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だっこして!

 友人が書いた小説『金枝玉葉(きんしぎょくよう)』は、皇太子と薬師の娘のヒロインが出会い、恋に落ちる。

 過酷な運命に翻弄されながらヒロインの出生にまつわる陰謀を解き明かしていくミステリー仕立てのラブストーリーだ。


 宮廷に潜む悪い奴らから色んな妨害を受けながら、最後は奴らの陰謀を暴いて勧善懲悪、さらに実は偉いとこの生まれだったヒロインと皇太子も結ばれてめでたしめでたし。


 本になるって言う内容が私が読んでいたものそのままだったらきっとこんな感じ。


 そしてヒロインと恋に落ちる皇太子が琥珀(コハク)様だ。

 幼い頃にヒロインと一度出会っているエピソードがあるはず。


 けど、天生(テンセイ)将軍のところで修行するなんて話、あったかな?


 確かに青年になった琥珀様はかなり強くて、何度もヒロインのピンチに颯爽と現れてはその剣の腕で襲いかかる敵たちをやっつけていた。アクションシーンは爽快でかっこいいのにしたいと友人と二人でああでもないこうでもないと悩んだ記憶がある。


「お嬢様、どちらへ?」


 大きなお邸の廊下をぽてぽてと歩く私に話しかけてきたのは灰色の髪の青年だ。

 天生パパと似たような武人ぽい装備で、全体的に黒っぽい格好をしている。

 長身で、程よく鍛えているらしい体格。細マッチョの部類に入るだろうか。

 長めの前髪に隠れた容貌はよくわからないが、口元や鼻筋の感じで整った顔立ちであることがうかがえる。前髪の下から覗く目の色は冴え冴えとした夜闇のような黒色だ。低くよく通る声で呼ばれると、何も悪いことはしていないのにぎくっとしてしまう。


 彩さんが乳母なら彼は私の護衛で、雪影(セツエイ)という。さん付けしたらえらく恐縮されてしまったので、仕方なく呼び捨てにしている。


「セツエイ。これからね、コハクにいさまのところへいくの」

「では、お伴します」


 さも当然と言うような申し出に、私は心の中で「お、おう……」ときょどった。


 雪影って表情が無いうえに口数が少ないので何を考えているのかわからない。

 けれど天生パパに大きな恩があるらしいということはなんとなく感じ取れる。大将軍の娘って何かと色々あるだろうから、護衛してくれることには文句はないんだけど、家の中までのこの厳重な警備はなんだろう。


 朝餉を終えてからだいぶ経った頃合いだ。

 午前は琥珀様は何やら難しい本を読んで書き物をして、昼餉の少し前にお茶を飲んで休憩を取る。

 私は時々その時間にお邪魔してお茶をご一緒させてもらっているのだ。


 私の部屋から琥珀様のお部屋まで小さなこの足では結構遠い。

 一生懸命足を交互に動かして歩くけど、なかなか大変だ。額に汗が浮かぶ。子供って代謝がいいからすっごい汗かくのよね。ちょっと立ち止まって袖で額を拭うと、傍から控えめに名前を呼ばれた。


「お嬢様」

「なあに?」

「大変でしょう。雪影がお運びしましょうか?」

「えーと、セツエイがわたしをだっこしてくれるの?」

「はい」


 あっさりとした答えだ。雪影の言動には迷いがない。

 小説にも実は出てくるキャラだ。彼はかつての宰相の息子で、生き別れた妹を探している。

 天生パパの元で私兵をしながら宰相だった父が殺された真相も探っている。復讐と家族愛の相反した感情を抱えながら強い意志で行動する人だ。


 それはわかるけど、あんまりにも寡黙でシンプル言動すぎて、これが思いやりからか義務感からなのか判断しにくくて困る。


(小説の性格を私なりに解釈すれば、これは雪影の純粋な思いやりで、彼は復讐を除けば優しい人なのかなって思うけど)


