月夜の銀狼犬
「うぅ、大丈夫かなぁ」
初冬の風が肌寒い月夜の帰り道、眠そうな子狐を抱き締めて赤毛の魔導士が不安そうに呟く。
「ん? 何とかなる範疇なんだろう」
「う~ん、酒場に居た “金” 等級のエドガーさんや、グレイスさんは大丈夫だろうけど…… うぅ、大怪我したら嫌だし、私たちは隅っこでコッソリしておくよぅ」
あぁ、そう言えば、彼女の仲間にいた弓使いがヴァリアントにやられて結構な負傷をしていたな。
ギルド併設の酒場で飲み食いしていた時から相応の時間が経っているため、今頃は彼らも出掛けに聞いた “迷える仔羊亭” に戻っている事だろう。
…… 何気に凄い名前だが、お金を持たない駆け出しの冒険者に月極前払いで部屋を貸し出してくれる良心的な宿屋らしい。何でもギルドの補助金を受けた初級者向けの宿屋で、“銀” 等級以上は宿泊できないという事だ。
ちゃんと若手の生活を支えて育成に力を入れている辺り、冒険者組合は傭兵斡旋所よりも保護が手厚いと考えていたら、街路の分岐に差し掛かる。
「送っていこう、ミュリエルの宿はこっちだったな」
夜道で女性の一人歩きは魔導士と謂えども不用心だから、自然な形で切り出して街角から裏路地に入ろうとするが、上着の裾を摘ままれてしまった。
「う~、色々と聞きたいから、そっちに寄るって言ったよ?」
「憶えてはいたが…… 結構遅い時間だぞ」
会話の途中で侍従の娘に揶揄われて有耶無耶になった事もあり、あまり意識してなかったため、ミュリエルは声をやや尖らせてしまう。
「もうッ、確か “四つ葉の白詰草亭”だね」
勝手知ったるなんとやらで、彼女は表通りへと踏み出して慣れた街並みを進んでいく。
(まぁ、いいか……)
軽く頭を掻き、俺もその後に続いて一緒に人気の少ない夜道を抜け、冒険者ギルドの三軒隣に建つ、彼女に言わせれば割高な宿屋へと入った。
街へ着いてすぐに借りたのは二人部屋で、階段を上がった三階の突き当りにある。そこの扉を開けるなり、赤毛の魔導士の腕から子狐がするりと抜けて走り出す。
「キュウ~~~♪ (や~~~♪)」
嬉しそうな鳴き声を上げて小さな体をポフっとベッドへと投げ出し、我が妹は変化を解いて狐混じりのコボルトへと身を転じていく。
「ッ、何度も見ても不思議だよぅ」
俺もそう思うが、夜更かしをしない主義の妹はスリスリとシーツに身体を擦りつけて、匂いを付けつつも既にうたた寝を始めていた。
「…… 待て、その毛だらけのシーツは誰が片付けるんだ」
げんなりしつつも、部屋の隅に置かれていた椅子を引っ張り出してミュリエルに勧める。そして、妹が占拠していない方のベッドへと腰を下ろした瞬間、興味津々の彼女が身を乗り出してきた。
「ね、アーチャー、元の姿に戻るところを見せてほしいのッ」
「それは構わないが……」
そもそも、人化している間はずっと抑圧されているような感覚があるので、必要性がなければ好んで姿形を維持したくもない。吸い込んだ息を吐きながら徐々に人化を解いて、骨格や筋肉の付き方、伸びる体毛などの変化を受け入れていく……
「す、凄いッ、こ、これは書き残しておかないと!」
生物学を名乗る魔導士の娘が腰元の革鞄へと手を突っ込んで、亜麻の繊維製の紙、羽筆とインクを素早く取り出すが…… そんな事をしている間に、俺は尻尾用穴の位置を微調整しつつ、革鎧と衣服を纏った狼混じりのコボルトへと身を転じていた。
「あぅ~、ね、今度は人化してほしい……」
気軽に言ってくれるが、慣れたといっても身体の構造が組み変わるキモチワルさは健在だ。こっちもベルトにスミス作の専用革具で吊るしていた念話の仮面を取り外して装着し、はっきりと言ってやる。
「ガルルゥッ!『断るッ!』」
「お願いしても駄目?」
「ウルゥオ ガゥオウァ『違和感が凄いんだよ』」
「そ、そうなの? それも詳しく聞かなくちゃ……」
髪色に準ずる赤みを帯びた瞳を好奇に輝かせて、羽筆を片手に根掘り葉掘りと確認してくるミュリエルを適当に相手していると、やがて満足そうな表情で彼女は文字を書く手を止めた。
「色々と聞いちゃって、ごめんね」
「ウォアァオ『別にいいさ』」
「ん、素っ気ない割に面倒見が良いよね、君は」
「ヴォル オォオウ『勝手に言ってろ』」
かつての傭兵仲間にも同じことを指摘されていた故、狼犬人になろうが個人の本質は変わらないのかもしれない。微苦笑を浮かべながらも暫しの間、お互いの近況などを話し合う。
「…… それにしても、もう犬人というより人狼だよね」
「ガルゥ、グルァアン?『やはり、そう見えるか?』」
「ちょっとだけ、確かめさせてね」
椅子から腰を上げて俺の手を取ったミュリエルが肉球の形を見て頷く、さらに頬を両手で挟んで顎の筋肉や牙を調べ、続いて頭蓋骨の形を確かめられた。
「うん、狼だ………… えっと、似非コボルト?」
(くッ、酷い言われようだな)
思わず不服な表情をした俺に気付き、彼女があわあわと言葉を続ける。
「で、でも、銀狼って珍しいし、人狼族の英雄ベオウルフみたいだよね!」
「クルァアオファアン?『聞いたことがないな?』」
「えっと、人族の童話に出てくる鏖殺の人狼王ヴェノムの事だね、人狼族では英雄として扱われていて、本当の名はベオウルフらしいの」
鏖殺の人狼王なら俺も知っているが、童話に出てくる有名な悪役なので褒められている気がちっともしない……
(人狼族にとっては英雄なんだろうがな)
軽く溜め息を吐いた後、俺もベッドから腰を上げて部屋の窓を開け放ち、夜風を受けながら月の位置で時間を確認する。
「ガゥ、グゥオァヴァルォ…… ウァルウォオ
『さて、もう良い頃合いだ…… 送っていこう』」
「ん、お願いするッ、ひゃぅ!?」
素早くミュリエルの腰に手を絡めて抱き上げ、風魔法で起こした旋風を両脚に纏い、窓から身を乗り出して周囲を見渡しながら飛び出す!
「きゃあああッ、ちょ、アーチャーッ!!」
聞こえる悲鳴を無視し、表通りに降りてすぐに路地裏へと飛び込み、狭い左右の壁を交互に蹴り上げながら屋根の上へと躍り出て全身に月光を浴びる。
「ガルゥ、オァルアゥウルッ!!『はッ、いい満月じゃねぇかッ!!』」
「うぅ、いきなり過ぎるよぅ…… うきゃあッ」
落下時の浮遊感が怖かったのか、ヒシっとしがみつく彼女を抱き直して屋根上を駆け、銀毛の狼犬が “迷える仔羊(亭)” を目指して本能のままに月下を飛び跳ねていった……
こうして、中核都市に暮らす人々の一部が少女の悲鳴と遠吠えを聞いた夜から二日が経ち、都市の広場にはグラウ村を襲ったヴァリアントを討伐すべく武装した者たちが集う。
読んでくださる皆様の応援で日々更新できております、本当に感謝です!
ブクマや評価などで応援してもらえると嬉しいです!




