口で彼が黙り込んでしまって数分が過ぎてしまう。
「ロン……だいじょぶ?」
「そう言うなら何で戻った?」
「……」
もっともだった。
「ロン、明日仕事じゃなかった」
「……ん」
「お昼休みいつだろう?」
「……」
「お昼休みになったら、あたしに電話してくれる?」
「……そしたら絶対出る?」
「出る。あたしは明日までお休みだもん。出られるわ」
――だから、今日はちゃんと休んで。
「……おやすみ、ロン」
「……」
「おやすみ」
「……絶対出る? 明日……」
「出る。何なら携帯を手に貼り付けとくわ……テープがいいかしら……」
もう冗談を余裕でかませる状態ではなかったけれども。
――おやすみ。
観念したような彼の声がして、電話は切れた。
彼が地元ニューヨークに戻って来て、かつて彼女も通っていた大学の研究所に雇われて1年が経つ。
彼女も同じ大学の研究委員会に勤めている。しかしこちらはニューヨークではなくて、彼が編入して通っていた大学のあるボストンに飛ばされて仕事をしていた。
見事に下宿先が入れ替わって1年が経った。
半年ぶり2度目の帰省が今回の帰省だった。
この1年で彼はすっかり変わってしまった。それが今日までの3日間でいよいよ強烈に印象付けられて彼女の中に大きな気がかりの種を残した。
彼は見て分かるほど痩せこけていた。風邪を引いた時くらい。常に風邪なのかと冗談で思った。しかし、それはすぐに深刻な不安に変わった。
3日間彼は彼女が食べる様子を微笑んで見ているだけで自分は全然物を食べようとしない。どうにかして少し口に入れてもらったものの、本人は食べる気がないと言っていた。
彼女は心配して彼を食料品店に連れて行き、保存の利くお菓子やパン、缶詰、栄養剤などを買い占めて下宿先の家に置かせてきた。とは言え、きちんと摂取するかどうか怪しい。