痕跡を辿って北部平原へ
事前の早い段階でフェリアス公爵から今日の出立を聞いており、俺は広場の片隅に佇みながらアレスやミュリエルを待っているのだが……
「クォン…… ガォガゥル キュアファ~ン
(兄ちゃん…… ムズムズが治らないよぅ~)」
ベルトに通した革鞄にすっぽりと入った状態で、子狐が小さな片手で鼻を押さえながら、腹いせにもう片手でペシペシと肉球攻撃を仕掛けてくる。
(一昨日も昨日も、無理に付いてくる必要は無かったんだがな)
因みに一時期の事を思えばましだが、俺もあまり嗅覚の調子が良くない。その理由はこの二日間、公爵やミュリエルたちの手伝いをしていた事に起因する。
何をしていたかと言えば、都市近郊で栽培されている耐寒性を持つラベンダーやローズマリーを買い漁ったり、それに類する香草を集めたりしていたのだ。
ミュリエル曰く、ハーブなどの香草には自衛手段として虫に食べられ難くするため、防虫成分やある種の毒を含んでいるのだとか。それは良いんだが…… 四六時中、多種多様な芳香に包まれた結果、妹の敏感な嗅覚がやられてしまった。
(まさか、人化で鈍った感覚にも利点があるとはな)
とは言っても、俺も相応の嗅覚を維持しているので被害を受けており、無意識のうちに大量のハーブの類と麦藁を積んだ複数の荷馬車に半眼を向けてしまう。
その際、裏通りから歩いてくるアレスたちを視界に捉えた。
「よう、まだ調子が悪いのか?」
「いや、昨日よりはましだ」
軽く片手を掲げながら声を掛けてきたアレスに応じつつ、彼と肩を並べるリベルトや、二人の後ろを歩くミュリエルにも会釈をしておく。
「おはよう、アーチャーさん、従軍の間は世話になるよ」
「ん、頼らせてもらうね」
「あぁ、程々に頑張らせてもらうさ……」
「クルゥ!(あたしも!)」
会話に混ざりたいのか? 何やら自己主張をしてくる子狐だが、言葉を理解できない割に噛み合っているのが面白い。やや苦笑を浮かべて冒険者たちの集まり具合を確認すれば、広場中央に衛兵隊を纏める騎士たちの姿も見える。
「エルドリック隊長、第二小隊の準備完了です」
「第三小隊も出られますよ」
「荷馬車や人足の準備は……もう少しか、グレイスさん!」
呼び掛けに応えて、以前に酒場で見かけた魔法剣士の女性が冒険者の頭数を数えるのを止め、ふわりと赤リボンで纏めたサイドポニーの金髪を揺らして振り返った。
自然と意識が向くものの、ここからでは何を話しているか聞こえるはずもない。
ただ、ギルド組合員にあたる冒険者たちの指揮権は衛兵隊から独立しており、“金” 等級である彼女が冒険者側の指揮を任された事も昨日に通達されている。恐らく、行軍の打ち合わせや戦闘時の役割分担などを話しているのだろう。
目を細めて彼女たちの様子を窺っていると、隣にミュリエルの気配を感じた。
「グレイスさん、格好いいよね、強くて美人さんだし」
「あぁ、そうだな……」
「だけど、指揮する姿なんて見たこと無いぜ…… どうなんだろ?」
呟かれたアレスの疑問も最もで、冒険者の自由奔放な性格上、仲間内での主導権などはあっても指揮命令系統が確立されている訳では無い。ましてや、そんな連中を数十名も纏めるなど俺ならば御免被りたい。
(命令されたり、したりする事への慣れが傭兵との違いか……)
そう考えれば、序列を重んじるコボルトたちの生態や、緩めの指揮系統は俺の性に合っていたのかもしれない。などと物思いに耽つつも、訝しげに魔法剣士を窺うアレスに持論を返す。
「気侭な冒険者にあれこれと押し付けても仕様がない、恐らくは日頃から組んでいる顔触れで自由に動かせてもらえるだろう」
「う~ん、それはそれで非効率っぽいな?」
「であっても、現実的な落としどころだ」
