引き受ける理由は無いが、断る理由もない
「…ウゥ~、クォン、ガォアァン (…うぅ~、兄ちゃん、誰か来たよ)」
「ワァウゥ ルァウ グゥアウ (シーツを被って隠れてろ)」
小声で話し掛けてきた妹がシーツを手繰り寄せて丸まるのを確認して、念のために体内を巡る生命力の流れを制御し、朝から骨格や筋肉が歪んでいく不快な感覚と共に人へと擬態していく。
「…… おはよう、朝早いけど二人とも起きてる?」
「ミュリエルか…… 今起きた、ちょっと待ってろ」
俺が人の皮を被るのに少々時間を要したので、待ちきれず扉越しに声を掛けてきた彼女へ返事してベッドから身体を起した。
モフモフの冬毛がなくなったため、朝の肌寒さを感じながら部屋端まで歩き、ドアノブに手を掛けて扉を内側に開いてやる。
「ちょッ、なんで上を着てないのッ!?」
部屋の入口から姿を見せたアーチャーは何故か上半身が裸体だったので、私は思わず固まってしまう。咄嗟に視線を外そうとするけど、自然と鍛え抜かれた大胸筋に意識が吸い寄せられた。
(コボルトとしても細い割に筋骨隆々だったけど、人化したら体毛がないから余計に目立つんだよぅ……)
“これも生物観察の一環なのッ” と割り切って、この機に上腕二頭筋やら六つに割れた腹筋をまじまじと見ていたら、訝しげな表情の彼がやや眠たげに言葉を零す。
「さっきまで冬毛があったからな、上着は不要だったんだよ…… まぁ、入れ」
「うぅ、上半身裸の男性にそんな事をいわれても困るよぅ」
「そうか、無理はしなくていい…… 俺はもうひと眠りでもするさ」
それだけ言うと、おもむろに扉を閉めようとしてくる。
「ま、待って、ちゃんと話があるのッ」
慌てながら部屋の中に身体を滑り込ませて勧められるままに丸椅子へと座り、静かな寝息を立てるダガーちゃんを起さないように注意して、上着を羽織るアーチャーを待つ。
軽く身支度を整えた彼は部屋に備え付けの水差しから木製コップ二つに水を注ぎ、片方を手渡してから小さなテーブルを挟んだ対面に腰を下ろした。
「で、用件を聞かせてもらおうか」
その言葉に昨夜のギルドで受け取った手紙を腰元の革鞄から取り出して、そっと差し出す。
「読ませて貰って構わないのか?」
「うん、いいよ」
手紙は母であるアデリア・ヴェストから送られたもので、内容は “一度、帰郷してお見合いしなさい” というものだ。寄親のシュヴァルク伯爵から別の町で行政官を務める子爵家の息子を紹介されたみたい。
(でも、まだ結婚する気は無いし、ちゃんと説得しないと!)
因みに実家では先代と直接の血縁がない父クライストではなく、母が女男爵としてヴェルハイムの行政官を務めているためにその影響力は強い。
最近悩んでいた、結婚絡みの話題を片付けるには母への説得が必要不可欠なのだけど……
「ふむ、貴族ならよくある話じゃないか? 嫌なら断れば良いだろう」
事もなげに言い放って、渡した手紙を突き返してくる。
むぅ、何だか無性に腹立たしい。
「もう、そんなに簡単な話じゃないよぅ! はい、次はこれ読んで!!」
「ん、ギルドの依頼書か……」
私がすかさずギルドで発行してもらっていた非公開の指名依頼書と手紙を交換すれば、ざっと目を通したアーチャーは微妙な表情を浮かべた。
「つまり…… 俺に芝居の片棒を担げと?」
「親の説得と今後の予防を兼ねて、恋人役をお願いしたいの」
きっと、母は生き物を追っかけて冒険者になった私が婚期を逃さないかと心配しているはず…… 効果はあると思うけど、嘘になっちゃうよね。
でも、もうちょっと好きな事をやりたいんだよぅ……
そんな切実な思いを込めて見つめるが、銀髪の彼は溜め息を吐いてしまう。
「引き受ける理由が無いし、そもそも冒険者と貴族令嬢では釣り合わないだろ」
「あ、それは大丈夫、父も元冒険者だから」
初めて生物学の書物を執筆するにあたり、父が多くの貴族に援助を求めた際、しがない冒険者など誰も碌に取り合わない中で興味を示したのがお爺様だ。
引退後に別宅で暮らすお爺様に聞くと、“同種の生物でも性質や性格の差があって、恣意的に番わせれば世代を経て大きな変化が生じる” という父の持論が畜産に於いて有益だと判断したらしい。
結果、風変わりな若造を邸宅に招いて蓄えた知識を引き出しながら執筆をさせていたら、いつの間にか娘と恋に落ちて息子になっていたという。
「…… というわけで、そこは実力を示せば問題ないよ」
「それなら、アレスやリベルトに頼め」
「えっ!? それは…… ちょっとあり得ないかな」
最初にロックリザードから助けられた時はモフモフだったからそういう対象じゃなかったけど、頼れる異性を思い浮かべたときに真っ先にアーチャーが出てきたのは内緒だ。
幼い頃、憧れていた村娘と人狼青年の恋愛物語の影響は否定できないものの、人に化けた彼は野性味がある風貌で好みだったりもする。
(こういう気持ちも認めないと…… でも、落ち着いて生物学的に考えるのよ、私!)
恋愛感情は生物としてごくごく自然なモノで、それは種の保存と繁栄のために欠かせないの! その行きつく先は繁殖だから、という事は………… はうぅッ!?
「…… 何かと忙しない奴だな」
不意に黙り込んだと思ったら頬に両掌を当て、髪色と同じく赤に染まった顔を逸らして悶えるミュリエルを放置し、指名依頼書の報酬額を一瞥する。
(知己故に金額は判断基準にすべきではないか)
先ほど引き受ける理由が無いとは言ったが…… 逆に断る理由もなく、それなりに付き合いがある奴なので引き受けても構わない。
「ただ、一度は集落に戻って、様子を見てからになるがな」
ざっと考えを纏めて未だ挙動不審な彼女にその旨を告げてやり、喜びを浮かべた表情を眺めつつも、俺は寝坊助な妹を起す頃合いかと席を立つのだった。
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