三十六計逃げるに如かず!
目的の町はリアスティーゼ王国中南部のシュヴァルク伯爵領に属し、良質な食用の牛や豚、鶏を育てる畜産業で十年くらい前から有名らしい。
それも全て生物学者クライスト・ヴェストの手腕なのだと、ミュリエルが旅の途中で自慢げに語ってくれたが、百聞は一見に如かず。
(まぁ、旨い肉が喰えるならケダモノ冥利に尽きる)
大半のコボルトはそのために生きていると言っても過言ではない。
数日前の冬野菜パスタなども偶には良いものの、やはり肉が無いと味気ないため、ブレイザーが仕留めてきたアナグマの肉も炙って一緒に喰った。
という訳で、畜産が盛んな町と聞けば脚も軽くなるのだが……
「クァオルゥ、オゥファルア? (もしかして、道に迷った?)」
巨狼と化した俺の頭上にしがみ付く子狐が言う通り、一刻程前から濃い霧が出てきて感覚が惑わされ、何度か足を止めてしまう。
そんな俺を気遣ったのかミュリエルが身じろぎする感覚が背に伝わり、間を開けずに声が届く。
「ん~、方位磁石を見る限り、方角は合っているはず…… でも、まだセルクレナの森から抜けないし、やっぱりおかしいよね?」
折に触れて見せてもらった彼女の冒険者用の地図では、比較的に小規模な森として記載されていたセルクレナは横断するのに半日もあれば十分なはずだ。
いまだ終わりの見えない現状を考えれば、彼女が持つ方位磁石も当てにならない。
(それに靄のような霧に極微量の魔力が含まれてやがる…… 嫌な感じだ)
だが、立ち往生していても仕方ないため、再び妹と彼女の重みを感じながら四つ足で月下の森を進むこと暫し、視界が開けて森の外縁部に埋もれたような廃村の入口に辿り着いた。
パキリという音に反応して足元を見れば腐った木製のプレートがあり、恐らく村名が刻まれていたと思しい、損傷が激しくて読めたものではないけどな。
「ここ、多分、ヴァンベルクの村だよ……」
巨狼の姿では声帯の都合により発音できなくとも、いつもの如く大陸共通語は理解できるため、ミュリエルは気にせずにひとり言葉を紡いでいく。
「私が子供の頃に行きずりの野盗団に襲われてね、百人以上が犠牲になって生き残った村人も別の町に移住したから、そのまま潰れちゃったの」
「クォルファウ ウォアン (珍しくもない話だ)」
当時は女男爵である母に代わり、シュヴァルク伯爵の招集に応じた父クライストがヴェルハイムの自警団を率いて駆け付け、隣接領へ逃げ込もうとする野盗団追跡に参加したので幼い記憶に残っていたそうだ。
やや年季の入った廃村を抜けてセルクレナの森を出るため、この地に眠る御霊に黙祷を捧げた後、打ち壊された建物が並ぶ廃村の中心に向かって進む。
大抵、村や町の中心部は住民が集まれる開けた場所になっており、ヴァンベルクの広場には森林が蓄えた地下水脈が通っているのか、立派な井戸が掘られていた。
その傍らに何故か幼い少女が蹲り、すすり泣いている。
(怪しさしか感じねぇ……)
妹も同じようで四肢に力を籠めて不機嫌そうに唸り出し、ミュリエルもどう反応したものかと言葉を詰まらせてしまう。
俺は極力気にせずに迂回して通り抜けようとするが、厄介な事に今度は幼い少女を挟んだ街道側から別の気配が近づき、この場では違和感がない村娘の衣装を纏った黒髪灼眼の幻想的な女性が姿を見せる。
「今晩は、赤毛のお嬢さん、今日は綺麗な下弦の月ね……」
巨大な銀狼に跨る魔導士娘を見ても何ら怪しむ事無く、柔和な微笑と共によく通る声で話し掛けてきたかと思えば、彼女はさらりと視線を転じた。
「あ、あのッ、貴女は?」
「しがない魂の救済者よ、偽善に過ぎないけど」
それだけ言うと無造作に腕を翳し、掌から射出された白銀の糸がすすり泣きを止めて不穏な魔力を撒き散らし始めた幼い少女を貫く!
「グゲッ、ギィアアァァァアァッ!?」
「ん、喰らった幼い魂で擬態していたのね」
素早く腕を振るって糸を手繰り寄せ、似つかわしくない声で苦しみ出した少女から淡い燐光を放つ人魂を引き抜き、不定形に揺らぎ続けるソレを慈愛に満ちた表情で抱き留めた。
「もう大丈夫よ、少しだけ待っていなさい」
優しく呟いて微笑む彼女の前方、人魂を奪われた少女の身体が紫色に変色し、さらに歪に膨らんで幾つもの不気味な人面瘡が身体中に生じる。
然程の時を必要とせず、顔だらけの醜い巨大な肉塊が中空に浮かび上がり、意味不明な罵詈雑言と金切り声を響かせた。
「ギァアァアァァアアァァアァッ!!」
「うぅ~、気持ち悪いよぅ…… ナイトメアの変異種かな」
「ワフィ ヴァオァアウッ (何か嫌な感じがするッ)」
ここにきてミュリエルと子狐妹の意見が一致するも、それどころではない。
先ほどの精神に過負荷を与える絶叫に呼応して、部分的にぬかるんだ地面から次々と大量のスケルトンが這い出す。恐らく、犠牲になった村人や迷い込んだ旅人の成れの果てだろう。
「クォンッ! (兄ちゃんッ!)」
「ガゥ、ガゥオォアンッ (ちッ、囲まれてやがるッ)」
即座に退路を探して周囲を見渡した瞬間、大地から飛び出した幾本もの銀糸がスケルトンに絡み付き、全てとはいかなくとも殆どの動きを封じた。
「ッ、アオォオン!! (ッ、機に乗じる!!)」
「うきゃああッ!?」
「キュウッ!?」
悲鳴を上げてしがみ付くミュリエルたちに構わず、俺は四肢に力を滾らせて疾駆し、動きを押さえ込まれた骸骨どもの脇を抜けて一目散に離脱していく。
「ガゥ、ガルァオウ ヴァンファオウゥ
(はッ、相手にする義理は無いからな)」
先ほどの様子と刹那に感じた黒髪灼眼の女性が持つ底知れない濃密な魔力なら、別に助太刀の必要も無いと割り切って、壊れた木柵の残骸を飛び越えて街道に続く濃霧の中へ飛び込んだ……
他方、銀毛の巨狼たちが去った後のヴァンベルクでは、使役する骸骨の大半を封じられたナイトメアが無数の人面瘡に苛立ちを浮かべ、そのひとつが身の程を弁えずに七つの災禍 “百万の魂を喰らいしモノ” に向かって巨大な黒焔を吐き出す!
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