なんじゃこりゃっ
私は酷い熱にうなされていた。
熱い。息が苦しい。額と言わず首と言わず、熱を放出しているのに楽になれない、まだまだ体温が上がっているのがわかる。喉がカラカラに干上がって、水が欲しい。水……。
ぐるぐると目眩もしていて、ああこれだめかもしんない、なんて思った。
ここ十年くらい風邪もインフルエンザも引いたことない健康優良児だったもんだから、久々の不調は心まで弱らせる。
病院に行かなきゃ、でもこの熱が引かないと動くこともままならない。その前に水を飲まなければ……。でも起き上がることさえもできなかった。
目眩はどんどん酷くなって、閉じた瞼の闇の中、身体ごとどこか暗いところへ投げ込まれるように、私は意識を失った。
目を覚ますと、見たことのない場所だった。
一人暮らしの狭いワンルームの小さなシングルベッドで寝ていたはずなのに、つま先よりだいぶ向こうにベッドの端が見える。
というか、天井から薄い布が垂れ下がってる。アジア風だけど、これってもしかして、お姫様とかが寝てるベッドに付きものの、あれ? なんだっけ、そうそう、天蓋?
いやいや、病院のベッドかもとも思ったけど、だったらこんなに広い必要ないし、カーテンに綺麗な鳥の模様の刺繍なんてどんだけ高いところなんだよって話で。
貧乏暮らしの私がそんな病室に入れるわけもない。どういうこと?
混乱の中なんとか身体を起こす。熱はすっかり下がっているようだ。病み上がり特有のだるさがまだ残ってはいるけど、死にそうなほどしんどくはない。
キョロキョロと辺りを見回しながら、寝汗でちょっとベトつく額を手で拭った。
顔の高さに上げた手になんだか違和感がある。改めて見て、ギョッとした。
んまあ! ふくふくした柔らかそうな小さいお手手! でもこれ私のじゃない!
「な、なんじゃこりゃっ」
続いて発したつもりの自分の声が思っていたものと全然違ってヒィッと悲鳴をあげた。
悲鳴まで今までの自分と全然違う。コロコロした甲高い子供の声だ。
「え、どゆこと? どーいうこと???」
人間動揺するとあんまり大きい声は出ないもんだ。でも私の起きる気配を聞きつけた誰かがカーテンの外から声をかけてきた。
「お嬢様、お目覚めですか?」
さっとカーテンを掻き分けて女の人が顔を覗かせる。
私は今度はその人の格好にポカンと口を開けて驚いた。
やけにずるずるした、中国の時代劇みたいな服を着ている。
薄緑の上着の下から濃い緑の裙子っぽいものが見える、簡素だけど上品な装いの女の人は私の反応に心配そうに眉を下げた。細い眉の下の目が優しげで、悪い人ではないようだけど、次々来る見知らぬものにますます混乱するばかりだった。
「お嬢様?」
「だ、だれ……」
「彩でございます! お気は確かですか? お嬢様の乳母ではありませんか」
「ご、ごめんなさい……」
乳母? 乳母って小説とか映画でしか見たことないよ!
確かにこの小さなお手手の持ち主はまだ大人のお世話が必要っぽい。
彩さんはするりと私の額に手を伸ばして熱を測る。
「良かった。熱はもう下がりましたね。一時はどうなることかと。旦那様も心配されておりましたよ」
「だんなさま?」
「春風様ったら」
彩さんは困ったようにため息をついた。まるで及第生になった気分だ。
確かに、私の名前は春風だ。でもなんで彼女は知っているんだろう?
「貴女のお父上のことですよ。大将軍の奏天生様です」
「そう、てんせい?」
その名前に、私の記憶がある情報をひとつ弾き出した。
大将軍奏天生。友人の書いた小説にそんな登場人物がいる。
脇役だけど、主人公とヒロインのピンチには颯爽と現れて手を貸してくれる渋くてイケメンなおっさん。
私は彼が気に入って、友人に興奮と感想とともにもっと彼の活躍を見たいと頼んだら出番を増やしてくれたりして、思い入れがあるし、今でも気に入ってるお話のひとつだった。
「なあ〜んだゆめかあ! あーよかった!」
「お、お嬢様?」
「あ〜まだゆめみてるのかわたし。いいや、ねよねよ」
夢だからこのベッドはこんなにフカフカなのか。これは堪能しておくべきだな。
私はもう一度ばたんと寝っ転がって、二度寝を決め込もうとした。
「春風!!!!!」
「ほわっ!?」
優しげな見た目の彩さんの向こうからむくつけき男が大音声をあげながら飛び込んできた。
荒削りながらも整った顔立ちだけど、左の額から眉にかけての傷がより荒っぽさを際立たせている。赤みがかった茶色い髪に、鋭い金の目がさらに迫力がある。私は言葉の内容を理解なんかできずにただ竦み上がった。
「春風……? どうした?」
「それが、目が覚めてからご様子が変なのですよ」
「ふむ」
彩さんがカーテンをベッドの柱に括り付けると、男は腕を伸ばして私を抱き上げた。
軽々と抱き上げられて、手で予想はしていたけど自分の身体が小さくなってしまったのだということも自覚したし、私を支える手や腕のゴツさとデカさが規格外なこともよくわかる。この見た目にこの体格、そして今までの言動。どうもこの人が奏天生っぽい。
だとしたら推しキャラに抱っこしてもらえてラッキー、なんだけど……。
抱っこされる感覚までリアルなんて、こんな夢ある? いつになったら私は目がさめるのだろう。
「お前が生きていてくれてよかった。母親だけでなく、お前まで失ってしまったらと思ったら……」
「むぎゅう」
天生は私をぎゅうぎゅう抱きしめながら涙ぐむ。ちょっと、いくら渋いおじさんでも涙と鼻水はくっつけないでほしい。
「天生様、お嬢様はご無事ですから、あまり無茶なことはしないでくださいませ」
「おお、すまん」
天生はお父さんなのか……っていや、そんなはずはない。
確か独身で女にだらしなくてドスケベで、戦いとなれば右に出るものがないのに、その弱点のせいで何度かピンチにもなる程だったはず。私の夢の中だから、改変されてるのかな?
「抱っこはもういいでしょう、天生様。しばらくぶりですので湯に入れて差し上げねば」
「そうだな。頼む」
私は天生さんの腕から彩さんの腕に渡されて、私のものだったらしい部屋からどこかへと連れて行かれる。話の内容からお風呂のようだ。
そして乳母の彩さんの手によって、あっという間にお風呂に入れられた。
あんなとこやこんなとこ、自分で洗うと抵抗したけど、女性が抱っこできるほど幼い子どもが何言ってるんだと思われただろう、ハイハイ大丈夫ですよとか軽く流されて終わった。
すっかりスッキリして、彩さんに彼女が着ているのと似たようなズルズルした服を着付けられて、ゆるく髪を結われる。
「ほうら、出来ましたよ。とってもお可愛らしいですわ、お嬢様。少し痩せてしまいましたが、きっとまた元に戻りますよ」
最後に鏡の前に立たされて、自分の姿を見せられる。
私は絶句した。
誰だコイツ。
私を三倍美化したような女の子がそこにいる。
くりっと丸い大きな目。少し上を向いた小さな鼻。ぽてっとした唇。自分のパーツの名残があるが、大きさとバランスを整えて再配置されている。
ここまでなら十分見られる顔なのに、いつも私が苦労していた主張の強い黒々とした太い眉が台無しにしていた。
名残がそこにあるからこそ余計気味が悪い。
誰だお前。
私は鏡をじっと睨むしかなかった。