アデリア・ヴェストという淑女
そのまま扉の前で暫く待つものの、部屋の中からは何の返事もない。
「入るよ、お母さん」
一声掛けてからミュリエルが開いた扉の先、日当たりの良い窓を背に執務机の椅子へ腰掛けた赤毛の淑女が手元の書類を机上に降ろし、思慮深さを感じられる鋭い視線を向けてくる。
「思ったよりも早かったわね…… お帰りなさい、ミュリエル」
「ん、ただいま戻りました」
「少し大人びて見えるという事は相応の経験を積んだのかしら?」
「うん、冒険者として色々と頑張ったんだよ」
ざっと娘の頭頂から爪先までを一瞥した御婦人が不敵にほほ笑み、一緒に入室してきた俺へと興味を移す。
「ところで、そちらの御仁を紹介して欲しいのだけど」
「えっと、そのぅ……うぅ、緊張するよぅ」
もじもじと恥ずかしがって言葉を詰まらせたミュリエルの後を継ぎ、彼女の母親である御婦人と向き合う。
「初めまして女男爵殿、ゼルグラのギルドに属するアーチャーと申します」
公式の場ではないので少し首を傾げる程度の会釈をするも、挙動不審な娘の様子を踏まえた厳しい眼差しを返されてしまった。
「それで…… アーチャー殿はうちの娘とどういう間柄でしょうか?」
「フェリアス公が主導したヴァリアント討伐で縁がありまして、日は浅いのですが、親しくしております」
依頼だと割り切っている事で逆に緊張せず堂々と答えれば、御婦人は再び視線をミュリエルに戻して、やや重めな溜息を吐く。
「はぁっ、帰郷に合わせて親しい異性を連れてきたという事は……」
「うん、お付き合いさせて貰ってるの」
「…… 困ったわね、私が冒険者と婚約した時の親心が分かってしまったわ」
「うぅ、ごめんね」
殊の外、真摯に受け止める母親を誤魔化す事に罪悪感が高まったのか、ミュリエルは肩を竦めて申し訳なさそうに縮こまり、その様子を見た御婦人が何かを決意した表情で話を切り出す。
「自分で決めた事なら胸を張りなさいッ、私はクライストを選んだ事に一片の曇りもありませんでしたよ」
(中々に効果的な追撃を繰り出してくるなぁ……)
きっと、多少の後ろめたさを持つ彼女の心に的確なダメージを与えているはずだ。
なんて他人事のように考えていたら、俺にも流れ矢が飛んできた。
「アーチャー殿、私が貴方に求める条件は二つです」
執務机に両肘を突いて両手の指を交差させ、挑むような視線を向けながら御婦人が言い放つ。
「娘にこの選択を後悔させない事、それと貴方自身の有用性を示してください」
ふむ、最初の条件は母親としての考えで、次は行政官を務めるヴェスト家に関係するのだろうが、些か具体性に欠けている。
「…… どのようにそれを証明すれば?」
「そうですね、お見合いの話があるディークベル家の嫡子殿と競って貰います」
どうやら寄親のシュヴァルク伯がお膳立てした手前、婚約を断るにもそれ相応の理由が必要であり、その嫡子殿が娘婿に相応しいかを見定めた結果で決めるらしい。
俺はヴェスト家が懇意にしている冒険者の立ち位置で、ディークベル家嫡子殿の当て馬となる訳だ。
「あぅ…… 頑張ってね、アーチャー」
「試しとやらの内容次第だな」
急な話なので詳細は事後になるが、実質的には俺も試される側なので、内容は公平を期すものになると思っておいた方が良いか。
(勿論、後塵を拝するつもりは無いが、相手によるところも大きい)
周りの状況を見つつ今後の展開を想定していると、御婦人がふと思い出したように話を付け加えてくる。
「そう言えば、娘の肖像画を事前に送りましょうかと先方に確認したら、魔術学院での面識が多少あると返答がありましたね」
「…… 知り合いなのか、ミュリエル?」
微かな疑問を抱いて彼女を窺えば、小首を傾げて可愛らしく唸り出した。
「う~ん、学院… ディークベル…… あ、知っているかも!」
魔術学院に在籍して四年目の春先、黙っていれば見目秀麗な親友を口説いたとある貴族の友人という事だ。
「でね、しつこく付き纏われたエルネスタが嵐撃の拳を叩き込んじゃって…… その人を諫めていたディークベル先輩も巻き添えになったんだよぅ」
気の毒に思ったミュリエルがヒーリングライトの魔法で彼を治癒して以降、“最早、学院で学ぶ事など微塵も無いッ” と学園長に啖呵を切った征嵐の魔女の道連れとなり、一緒に早期卒業させられるまでの期間に多少の交流があったらしい。
なお、彼の御仁はミュリエルの帰郷に合わせてヴェルハイムの町に滞在する予定になっており、俺も一連の物事が終わるまで屋敷に滞在して構わないという許可を御婦人から頂いた。
こうして大体の話が纏まったところで執務室を辞した直後、空気を読んで大人しくしていた子狐妹が肩の上で盛大に吐息を漏らす。
「ウゥ~~ッ、ワフィ クルォアゥ (はぁ~~ッ、何か疲れたよぅ)」
「ぐるぁあぅ (上出来だ)」
小さな四肢を投げ出して、べちゃりと腹で肩に乗っかる子狐の頭を軽く撫ぜてやりつつも、客室に案内してくれるというミュリエルの後に続いた。
……………
………
…
その二人と一匹が去った執務室では、やや疲れた表情をしたアデリア・ヴェストが執務机から先日届いた羊皮紙を取り出して目を通している。
びっしりと細かい文字が書かれた小さな紙には、グラウ村撤退からヴァリアント討伐戦の事などが記載されていた。
「一応、協力者からの報告と相違はありませんね……」
当然、ミュリエルは知る由も無い事だが…… 彼女の仲間であるミレアは早い段階でヴェスト家に買収されており、都市ウォーレンのギルドに預けてある特殊な調教を受けた往復鳩にて、一人娘の近況を知らせる役目を密かに担っていたのだ。
「それにしても、何やってるのよ…… あの子は」
記載された “酒場で出会ったその夜にアーチャーの宿部屋を訪ねて深夜に帰ってきた” という部分を見て、育て方を間違えたかしらとアデリアは重い溜め息を零してしまう。
ただ、昔を思い返せば自身もクライストに一目惚れした節があるため、一概に否定はできないと思い直して次の確認すべき部分を押さえていく。
「ヴァリアント討伐戦にて近衛種2匹を討伐……」
脅威度Cに分類される近衛種を二体も屠ったとの記載が事実ならば、金等級に近しい実力を持つ事になる。
加えて、先ほど現物を少し観察した奇妙な機械弓の出元も気掛かりだ。弓使いでもある協力者の私見では、王侯貴族が持つようなハンドメイドの逸品だと言う。
「…… よく分からない御仁ですが、婿として悪く無いのかもしれませんね」
暫し考えを纏めた後、女男爵は一人納得するように頷いた。