「セツエイ、ソンなセーカクしてるっていわれない?」

「は」

「なんでもなーい! だっこして!」

「……承りました」


 誤魔化すように雪影に向かってにっこり幼スマイルで両手を広げた。

 あぶねーあぶねー。私の身体はまだ四歳だった。


 雪影はにこりとも返さず真面目に私を腕に抱え上げた。落ちないように肩に手を置いてまっすぐ前を見ると、天井が近い。


「ふわあ〜」

「落ちないように、じっとしていてください」

「うん。──すごいね、セツエイはこのたかさなんだね」

「……油断すると出入り口に頭をぶつけます」

「ふふっ」


 あるあるだねー。雪影の身長、180センチ後半くらいかな。日本でもガンガンぶつけそうだ。


 私が雪影を見下ろしながらくすっと笑うと、彼も切れ長の目尻をぴくりと痙攣させた。

 微かに笑ったっぽいけど、すぐにまた元の無表情に戻る。表情筋が極端に動かない人なんだな。


 雪影のおかげで、あっという間に琥珀様のお部屋に着いた。

 飾り棚や螺鈿の細工がはめ込まれたテーブルが置かれたお洒落なお部屋だ。

 もう恒例となっていたので、琥珀様が自ら出迎えてくれた。今日は青い着物が似合っている。


「春風、よく来たね」

「こんにちは、コハクにいさま!」


 雪影の腕から降ろしてもらって、私はちょこりとお辞儀した。子供体型で頭が重いので、かくりとどこか不恰好になってしまうのが悔しい。

 琥珀様はにこにこと手招きする。


「今日はお菓子を用意してもらったんだ。昼餉の前だから少しだけだが」

「わあ、やったぁ!」


 奏家は天生パパのこだわりなのか、娘が可愛いからか、厨房にいい料理人がいてお菓子も食事もとても美味しい。

 早くありつこうと私の背丈と同じ高さの椅子によじ登ろうとすると、ひょいと抱えられた。雪影かと思ったら、彼は部屋の外の警備に出るところだった。


「ありがとうございます、にいさま」

「どういたしまして。さあ、いただこう」


 今日のお茶は金木犀の香りがするものだった。ほんのり甘い後味と香りが、甘いお菓子の後で口をすっきりさせてくれる。


 私と琥珀様は色々な話をする。といっても四歳児なので、私に出来るのは当たり障りのない邸の中の人との出来事くらいで、主に琥珀様が色んな話をしてくれる。

 ちょっと難しい話でも、私が興味があるなら子供にはまだ早いとか馬鹿にせず噛み砕いて話してくれる。きっとすごく頭がいいんだな。


「ちちうえはふだんどんなシゴトをしているのですか?」

「天生か? そうだな。大将軍は軍の名誉職だ。五年ほど前にその位を聖上(せいじょう)から賜った。聖上は皇帝陛下のことだ」


 ほお。名誉職。天生パパってやっぱり偉いのか。家では親バカだけど。

 私は頭の隅にメモしながら頷いた。小説でも大将軍って説明はされてたけど、私の存在で性格が改変されてたわけだから、どこかで食い違ってることもあるかもしれない。


「五年前、北の蛮族の侵攻を食い止めた功績が認められたのだ。天生はあの通りの性格だから、戦のない今は宮中で窮屈そうだ」

「めにうかびます」


 琥珀様、さりげなく宮中のこと口を滑らせちゃってる。

 大将軍のパパのことを呼び捨てたり、こういうところどころ脇が甘いのはまだまだ彼も少年だからかな。


 十五かそのくらいだろうけど、小説なら十歳ごろに薬師の娘に身をやつす前のヒロインと宮中で出会うエピソードがあったはず。


 春の花咲き乱れる東屋(あずまや)で子供らしいあどけないやりとりとほのかな恋の予感にドキドキする素敵なシーンだった。


「えっと、にいさまはキューチュウにいったことがあるのですか?」

「あ、ああ。そうだ」

「キレイなオヒメサマにあったりしました?」


 子供っぽさを装いつつ、さりげなく探りを入れた。

 あの出会いが琥珀様の初恋になって、以来他の美姫は眼中に入らなかったんだから。実際ヒロインはめちゃくちゃ可憐で美人で、しかも賢くて、彼女以外の女の子なんて敵わないってのもあるし。


 無邪気に訊ねると、琥珀様はくすりと笑った。夢見がちな子供が微笑ましいって感じだ。


「残念ながら、宮中は政の場所だから、着飾った姫君はいないよ。後宮なら別だが、あれは皇帝陛下のものだから、他の男は入れない。王の娘である公主は後宮ではなく母親の実家で育てられるし、後宮で陛下にお仕えする女性は姫君とも少し違う」

「え、でも……」


 ど、どういうこと??

