いいえ、全ては私の不徳の致すところです
「ッ、アズライト様!」
「レッサーバンクルがッ!!」
護衛たちの言葉に促されて彼らの主が街路の先を見れば、栗色のフサフサした毛並みを持つ小さな魔獣が疾走しており、その背後からは子狐とヴェスト家の邸宅で引き合わされた競争相手が迫っていた。
「好機ですッ」
「分かっているよ、レインッ!」
都合よく近づいてくる標的にアズライトは右腕を突き出し、市街地用に威力を抑えた風刃の術式を構築するが、路上の住民たちが障害となるために射線の確保ができない。
「くッ、撃てないか……」
「ならば距離を詰めましょう!!」
そう言うや否や、侍従のレインがスカートの裾を翻して駆け出し、他の護衛たちも彼女に続いたところで、敏感な反応を見せたレッサーバンクルが大通りと交差する裏路地へ飛び込んでいく。
「ククゥッ!」
「キュウゥ!!」
僅かに遅れて子狐も裏路地へと猛追する中で、動き始めたディークベル家の者たちと二匹の獣を追いかけてきた銀髪の冒険者が鉢合わせてしまう。
「ッ、先に行ってください!」
「無理はだめだよッ、レイン!!」
件の嫡男殿が護衛一人を従え、気遣う言葉を残して離脱する様を一瞥し、俺は進路を塞ぐように立ちはだかった侍従の娘と護衛二人に胡乱な視線を投げた。
「…… 相手への妨害は認められていたか?」
「いいえ、全ては私の不徳の致すところです… けど、それも一つの手段でしょう」
流石に街中で不用意に刃を抜く事は無いようだが…… 菫色の髪を揺らしてレインと呼ばれた少女が慇懃無礼な態度を取るのに合わせ、斜め前方から右腕を振りかぶった護衛が殴り掛かってくる。
「悪く思うなよッ!」
「あぁ、気にしなくていい、罷り通るッ!!」
力任せに振り抜かれたその打撃を左手甲で払い除け、逆に魔力由来の旋風が纏わりついた右正拳を鳩尾へ叩き込む。
「ぐはッ、おま…… がッ!?」
衝撃で僅かに押し戻され、痛みに思わず上半身をくの字に曲げた護衛の顎先を狙い、止めの膝蹴りを打ち込んで路上に昏倒させた。
「貴様ッ、よくもリックをッ!!」
間髪入れずに俺の側頭を目掛け、もう一人の護衛が横合いから繰り出した上段回し蹴りをしゃがみ込んで躱し、路面に右掌を突いた状態で姿勢を維持して迂闊な相手の軸足を蹴り抜く。
「せいッ!!」
「うぉあッ!? ッ、うぐぅ…ぁ」
両脚を浮かせる事で体勢を崩しつつも素早く立ち上がり、倒れ込んできた護衛の首筋へ鋭い手刀を叩き込んで意識を刈り取った。
「すまないな、悪く思うなよ……」
暫時の間に二人の護衛を無力化して視線を侍従のレインに戻せば、左肩の上まで持ってきた右腕を鞭のようにしならせ、掌に握り込んでいた黒い何かを放つ!
小柄で可憐な姿に少々油断していたとは言え、俺の眉間を狙った投擲の精度と速度はとても素人の域ではない。
「うぉおおッ!?」
紙一重で籠手に覆われた右腕を掲げて小鉄球を弾くも、顔面に迫る飛翔物に注意が逸れた隙を狙って、瞬時に踏み込んできた彼女が右脚でローキックを繰り出す。
「せッ!!」
「ちぃッ」
左脚を軽く浮かせて下段蹴りの威力を逃がすと、瞬時に右膝を内旋させて脚を跳ね上げ、此方の延髄に上段蹴りを叩き込もうとしてくる。
それも一歩下がって上体を傾ける事で躱したが、蹴り脚の遠心力をそのままに半回転しつつ、距離を詰めた彼女は左拳のバックハンドブローを叩き込んできた。
「やぁああッ!!」
「ッ、見切った!」
三連撃目にしてようやく動きを捉えた俺は左腕で渾身の一撃を受け止め、直後に素早くレインの手首を掴んで引っ張りながら足も掛けて石畳へ倒す。
「うきゃあッ!?」
小さな悲鳴と共に路上へ転がり、少しの距離を開けて膝立した彼女に追い縋って、勢いを乗せた中段蹴りを胸元へ放つものの、交差させた両腕に防御されてしまう。
その状態から彼女は身体を撓めて飛び退り、さらに後方宙返りも織り交ぜて間合いを取り直した。
「くぅッ、容赦がありませんね、この獣ッ!!」
「…… これでも加減しているんだがな」
因みにさっきの蹴りも威力は抑えてあり、侍従の範疇を明らかに逸脱する動きを見せた相手に対し、程良いくらいに調整していたつもりだ。
(侍従は表向きで本職は護衛、若しくは暗殺者か……)
(…… 弓兵の動きじゃない、こんなの詐欺です)
暫く訝しげな視線を交し合った後、野次馬たちがざわつき始めるのを互いに察して、次で決めるべく神経を研ぎ澄ませていく。
「シッ!!」
短く呼気を吐いた俺は低い姿勢から弧を描くようにレインへと一瞬で近接し、顎先を狙った掌底を打ち出そうとするが、後の先を取ったような狙い澄ました飛び膝蹴りの反撃に遭う。
「ッ、喰らいなさいッ!!」
「ぐぅッ!」
顔面に膝が叩き込まれる寸前で左腕を挟み、なおも膝に乗せた自重で動きを押さえて手刀を振りかざす彼女に対抗して、四肢に力を滾らせて腕を振り抜く事で強引に小柄な身体を跳ね除けた。
「はッ、軽いんだよ! 一撃がッ!!」
「なッ!? かはッ……」
宙空にて僅かな隙を晒したレインの顎先を右掌底で穿ち、着地に際して体勢を崩した彼女の首筋に意識を沈める一撃を入れた。
「あ、アズライト様…… 申し訳ッ…… ぅぁ…」
「…… こいつも中々に難儀な奴だな」
他人の事情に口を挟んで馬に蹴られるのも性に合わないため、主に対する忠義というには些か身を挺しすぎている侍従を支えて石畳に寝かせてやり、この場に駆け付けてくる自警団員を一瞥した後、俺も小さな魔獣を追いかけて路地へ飛び込んだ。
人物紹介
名称:レイン(♀)
種族:人間
階級:侍従兵
技能:護身術 暗殺術 投擲
炊事 洗濯 掃除
称号:ディークベル家時期当主の従卒
武器:仕込みナイフ・小鉄球
武装:侍従服・青水晶の髪留め
ガーターリング(ナイフ用)
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