閑話 誰かの記憶
今回は七つの災禍 ”百万の魂を喰らいしモノ” の閑話です!
これはかつてあった珍しくもない光景の一つ。
夕焼け空に煙が立ち昇り、風に吹かれてたなびく。
普段であれば夕飯に備えた炊事によるものだが、これは城下町の至る所で焼け落ちる家々から生じている。元々野盗紛いの連中も多い隣国の兵たちが略奪を行い、家人を殺して火を放っているのだろう。
それは町の北側に建つ一ノ瀬の城館でも同じことで…… 飛び交う怒号の中、城が燃える、燃える。
「ッ、父上……」
「姫様、今はお急ぎください」
「そうです、今ならまだッ」
まだどうだと言うのだろうか?
先の追手は母上たちが引きつけてくれたけれども、このまま同盟国に落ち延びたところで何もできない。自分が男の子であれば話も変わってくるのかもしれないが、生まれ持った性別を今更変えることは不可能だ。
一瞬だけ、昨年に城館を訪れた探検家と嘯く金髪碧眼の女性を思い出す。
遥か西方より旅をしてきたというローザ・バレリアは豪傑でもあり、西方諸国製の短剣と長剣の二本を器用に操って当家の武士たちを御前試合で打倒してみせた。性格まで豪快な彼女であればこんな逆境でも不敵に笑い飛ばす気がする。
そんな詮無きことを考えながら護衛と共に禁忌の森へと逃げ込んで東を目指すが、逃避行は長く続かない。
「ぐぅッ!?」
「き、貴様ッ、がはッ、うぅ……ッ」
ご先祖様が数百年前、地中へと逃げた大妖を封じた場所と伝えられる要石付近で、茂みに伏して待ち構えていた数名の男たちが粗末な竹槍を手に飛び出し、護衛の武士二人を串刺した。
「そんなッ、どうして?」
姿を現したのは城館まで押し寄せた敵兵ではなく、森を抜けた先の村に住む貧しい領民たちにしか見えない。
「おい、女がいるぞッ」
「へへッ、別嬪だなあんた……」
「ぐぶッ、お、お逃げ……くださ…い」
血を吐き出しながら護衛の武士はそう言うけれども、目の前の惨状に委縮した国主の娘は足を動かすことができず、群がる男衆に無理やり押し倒される。
そのまま二人の暴漢に両腕を押さえられて着物の前が力尽くで開かれると、両脚を割って下種な笑みを浮かべた大柄な男が圧し掛かってくる。
「いやッ、やめ……ぐぅ!」
「うるせえッ!おいッ、しっかり押さえておけよ!!」
必死に足掻くけれども喉を片手で圧迫されて声を封じられ、一切の抵抗を奪われてしまう。散々に嬲られた後、人であった頃の彼女が最後に見たのは茫然とする自身に振り降ろされる凶刃だった。
「かふッ……」
自国の危機に際しても欲望に身を任せた行いしかできない愚か者どもへの憤りを抱いたまま、最早死にゆくだけの意識が地の底にある何かに気づく。
それは今の自身と同じく非常に弱々しいけれども、生き延びようとする意志を強く持っており、輝かしく思えて…… 既に息絶えた彼女の魂が引き寄せられていく。
暫時の後、地中にて二つの魂魄が混じり合い、新たな命と相成る。
「な、なんだ地震か!」
「……収まっッ、ぐぅうううッ!?」
「うあぁああッ、ぐぅ、うぅッ」
「な、なんだ、これッ」
先程殺したばかりの死体から身ぐるみを剥がしていた男らの全身を地面から飛び出した白銀の糸が絡め捕った。そして断続的な地響きを鳴らし、地面を割って全高3メートルはあろうかという大蜘蛛が満身創痍で地の底から這い上がってくる。
(オナカ、ヘッタ…… アレ、ワタシ…… ダメ、オナカ、スイテ……イシキガ)
抑えようの無い餓死寸前の飢餓感に衝き動かされて忙しなく真っ赤な複眼が蠢き、捕えた獲物に向けられる。
「ひッ、お、鬼蜘蛛… やめ、痛ッ、痛いッ、喰わないで、ぎぃやああああッ!」
「あ、あ、ああぁッ、た、助けてッ、ひぃィイィイッ!!」
自らの行いを省みること無く命乞いをする男どもをボリボリと噛み砕き、器ごと魂を喰らう。