 私の予想ではここで初恋の姫君のヒロインを思い出すんじゃないかと思ったのに。


「にいさま、それじゃあ、キレイなオヒメサマとあったことはある?」

「美しい人なら、それなりにね。だが春風の期待するような姫君は、普通は屋敷の奥深く大事に育てられるだろうから、私では会うこともかなわない」


 琥珀様の目は嘘も誤魔化しも無いように見える。初恋を思い出して照れてるって感じでもない。


 どういうこと? 琥珀様はヒロインと出会ってないの?


「あの、コハクにいさま」

「なんだい?」

「ごねんまえのはる、なにかありませんでしたか?」


 この際だ、変に思われても確かめなければ。


「五年前の春か?」

「はい」


 コハク様はうーんと腕組みして、それなら、とにっこり笑った。


「そなたが生まれた日がその頃だ」

「わたし?」

「ああ。天生が大騒ぎしてな、この邸まで引っ張ってこられた。そういえばあの日には、母上に会わせたい人がいると言われていたんだが、どうにも気乗りしなくてな。あの後母上にはこっぴどく叱られてしまった」


 それだーっ!!! 王妃様がこれぞと見込んだ姫君のヒロインと琥珀様を引き合わせるために、後宮から宮中の太子の住まいに移り住んだ琥珀様を呼び寄せて出会わせた。あの胸ときめくエピソード!


 それが私の生まれた日だったの? タイミング悪過ぎでしょ……!

 天生パパったら太子様を出産立会いに連れ出したの? なんて強引な!


「あ、あの、うちのパパがすみません……!」

「何を言う。そなたの気にすることではない」

「で、でも……」

「おかげで、春風の生まれるところに立ち会えた」

「へ?」


 申し訳なくて俯く私の頭を琥珀様が撫でた。

 見上げると、大きな目が優しく撓んでこっちを見つめている。

 慈しみ溢れる表情に戸惑って、私は赤面しておろおろと口を開いたり閉じたりした。


 小説の中で書かれる琥珀様は本当に素晴らしい貴公子で、どんな人だろうって想像をめぐらせていたけど、三次元で目にすると破壊力がやばい。美しさと眩しさ、それに高貴さが天井知らずだ。


「私の妹達は母親違いで、未だに会ったことがない。だから、余計にそなたを妹のように思っているのだろうな。そなたとこうやって話すだけで私は嬉しい」

「え、えへへ……」


 光栄であります。貴い笑顔に心の中で敬礼した。


 けれど一方で胸のうちがざわついた。

 私のせいで、琥珀様がヒロインと出会えなかった?

 お話と違う展開になっている。

 この違いは登場人物たちの、琥珀様や雪影、天生パパの運命を大きく変えてしまうんじゃないだろうか……?


「春風」

「は、はいっ」

「今日は午後から天生が戻ってくる。鍛錬を見てもらうのだが、そなたも一緒に来るか?」

「鍛錬?」


 琥珀様は私の顔をそっと覗き込む。こんなに気にかけてくれる優しい人を心配させちゃいけない。胸のざわめきはひとまず片隅へ追いやることにした。まだ現状を全部把握してるわけじゃない。戸惑ったり悲観するのはいつでもできる。今は私にできることからしよう。


 鍛錬って、剣術の稽古みたいなものだろうか。

 心の隅っこにあった好奇心がうずく。

 なんせスタントマンの卵ですもん。身体を動かすことは好きだ。

 それに、病み上がりの私はとても弱っている。


 まずは鍛えて、この世界のことを勉強して、私にできることを増やそう。

 なかなかさめない夢の中で、とりあえずの目標が決まった。


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