日々の訓練なしに小隊単位の運用など期待できないし、兵士と違って冒険者は個々の能力にバラつきが大きい。ならば、日頃から気心の知れた仲間と組ませて班を成し、可能な範囲で連携させるくらいしか手が無いのだ。
そんな事をアレスやリベルトと話し合っていれば、広場から少々離れたところに建つ大聖堂から刻限を告げる鐘が鳴る。
この時代、人々の生活を律する時間は礼拝の都合もあって、聖堂教会が管理している場合が多い。教会ごとに太陽の運行に基づく日時計、蝋燭の溶け方で時間を計る火時計、流れる水流を動力とした遊星歯車機構を持つ水時計などが個別に採用されている。
つまり、時計の精度が不揃いなので都市や町単位で時差があるのだ。
確か…… ウォーレン大聖堂の時計は東方諸国から学者や技師を招いて製作した最新式の水銀時計で、冬場も凍る事が無く、常に精度の高い時間を叩き出すと公爵家の侍従が言っていたな。
暫しの後、時を刻む鐘の音が止まり、隊長と呼ばれていた騎士の後ろに控える魔導士が術式を行使した直後、空気を大きく振動させながら彼の声が響く。
「定刻だッ! 既に皆揃っている事と思う。これより我らはグラウ村へと進み、ヴァリアントどもの痕跡を辿って巣穴へと向かうッ、征くぞ!!」
率先して衛兵隊が動き、騎乗した騎士たちの周囲を徒士らが固めて広場を出立する。それに合わせてグレイス嬢も冒険者たちへ大声を発した。
「皆ッ、各パーティを班として隊列を組んで続くわよ! 当面は輜重隊の護衛をしながらグラウ村まで進出します!」
「さっさと終わらせて褒賞金で一杯やるぞ、行くとするかッ!!」
彼女の相棒である金属鎧を纏った戦士が重さを感じさせない動きで皆の間を廻り、冒険者たちの出立を促していく。その最中、一組のパーティが手を振りながら此方に近づいてきた。
「おはよう、ミュリエル!」
「エイナ、暫く振りだね」
「アレス、俺たちも一緒させてもらうぜ」
「それは心強いですよ、ザックスさん」
何やらミュリエルが魔術師の女性と仲良さげに手を取り合い、アレスやリベルトも浅黒い肌の厳つい戦士と肩を軽く叩き合っているが…… 誰だ?
見知らぬ顔にひとり疎外感がある俺にも、色白の女戦士が微笑を浮かべて歩み寄ってくる。
「えっと、弓使いさんの補填要員かな? 私はリーディよ、宜しく」
「あぁ、アレスに誘われてな…… 俺はアーチャーだ」
腰元の革鞄に納まる子狐に視線を奪われながらも、柔らかな雰囲気で話し掛けてくる彼女の相手をしていると、錫杖を持った細身の男までこちらを窺ってきたため、ミュリエルに視線で事情を問う。
「ん~、歩きながらでいい?」
その言葉に周囲を確認すれば、もう既に大半の冒険者たちが衛兵隊の最後尾に付く輜重隊を追って広場から出ており、グレイス嬢にジト目で “さっさと行きなさい” と言われていた。
「…… そうだな」
美人さんに睨まれるのは怖いので素直に頷き、ザックスらと共に皆で広場を発つ。
さすがに大所帯へ襲い掛かるような強力な魔獣が都市周辺にいる事もなく、順当に討伐隊は歩みを進めて、日が落ちる頃にはグラウ村へと辿り着いた。
逃げ出した住民たちが襲われたのは村外だという事で、村の内部には数名分の血痕しか残っておらず、遺体も強靭な顎に切断されてお持ち帰りされたようで見当たらない。故にそこまで無残な痕跡は残っていないのだが…… リベルトが顔を顰めて、何やら呟いたのが印象に残った。
それ以外にも食糧などの各種被害を確認した後、グラウ村で一夜を過ごした討伐隊は折れた草本や巨大蟻の足跡を頼りに北部平原を進み、標的である巣穴への距離を詰めていく。
読んでくださる皆様の応援で日々更新できております、本当に感謝です!
ブクマや評価などで応援してもらえると嬉しいです!




