心頭滅却すれば火もまた涼し
その暫し後、仲間たちに一時帰郷する事を伝えるため、“迷える子羊亭” へ戻ったミュリエルと正午の鐘が鳴ったら冒険者ギルドで落ち合う約束をして、お世話になった宿屋を発つ。
「取り敢えず、皆への土産でも見繕うか……」
去り際に女将さんから教えてもらった東地区の市場に足を運べば、腰元の革鞄に潜り込んで寒気を凌いでいた子狐がひょっこりと顔を出す。
「クゥ、ワフィ クルウォッ、キャウ!?
(あれ、何か良い匂いッ、ひゃん!?)」
「ぐるぉ、くぁあぉる わぁう がぅおぉう
(お前、さっき宿屋で朝餉を喰っただろう)」
この数日、運動量が減っている割に食べてばかりだったので、少々肥えた妹の脇腹をぷにぷにと摘まみながら嗜めておく。
(よし、帰ったら鍛錬に付き合わせてやろう)
元来、運に左右される狩猟に頼り切っていた祖先の影響か、コボルトには “喰らえる時に喰らっておけ” と考える者も多いのだが、群れでの備蓄手段が増えてきた現状では余り褒められた習慣でもない。
適量な食事は健康のためにも大事なのだ。
とは言いつつも、仲間たちが喜ぶのはやはり食べ物なので、何か良さそうな物はないかと意識して市場を歩き、通り掛かった露店で気になる物を見つけた。
「ん、兄ちゃん、乾燥パスタが珍しいのか?」
俺の知る限り、パスタはデュラム小麦の粉と水、塩と鶏卵を混ぜ合わせた練り物だが…… 店主がパスタと称したそれは少々異なる。
「これはパスタを干した物か?」
「あぁ、元々は聖都ヴェリタス・クウェダムの坊主どもが飢饉に備えて考えたらしいぜ、日持ちする上に製法もそこまで難しくない」
俺が喰いついたと見た店主はここぞとばかりに、茹でて木製の小皿に揚げていた極少量のパスタを差し出す。
「ちょいと摘まんでいきな、どうだ?」
「ありがたく頂こう」
素直に頷いて小皿から摘まんだそれを口に放り込めば、仄かに岩塩の味がした。
「…… 普通のパスタより固めだが、悪くはない」
「だろう? これだけ都合の良い食べ物だ、この国でもすぐに広まるぞッ!」
「そうだな、幾つか買っていこう」
物珍しさとパスタを乾燥させるという知識の御礼として買い物を済ませ、その斜め向かいの店で調味用サフランと岩塩を購入する。
他には東地区から中央区の冒険者ギルドまで移動する際に見つけた木製細工の店で、まだ子供のコボルトたちへ数個の打独楽を購入した。
打独楽というのは小さな鞭で叩いて回転を加える木製玩具で、俺も前世でガキの頃に遊んだ憶えがある。
(案外、そういう記憶は幸せなものだな……)
などと思いつつも大きな荷物袋を担いで表通りを進むと、正午の鐘にまだ少し時間はあったが、ギルド前で佇む旅装束を纏ったミュリエルが見えた。
その彼女と一緒に併設酒場で手早く昼食を取った後、南地区の街路を抜けて都市外を目指す。
「さて、一度うちの集落へ寄る訳だが……」
イーステリアの森中部外縁にある集落一帯は聖堂教会の聖域指定を受けているため、このまま連れていく事も憚られる。
(自ら禁を破るのはどうかと思うからな)
一時的にヴィエル村で待ってもらおうかと考えたところで、先ほどの呟きを聞いていたミュリエルが不敵な笑みを浮かべ、フェリアス公爵の家柄を示すレーディンゲンの刻印が付いた羊皮紙を取り出した。
「献策の褒美を聞かれた時、無理を言って発行してもらったんだよぅ」
「何々、“ミュリエル・ヴェスト男爵令嬢にヴィエル村の居住権を与える” って、おいおい、公爵殿……」
それは聖域へ立ち入りを許可されたヴィエル村の住民として彼女を認定する書状で、王家と領主、聖堂教会による三者協定の例外事項を逆手に取った方法となる。
大々的に同じ手を使えば虚仮にされた聖堂教会が黙っていないとしても、余り良い気はしない。
「…… ごめんね、まずかったかな?」
「まぁ、構わないさ」
簡素な了承の言葉を受け取り、彼女はやや緊張した表情を緩めて一言を添える。
「実はね、公爵様も書状を書くのは渋っていたの」
「ふむ、それは良い事と見るべきか否か……」
「警戒されている事は確かだよ、セルクラムの聖獣さま♪」
「やめてくれ、犬人違いだ」
揶揄い気味に話し掛けてくるミュリエルと他愛ない世間話を交しながらも歩を進め、視界に入る建物が疎らとなってきた街路を抜けて、南端から暫く滞在した都市ウォーレンを出た。
このまま平原を縦断する街道を進めばゼルグラの町やヴィエル村に至る訳だが…… 俺は人の気配が無くなると早々に脇へ逸れていく。
「ん~、獣道よりも、素直に街道を進んだ方が早くないかな?」
「そうでもないさ、ちょっと持っていてくれ」
ベルトに通した革鞄から頭を出している子狐の首根っこを掴み、そのままミュリエルに手渡す。
「キュウ! (よッ!)」
「わゎ、モフモフしてるよぅ♪」
嬉しそうに子狐を抱き締める彼女を眺め、折り畳んでいた大きな布鞄二個を荷物袋から取り出して広げて、俺専用の革製ハーネスにて天秤の如く繋いだ。
「えっと、駄獣用の運搬具?」
「そうだ、人狼が姿を変えるのは人間だけじゃないだろう」
にやりと笑みを浮かべて応え、革鎧などの装備一式を外してバランスよく二つの布鞄に放り込む。ついでに彼女が子狐を両手で抱っこするため、脇へ挟んだ樫の杖も引き抜いて収納する。
上手い具合に全て収まったところで呼吸を整えて狼犬人に戻り、今朝の反省を踏まえて茂みに身を隠してから、服を脱ぎ散らかして銀毛の巨狼へ姿を転じた。
「ふわぁ、大きいモフモフがッ!!」
衣類を咥えてのそりと草むらから姿を見せた俺に対し、怖がるどころか喜ぶミュリエルにハーネスの装着を手伝ってもらう。
「牛や馬に似たような運搬具を付けた事あるから、大丈夫だと思うけど……」
「ガゥッ、オゥアァン (よしッ、乗ってくれ)」
「キュ~♪ (や~♪)」
小首を傾げる彼女の腕から子狐が飛び出し、俺の上にポフッと乗って小さな手で背中を叩く。
「えッ、乗っていいの!!」
「ワフ (あぁ)」
短く吼えて首を縦に振ると、おっかなびっくりという感じで彼女は地に伏せた俺の背を跨ぎ、直後に柔らかくて暖かい重みを感じた。
(………… 心頭滅却すれば火もまた涼し)
雑念を振り払って立ち上がり、ミュリエルを気遣ってゆっくりと歩み始めるが……
「わゎッ、とっ!?」
どうやら姿勢を維持するのが難しいらしく、もぞもぞと彼女が背の上で蠢いてしまう。その後も慣れるまで体勢を崩して胸を押し付けられたり、抱き付かれたりで少しだけ悶々とさせられてしまった。
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