ミュリエルの帰郷
元々、手紙で書かれていた帰郷の期日に余裕があったので、特に急ぐ必要はなかったが、巨狼姿が内包する踏破力のお陰でミュリエルを背に乗せていても、事前の想定より早く辿り着いたと言えよう。
兎も角、この状態で街道を進めば巨大な狼型魔物が現れたと騒動になる事は必定なので、少々離れた茂みに身を隠して人の皮を被っておく。
(ッ…… それなりに慣れてきたな)
当初に比べて、いつの間にか骨格や筋肉の付き方の変化を自然と受容できる身体に仕上がっていた。
今頃、集落では人化に慣熟するため、バスターが顔を顰めて苦労しているだろうと思いつつ身なりを整え、子狐妹を抱っこしたまま座り込むミュリエルの傍へ戻る。
「お帰りなさい、ほら、ダガーちゃんも♪」
「キュウ!」
「仲良くなったものだな、悪い事ではないが……」
彼女が膝上に乗せた子狐の小さな手を持ち上げている様子を一瞥した後、駄獣用の布鞄から革鎧などを取り出して身に纏う。
さらに曲刀の鞘を掴んでベルトに通した剣帯へ差し、愛用の機械弓バロックを鎧の背部に備え付けてあるボウクイーバー(弓用革ベルト)へ収めた。
その間にミュリエルは目的地を前にして残り少なくなった食料を大きめの麻袋に入れ替え、空になった布鞄と俺専用の革製ハーネスを片付け始めている。
「ん、これでよしっと!」
短くも快活な声に応じて、綺麗に纏めてくれた荷物へ手を伸ばして持ち上げ、少々先に見える街道に視線を流した。
「さて、行くとするか」
「うん、此処までくればもう少しだよぅ」
何はともあれ久しぶりの帰郷が嬉しいのか、赤毛を揺らして上機嫌に歩く彼女を子狐と共に追う事暫し、ヴェルハイムの外縁部にある牧場に差し掛かったところで、干し草を運んでいた夫婦が目を細めて此方を凝視してくる。
「……… あれ? お嬢じゃないですかッ!」
「お久しぶりです、ミュリエル様」
「ラスターさん、奥さんも、ただいまです♪」
柔らかな会釈と共に手を振って通り過ぎるも、今度は鶏舎付近で年配の御仁に呼び寄せられ、ミュリエルは赤っぽい卵を二つほど握らされて戻ってきた。
「ふふっ、実は卵の色って鶏の毛色と同じなんだよ! 赤茶毛の子なら赤っぽくて白毛なら白い卵、栄養価は変わらないけどね~」
「そうなのか、知らなかった」
通常の卵は赤いほうが割高で、白い卵よりも美味しい気がするが…… どうやら錯覚らしい。
因みに集落で飼っている雌鶏が週二個くらいの卵を産むのに対して、クライスト・ヴェストの指導で先代の治世から産卵頻度の高い雌に次世代を産ませる事が徹底された此処では、雌鶏は週四個ほどの卵を産むという。
(ふむ、養鶏者も暗に分かっていたと思うが、明確な指導が奏功した訳だ……)
ほくほくした表情で貰った卵をそっと腰元の革鞄に仕舞う彼女を見る限り、歴代の行政官を務めるヴェスト男爵家と畜産を営む者たちの関係は非常に良好のようだ。
色々と感心しながら畜産施設の集まる外縁部を抜けて耕作地に至り、やがて住居などの建物が並ぶ街区に足を踏み入れる。
「これは…… 町の規模をとっくに越えているだろ」
「うん、初夏を迎える頃に小都市へ昇格するみたい」
さすがに、王都セルクラムやフェリアス領の中核都市ウォーレンには遠く届かないにしても、昼前の中央通りは人々の姿も多く、発展を遂げている場所が持つある種独特な活気があった。
「ウ~、ガゥオァウ…… (う~、人だらけ……)」
「わ、ととっ!」
下手をしたら踏まれる可能性もあるため、人の多い場所を嫌った子狐妹が厚手の外套に爪を立ててミュリエルの身体をよじ登り、彼女の狭い肩にへばりつく。
そうして雑多な店が軒を連ねた街路を進み、中央部の北側に建つヴェスト家の邸宅まで辿り着けば、表通りを窺える建屋から長身のメイドが姿を見せて歩み寄り、淀みない所作で門扉を開いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ありがとう、リグレッタ」
軽く会釈をしたリグレッタ嬢が俺に胡乱な視線を投げてきているが…… 自らの職務に忠実な性格なのか、表面上は詮索をせずに敷地内へ迎え入れる。
それから、比較的こじんまりとした庭を渡って本館に入ると、ミュリエルは一階奥側に直行して厨房らしき部屋を覗き込んだ。
小綺麗な調理場では小柄なメイドがせっせとパン生地をこねて、まだ少し早いが昼食の仕込みをしている。
「むぅ、予定より早めの御着きですね…… お嬢様」
「ナタリー、私と彼に…… この仔も昼食を用意できる?」
未だ肩に “ひし” としがみついていた子狐の頭を撫でつつ、彼女は予定されていない自身と来客分の食事が出せるかをメイドに確認した。
「ん~、まだ時間がありますので善処します」
「すまないな、ご馳走になる」
今日の調理担当であろうナタリー嬢に対して俺が謝意を示す傍ら、ミュリエルは革鞄から先程の赤い卵を取り出す。
「これ、ラグ爺から貰ったの、お昼に使えるかな?」
「そうですね…… 目玉焼きにしてソーセージと付け合わせましょう」
少し思案してから言葉を紡いだメイドと暫し会話を続けた後、一先ずミュリエルの部屋へ寄って旅の荷物を置く。
そこで小休止を挟み、男爵殿の不在時に町役場から届く書類を代理決裁しているという御婦人の下へ向かう。
「う~、頑張らなくちゃだよッ、私!!」
「やや大袈裟な気もするけどな……」
執務室の前で気合を入れた彼女が抱いた子狐妹を受け取り、響くノックの音を聞きながら俺も意識を切り替えた。
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