(タリナイ、タリナイ、モット、モット、モットホシイッ)
中途半端に数名の男たちを食したことで余計に空腹感が強くなった鬼蜘蛛がダラダラと涎を零し、風に混じる血の匂いに惹かれて虐殺が行われる城下町へ向かっていく。
勝ち戦に浮かれていた隣国の武士たちも、未だ抵抗を続ける者たちも、逃げる者も全て糸で絡め捕り、器を砕いて魂を貪った。
それでも数百年に及ぶ飢餓は癒えず、取り込んだ魂にこびりつく恐怖や無念の感情にも影響され、我を失った鬼蜘蛛の暴走は止まらない。
これより畿内で猛威を振るう蜘蛛の怪異は数万の魂を喰らった後、人知れず森の奥で活動を止めて脱皮を行う。
奇妙なことに殻を割って抜け出てきたのは黒髪灼眼を持つ美しい女性の上半身であり、続いて幾分も小さくなった蜘蛛の下半身が現れて絶叫を響かせた。
「あぁああああァアァア―――――― 私ッ、なんて事をッ! うえッ、おぇええッ」
白銀の螺旋を駆け上がり、人の化生として自我を取り戻した彼女は胃液を吐き出すが、喰い散らかしてきた魂は戻らず、延々と自戒の言葉だけが紡がれていく。
彼女の名誉のために言っておけば、理性を取り戻すまでに喰らった魂は精々数万である。
ただ、噂には尾ひれが付き、“百万の魂を喰らいし者” と呼ばれて七つの災禍に名を連ねるのだが…… 全ては百数十年前の出来事であり、今更どうしようもない話に過ぎない。
……………
………
…
「ギゥッ、ゼノ ガレアゥス…… (くそッ、また妙な夢を……)」
悪態を吐きながら、小奇麗に改築された洞穴で毛布に包まった小鬼族の双剣士が眠りから目を覚まし、無意識に腹から肩に及ぶ大きな傷跡を撫でる。
「ふむ、それだけ欠損を補うために与えた ”私の魂魄片” が定着した証拠です。直に身体も本調子になるでしょう、それに大陸共通語も理解できますね?」
「ギッ、ノイギォルス、リゼル デグルド セルノギィア
(はッ、わからねーよ、何度も嫌なものを見せやがって)」
別に人間が死にまくるのはそこまで気にならないが、話し掛けてきた楓と瓜二つの雌が嬲り殺しにされる部分は不快極まりない。
(何故だ、命の恩ゆえなのか?)
因みに会話が成立している以上、しれっと嘘を吐いても丸わかりなのだが…… その様子を彼の相棒が羨ましそうに眺める。
「ゾード、おれが、どれだけ、くろうしてるどおもっでる」
「ブレイブ…… 貴方は好きでしている事ですよね?」
「…… ひでいはしない」
まさにその通りである。
彼がここに付いてきて様々な挿絵のある本に魅了されたのは直ぐのことだ。それ以降、小鬼族の元勇者は楓の手解きを受けて童話を読み漁り、語学などにも興味を持ち始めていた。
納得いかないのはどの物語でも小鬼が悪者であることだが…… それでも彼の知識欲を留めるには能わず、今やそれなりの本でも読むことができるようになっている。
「それは『東方見聞録』ですか……」
「いろんなえ、ぎれいだ」
大柄で浅黒い肌の鬼人モドキが手にしているのは百数十年前に書かれた探検家ローザ・バレリアの著書であり、大和の鬼蜘蛛がこの大陸にいる理由の一端である。
城館に引き籠っていた楓にとって、大和を訪れた件の探検家が面白可笑しく話してくれる冒険譚は憧れの対象だった。故に自我を失っていたとは言え、故郷を滅ぼして朝廷から追われる身となった彼女は旅に出ると決めたのだ。
もう既に記憶の彼方に追いやっていた事を想起しつつ、楓は不貞腐れるソードと本を熱心に読み進めようとするブレイブを一瞥する。
再び旅立つことがあれば今度は道連れがいても悪くないと彼女は密かに微笑み、思わず洞窟の外へと視線を向けて、近頃この辺りでは少しずつ降るようになってきた白い雪を眺めた。
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