不意討ちは突然に……
途中からイーステリアの森北部に入って木々の合間を一日ほど南下し、集落の水源であるスティーレ川付近にまで差し掛かった頃にはお互い順応していたものの、想定よりも移動に時間を要したのは否めない。
(気侭に走るだけなら、半日もあれば十分だが……)
確か、行き掛けは昼前ぐらいに集落を発ち、軽く休息を挟んでも夕暮れ時には都市ウォーレンの外縁部まで到着していた。
因みに銀狼としての生物的ポテンシャルなら、集落から都市ウォーレンまで80㎞程度の距離を一刻半もあれば走破できるはずだ。
だが、そんな速度で走れば背に乗ったミュリエルが振り落とされるし、普通に体勢維持しているだけでも体力を消耗するらしく、疲れ気味の声をケモ耳が捉える。
「うぅ、ごめんね、また休憩してもいい?」
「ガウゥ」
返事代わりに一声咆えた後、集落にほど近い場所ではあるものの、別に急ぐ必要がないので地に伏せて身体を休め、片耳を立てて川のせせらぎに意識を傾けていく。
「ん、水飲んでおこうかな……」
背中から降りた彼女がふらふらと川辺に吸い寄せられるのを眺めていたら、風下から微かに茂みを鳴らす音が聞こえた。
「クォン、ワフィガルゥ (兄ちゃん、なにか来るね)」
「ガォウァ…… (そうだな……)」
短く会話を交わすと、妹が子狐形態のまま樹に駆け登って姿を枝葉に紛らわせる。俺もゆっくりと巨躯を起こして音の発生源を睨み、無警戒に姿を晒しながら近づいてくる黒毛混じりの巨狼を視界に捉えた。
「ガオゥ、グルァ (よう、大将)」
「ガゥ、グルァアゥ (あぁ、バスターか)」
俺の知らない間に獣化能力を得たのか、厳つい巨狼となっているが…… 嗅覚に感じる匂いは腕黒巨躯の幼馴染が持つものだ。やがて適度な距離で足を止めたバスターは目を細め、川辺から戻ってくるミュリエルを見遣り、すぐに視線を戻す。
「オォア クゥオルァオゥン…ッ (どこか記憶にある匂い…ッ)」
意味ありげな表情で奴が言葉を綴っている瞬間、樹上で聞き耳を立てていた子狐が飛び出して、満面の笑顔で落ちてくる!
「クォ~~ッ♪ (とぉ~~ッ♪)」
「ウオォッ!? (うおぉッ!?)」
咄嗟の反応が遅れたその背中へ妹がぶつかり、ぽよんとワンバウンドしつつもへばりついた。
「ファルォンッ (隙ありだよッ)」
「クッ、グァウ! (くッ、不覚!)」
「ワファアオォン (何やってんだよ)」
「ふふっ、なんだか楽しそうね」
微笑ましいものを見たような柔和な表情を浮かべたミュリエルが戻ってきたので、再度しゃがみ込んで背に跨らせてから立ち上がる。
「グルヴァル、クゥア グァオァルゥ?
(俺は帰るが、お前は狩りの途中か?)」
「ヴァ、グォルガォ ガルォウ ルゥアァオウゥ…… ウルヴァオル
(いや、新しい力の慣らしが終わったところだ…… 一緒に戻ろう)」
背中に子狐を乗せたまま腕黒の巨狼が踵を返し、俺も隣に並んで集落へ向かう。その合間に狩りへ出た年長の仲間二匹が巨大サソリに喰い殺された事を聞いた。
「ガルゥ、グォ ガルグォルウ…… (勿論、既に仇は討ったぜ……)」
「ガォン、ワォアァン (そうか、ありがとう)」
魔物も人間も生きていれば腹が減るし喉も乾く、日々の糧や水源などの土地を求めて争いが起きるのは必定で…… 譲れない戦いの中で命を奪う事もあれば、落命する事もあるだろう。
(理解していても割り切れるものじゃねぇがな…… いずれにしても困ったものだ)
不在時に仲間を失った状況で、すぐにまた出かけるのは群れの長として問題がありそうだ。最悪、ミュリエルに詫びて依頼を断るのも考えるべきか?
だとしたら、ゼルグラかウィアルドの町あたりに彼女を送り届けるのが無難かと考え始めたところで、思案顔の俺を窺っていたバスターが微妙な気遣いを見せる。
「グゥファルウォ…… グルァ、ヴァフクゥアルォン?
