……ゆうべはお楽しみでしたね、兄さん
翌日、小鳥の囀りが微かに聞こえ出した早朝、抱き締めていたモフモフな温もりが離れた事により、ふと喪失感と肌寒さに苛まれてしまう。
思わず蠢いて周囲をポフポフと叩くも、そこには余熱が残るだけで何もない。
少々ぼんやりとした後、私が薄目を開くと鍛え抜かれた体躯を晒した上半身だけ裸の人狼犬がベッドサイドに佇み、ばさりと上着を羽織るところだった。
「ガルゥ ヴァルゥウ (やはり朝は冷えるな)」
暖炉の炎は太い薪を密着させて燃焼効率を下げても二刻程しか持たず、灰に埋もれた熾火が燻るだけとなっており、小声で呟いた彼は隅に積まれた薪の傍へ向かう。
部屋を暖めてくれるつもりだろうけど……
(アーチャー、私ね…… 火属性持ちの魔導士なんだよぅ)
案の定、熾火を再燃させるのに必要な小枝や松ぼっくり等が室内に無いため、薪を片手に困り出す。
その様子を眺めつつもブランケットを裸身に纏わせて起き上がり、衣擦れの音に反応して振り向いた人狼犬と視線を交わらせながら、彼が腰元に吊るした念話の仮面を被るまで静かに待った。
「ガルォウァアオオン、グゥオァン?
『起こしてしまったか、ミュリエル?』」
「ううん、別に良いよ…… 薪、持ってきて」
言葉と共に右手を伸ばし、人差し指の先端に魔力を収束させて小さな蒼い焔を生じさせた。
「…… ワフルァ アルオガル ヴォアォオオゥ
『…… 普段から火属性魔法で着火してたのか』」
「ふふっ、最初に出会った頃も似たような事があったね♪」
仕留めたカモシカの肉を焼いてくれようとしたものの、あり合わせの火種に上手く着火できず、ひたすら火打金に火打石を叩きつけていた姿を思い出して微笑む。
「ウォ グガルォオアン
『よく覚えているものだ』」
「色々と衝撃的だったから……」
懐かしむ程とは言えないけれど過去の情景を脳裏に浮かべ、差し向けられた薪の先端を魔法の蒼焔で燃やした。それをアーチャーは暖炉まで歩み寄って火床に放り込み、さらに他の薪も数本追加してくれる。
淡く炎の照り返しを受けた彼の横顔を見つめていると、不意に昨夜の事が照れくさくなって赤面してしまう。
(うぅ、もう人狼犬の姿でも無駄に格好良く見えちゃう)
なんてやや表情を緩ませていたら、テーブルに置いてあったオイルランプを手に彼が戻ってきた。
「ガルゥオン、ヴォ ワフルァアウ? グォルオ ウァオオアァン
『これも頼む、あと手拭はあるか? 自前の物は使ってしまった』」
「ん、そっちのチェストの二段目に入ってるよ」
ベルトに通した革製バックパックを左手で軽く叩き、右手でオリーブ油を蓄えたランプを差し出してきたので、灯芯に火を着けた後の指先をずらして壁際の西洋箪笥を示す。
軽く頷いたアーチャーは鉄製三脚台の下にランプを置いて、銅製容器に入ったままの少量の水を温め、その間に西洋箪笥の引き出しを開いて一点を凝視する。
「うぅ、そこ…… 私の下着も入ってたよぅ」
けれども、彼は何事もなかったかの如く吸水性に富んだ添毛織の手拭を取り出し、量が少ないためすぐに暖まったお湯を掛けて程よく湿らせた。
「クゥオアァウクル
『綺麗にすると良い』」
「うん、ありがとう♪」
手渡された暖かい手拭を受け取った直後、彼のケモ耳がピンと立つ。
「グゥ グルォ ウォオアァン、ガゥアオァウゥ…… ヴォグウ
『もう皆が動き出す時間だ、長居し過ぎたか…… また後でな』」
素早く身を翻したアーチャーが窓を開け放ち、気流操作の魔法で起こした風と共に飛び去っていく。その姿を見送ってから、視線をベッドに移すと其処には綺麗な銀毛が幾つか散らばっていた。
「あぅ~、これも掃除しないと……」
いそいそと一人娘が銀毛を拾い集める中、ヴェスト家の邸宅は普段と変わらない朝を迎える。
他方、狼混じりのコボルトは庭先に植えられた針葉樹の枝葉で身を隠し、骨格や筋線維を変質させて人の姿へ徐々に擬態していた。
「…… すっかり慣れたものだな」
もはや骨格が歪んだり、やや臓器の位置が動いたりする不快感も低減され、俺は微かに眉を顰めたくらいで人化を済ませる。
ただ、集落からの出掛けに初めて人の皮を被ろうとしたバスターが “ふぐぅ” とか、“ぐぉおおッ” など奇声を上げて悶絶していた事に強い共感を覚えたのは嘘じゃない。
腰蓑一丁で力なく地面に横たわった奴は…… 黒髪と黒い瞳を持つ大男の姿になっていた。黒曜の狩人セリカや世界樹の巫女リスティの教育もあり、春先までには片言の大陸共通語は話せるようになる予定だ。
(そしたら、服を買ってやらないとな…… 尻尾穴はあった方がいいか)
また、ルクア村で猫人戦士用の衣服を購入するための算段をしつつも、屋敷の者たちと会わない様に感覚を研ぎ澄ませ、細心の注意を払って客室の前まで戻った。
すぐに室内に入って扉を閉め、一息吐いて椅子に腰掛ければ、ブランケットに包まっていた子狐妹がむくりと身を起して鼻先を動かす。
「…… クァオ ルァアアォオゥ、クォウ
(…… ゆうべはお楽しみでしたね、兄さん)」
「わふぁ、うぉふぁおう…… (なんだ、その口調は……)」
ここぞとばかりに揶揄ってくる妹へ取り敢えずの口止めをしておくが、マザーやランサーにうっかり話してしまう姿が今から目に浮かぶ。
暫時、興味津々な妹に根掘り葉掘り聞かれている内に、長身メイドのリグレッタが扉をノックして朝食の準備ができた事を報せてくれた。
その席でも多少の時間が空いた故か、時折見つめてくるのに視線が合うと動揺を隠せないミュリエルを気遣う事になり、アデリア婦人に微笑ましいものを見る表情を向けられてしまう。
(これも致し方無いか……)
やや気疲れしたものの、その後は彼女の部屋で子狐妹を交えて穏やかに過ごし、ちゃっかりと昼食まで頂いてから俺たち兄妹はヴェルハイムの町を発った。
因みに帰路は巨大な銀狼姿へ獣化して、背に誰も乗せずに軽やかな足取りで草原を進む。
「クォン、オゥアオゥ~ (兄ちゃん、乗せてよぅ~)」
「ガゥッ、グルァ ガルォアウゥ!! (はッ、俺に追いつけたらな!!)」
道中、子狐姿の妹を全力で走らせて、へばったら背中に乗せてやるのを繰り返し、集落まで緩急を付けた運動をさせたのは言うまでも無い……
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