自分の事ほど、分からないのは珍しくも無い
迎えに来たメイドと共にミュリエルが自室を出た頃、彼女たちが向かう女男爵の執務室では、一連の顛末が子狐を伴ったアーチャーから報告されていた。
既に麻縄織り袋へ放り込んだレッサーバンクルは控えていた長身メイドのリグレッタに手渡され、この場から持ち出されている。
結果的に石膏病を蔓延させる厄介な魔獣は速やかに捕獲できたものの、聞かされたのが都合良い話ばかりでもないため、執務机の椅子に座したアデリアは軽く片手で顔を覆って溜息を零す。
「…… 私はレッサーバンクルを捕まえる事を競えとは言いましたが、街中で殴り合えとは言った覚えがありません」
「それについては不可抗力だと言わせて頂きたい」
子爵家の跡取りに大きな怪我をさせないため、様々な事柄を配慮した上で試しの内容が決められた経緯は理解しているが、仕掛けてきたのは忠実すぎる侍従や誘いに応じたディークベル殿だ。
(まぁ、俺も乗り気になっていたが……)
例えば戦場で心振るわせる猛者に出遭っても、殺し殺される関係で斬り結ぶのは一度限り、故に殺意を抜きにして純粋な技量をぶつけ合うのも悪くはない。
負けが死に直結し難い状況でこそ己の力不足を嘆く余裕もあるし、生きていれば悔いが残らないように更なる鍛錬を積む事もできる。
(“日々精進、倒れる時も前のめり” だな)
ふと鍛錬に明け暮れていた傭兵時代を思い返し、少々懐かしんでいる間にも御婦人は何やら呟きながら思考を纏めていく。
「弓兵殿…… 確認しますけど、先に手を出してはいませんね?」
「一応、初撃は全て相手に取らせてあります」
そのあたりは配慮していたので、殴り掛かってきた護衛や侍従の娘は言わずもがな、ディークベル殿にも初手の水弾をしっかりと撃たせていた。
「それならば、大きな問題にならないでしょう。子爵家当主のリグライト殿は道理に煩い方なのですよ、良くも悪くも……」
娘と同じ赤髪を掻き揚げ、やや含みのある苦笑を浮かべた妖艶な御婦人を見る限り、ディークベル殿の父親は拗らせると扱いづらい御仁なのだろう。
要らぬ面倒を掛ける可能性があるため、一言添えておこうと口を開きかけたところで、足元に座していた子狐妹がケモ耳をピンと立てて扉を振り向いた。
「クァウーアァン、ガゥルオウゥ♪ (ナタリーが来たよ、お昼ご飯かな♪)」
丁度、昼時なのもあって、ここ数日ですっかり心と胃袋を掴んだ料理上手なメイドの足音に反応した妹が尻尾をパタつかせていると、執務室の扉を丁寧にノックする音が響く。
「奥様、お嬢様をお連れしました」
「ありがとう、手間を取らせたわね」
労いの言葉を受けてゆっくりと扉が開き、一礼したナタリーはそのままにミュリエルだけが入室したので、昼食を期待して駆け寄った子狐がトボトボと戻ってくる。
「ウゥ~ (うぅ~)」
「どうしたの、ダガーちゃん?」
「いや、気にしなくていい……」
聞かれた疑問に応じつつも視線を投げれば、彼女は俺の顔をじっと見つめて手を伸ばしてきた。
「ん、口端が切れちゃってる…… 集え癒しの聖光」
頬を挟んだ柔らかい両掌から暖かい白の魔力光が浸透し、ヒーリングライトの魔法が口腔の傷も含めて癒していく。
(不謹慎だけど、私のために付いた傷だとしたら嬉しいかも…… なんてね)
何故か表情を赤らめて添えた手を離し、怪我の理由を問うように彼女が見つめてくるので、若干の気まずさを感じながらも簡素に事情を話す。
「少し、ディークベル殿とやり合ってな……」
「え゛、先輩は大丈夫なの!?」
「お互いに手加減はしていたさ」
かなりの使い手だった事も併せて伝えるとミュリエルは不思議そうに首を捻ってしまう。彼女の知る限り、彼は強者を相手取るような実戦派では無かったらしい…… という事は短期間で相当な研鑽を重ねたようだ。
長期的な人化の維持により、感覚や膂力に枷が嵌って生じたストレスを発散させてくれた準魔導士殿に感謝を捧げ、まだ納得できていない彼女を促して御婦人に向き合う。
「多少、想定外もありましたけど街中へ紛れたレッサーバンクルを捕らえた技量、娘を任せられる最低限の実力と認めましょう」
「最低限、それはつまり……」
確認の意思を籠めた問い掛けに対して、御婦人は静かに頷く。
「えぇ、婚約を許可します」
「ち、ちょっと待ってお母さんッ!!」
ちらりと遠慮がちにミュリエルが俺の表情を窺うが、恋人の振りをする指名依頼を受諾した時点で、それも含めて引き受けたつもりはあった。
寧ろ、正式な婚約者となっている間は望まない縁談を持ち込まれる事も無いだろうし、いざ式を挙げる段階になったら理由を付けて解消してもらえば良い。
(冷静に考えたら、割の合わない依頼だったか……)
自分自身に呆れつつも、何とか母親に食い下がろうとする彼女へ助け舟を出す。
「すぐに結婚しろという訳でもないし、嫌になったら離れてくれても構わない…… 俺と共に生きてくれないか、ミュリエル」
ある意味で依頼だと割り切っているため、素面でも照れずに言える台詞を吐きながら手を差し出したものの…… 彼女は真っ赤な顔で固まってしまう。
「…… 私で良いの?」
「勿論だ」
おずおずと差し出された手を握り、上目遣いに確認してくる彼女に即答すれば華が綻ぶような笑顔が返ってきた。
(ッ、なるほど…… 未熟なものだな)
此処に至って利が少ないにも関わらず、曖昧な理由で応じた依頼の裏側に無自覚な下心が潜んでいた事実に失笑しつつ、繋がれた手を引いてミュリエルの身体を少しだけ傍に寄せる。
「ふふっ、二人とも仲が良いわね」
「あぅ~」
にやにやした御婦人に散々揶揄われた後、ディークベル殿の相手もあるという事で先に昼食を取るように勧められて、疲れ切った様子の彼女と一緒に執務室を辞した。
なお、食堂で出されたのは昼も夜も牛肉のステーキがメインディッシュだった事もあり、妹は終始ご機嫌で肉に齧り付いていた事を付け加えておく。
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