(浮かない顔だな…… 大将、背中の雌に関する事か?)」
「ン、グァフルァオウゥ (ん、間違いではないな)」
何気なく返した言葉に奴は暫時瞑目して、いつもの如く言い切った。
「クァル クゥアァオウ、ガゥル ウォオオォン
(惚れた雌のためだろう、群れは任せて行けよ)」
自身は惚れた相手に対して奥手の癖にグイグイと押してくるな…… 確かに、群れの雌に欲情できない俺としては人間の異性を意識してしまうのも否定できない。
まぁ、そのミュリエルは気楽なもので、背中の上から暢気な声が聞こえてくる。
「なに話してるんだろうね~、ダガーちゃん」
「ワファン? (どしたの?)」
話し掛けられて可愛く小首を傾げる子狐の声を聞き流しつつ、暫く森の中を進んで夕方には集落へ辿り着き、入口付近で獣化の前に外した装備を取りに向かうバスターと別れた。
故にまた俺の頭上へ飛び移ってきた妹を乗せ、出迎えてくれた仲間たちと簡素なやり取りを交しながらも中央広場の端まで歩を進めていく。
「ふゎ、凄く発展してるね…… 貯水池や疎らに家もあるし、それにエルフッ!?」
先程から様変わりした集落に目を丸くしていたミュリエルだが、怪我をした仔ボルトを癒す世界樹の巫女殿を見て絶句する。
「うわぁ、しかも白磁だよぅ、耳触らせて貰えないかなぁ」
「クォルアゥ…… (やめておけ……)」
怪しく手を蠢かせる彼女の服裾を少しだけ食んで引っ張り、注意を向けた上でしゃがみ込んで、巨躯の両側に取り付けられた革鞄を鼻先で示した。
「ん、外したら良いの?」
意図を理解した彼女に駄獣用鞄を繋ぎ止めるハーネスを外してもらい、そこに入れてあった腰布を咥えて妹と共に茂みへ隠れ、それぞれ狼混じりや狐混じりのコボルトに姿を転じていく。
取り急ぎ着衣を整えて再び広場に戻り、意思疎通のために念話の術式が籠められたミスリル製仮面を探して荷物を漁っていると、妹が横から手を伸ばしてギルド併設酒場で密かに購入した減塩ガーリックバターとライ麦パンを掴む。
「ルアゥオゥ、ウォアァ~ン (母さんとこ、行ってくるね~)」
「…… ウォアァオ (…… 別に良いか)」
後で酒のつまみにする予定だったが…… マザーの為なら些細な事だと気を取り直して手にした仮面を被り、世界樹の巫女リスティをじっと観察するミュリエルの肩を軽く叩いた。
『クルゥアオォン グゥワォアウゥ
(興味があるなら後で紹介しよう)』
「うぅ、なんか緊張するね…… 初エルフだよぅ」
ソワソワし出した彼女を少々待たせて装備を整えていたら、此方を見つけたアックスが嬉しそうに尻尾を振りながら近寄ってきたので、買ってきた打独楽の遊び方を説明してチビたちへ渡すように頼んでおく。
「ワォアァン、クァウ ウォフワフィ?
(分かったよぅ、ところでコレは何?)」
おもむろに布鞄へ手を突っ込み、乾燥パスタ束を取り出して小首を傾げる。何だろう…… 相変わらず無駄にのんびりとした雰囲気を醸し出してやがるな。
『ワォルォアウゥ グルォ グルァオアゥ
(夕餉にいつもの皆で喰おうと思ってな)』
「ワゥルォアゥ~、ガォウァン!
(食べ物なんだ~、そう言えば!)」
ぴこんとケモ耳を立てた蒼色巨躯の幼馴染から数日前にヴィエル村の住民たちが挨拶に来て、林檎と麦酒を置いていったという話を聞く。林檎は日持ちの問題があるから美味しく頂いたらしいが、麦酒は残してくれているようだ。
(ふむ、同席したブレイザーからも詳しく聞いた方が良さそうだな……)
慎重派ゆえの石橋をたたき壊すような意見を期待して、ざっと纏めた荷物を担ぎ上げる。
『ウォオウゥ、グゥオァン (待たせたな、ミュリエル)』
「ううん、大丈夫だよ」
柔らかな微笑を返してくれる彼女と歩幅を合わせ、先ほどから関心を寄せていた世界樹の巫女殿の傍へ向かう。そこで笹穂耳を触らせて貰おうと粘るミュリエルとリスティの攻防があったりしながらも、集落での穏やかな時間は過ぎていった。
なお、幼馴染たちと塩茹でした冬野菜添えパスタを食していた際、バスターも人化できそうな事が判明したので、エルフたちの焚火の輪へお裾分けに行き、負担にならない範囲で大陸共通語を教えてやって欲しいと頼み込んでおく。
そうして、翌々日まで過ごして皆の暮らし向きに問題が無いのを確かめた後、再び銀毛の巨狼と化した俺は背に妹とミュリエルを乗せて、彼女の故郷であるヴェルハイムの町を目指す。
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