マリル嬢の災難
鉈剣で行く手を阻む蔦や草を切り払いながら進む猟師ニィルの後、うら若い村長代理がやや焦りを含む声音で愚痴を零す。
「もう、どこなのよ、ここはッ」
「俺にもわからん…… すまねぇ、迷っちまった」
申し訳なさそうに困り顔で答えるニィルの言う通り、村の東端へと姿を消した幼子を探しに森へと入ったはずが、彼ら自身も濃い霧に包まれて早々に迷子となっていた。
「はぁっ、見通しが利かなくて方位磁針もダメとか、どうすればいいの……」
「朝霧ならまだ理解できるが、もう昼だぞ?」
「こうなってくるとリーバスたちの班も気になるな」
森の入口で二手に分かれた仲間たちを心配して、ゼノが遠方を眺める。
濃霧に覆われた森は限定的な範囲しか窺い知ることができず、見渡せる範囲には何の変哲もない樹木があるのみだ。彼の視線は代わり映えの無い景色を見流して…… ふと、一本の木に吸い寄せられる。
「……ッ、これは!?」
樹皮が少々剥がれ落ちた痕跡を捉え、彼は先に進もうとする仲間たちの背に向けて叫ぶ。
「おいッ、皆待ってくれ!」
「どうした、ゼノの旦那?」
「これを…… 見覚えがあるだろう?」
「あぅ~」
その言葉に従って誰もが樹皮の剥がれた部分を注する中、真っ先にマリルが反応して小さな声を上げた。
「少し前、木の根で躓いたマリルが腹いせに蹴り飛ばした跡だ」
「うぅ、ごめんなさい、ついかっとなって……」
彼女的には軽く蹴とばしたつもりであるが、乾燥して脆くなっていた樹皮がボロボロと剥落したのは記憶に新しい。道に迷って歩き疲れていたとは言え…… 自然に優しくない少女であった。
父に代わって野盗たちと対峙した経緯からも分かるように、村一番とも言われる愛らしい外見に反して彼女は強気な性格をしている。
普段は上手く猫を被っているのだが……
”痛ッ、何でこんなところに根があるのよッ” とイラつきながら、木を蹴り飛ばす亜麻色の髪をした乙女をゼノ班の4人は目撃しており、暫くヴィエル村で噂となって母親の表情を大いに曇らせたという。
それは後日の話として、今は彼女の行動が自警団員たちに評価されていた。
「マリルのお陰で同じ場所に戻っていたことが判明したな……」
「だからと言って、状況が好転するわけでもない」
「せめてこの霧がッ、うわぁああああッ!」
霧に霞む木々の合間から、飛び出してきた蔦が壮年の自警団員の腰にがっちりと絡みつき、凄い勢いで少し先にある怪しげな樹へと引き寄せていく!
「痛ッ、痛い、やめッ、ぐあぁああッ」
「な、何がッ!?」
「ッ、ラルドさん!!」
突然の出来事と悲鳴に皆が恐怖を滲ませる中、マリルが鉈剣を抜いて握り締めながら樹に視線を向けると、眼窩と口のような虚が生じて怪しげな人面が幹に浮かぶ。
「ォオオ オオォ オォ……」
「ひぅっ、き、木のお化け…… 」
樹の根元では、数匹の動物が茨に覆われて弱々しい鳴き声を上げており、蔦に巻き取られていった自警団員のラルドもその中に加えられてしまう。彼は茨で雁字搦めにされ、革鎧の隙間から鋭く長い棘を体中に突き刺されて血塗れになっていた。
その光景と妖樹の付近に散乱する動物やゴブリンなどの遺骸を視界に収め、ゼノは苦虫を嚙み潰したような声で呟く。
「まさか、また吸血妖樹と遭遇するとは……」
若かりし頃に自らの可能性を信じて村を飛び出し、冒険者をやっていた彼が引退する切っ掛けになったのがこの吸血種の樹精ブラッドトレントだ。
この種の樹精は地下水脈を利用して認識阻害を誘発する濃霧を周囲一帯にばら撒き、惑わせた相手を誘い込んで喰らう厄介な存在である。
幸いなことに地下水脈が上層を通る森の中でしか自生せず、吸血妖樹が確認された事例は少ない。だが、自生条件さえ満たせばどこにでも出現するため、予期せぬ遭遇で多くの者たちが被害を受けている。
ゼノもその中の一人であり、冒険者としての経験を積んで ”黒鉄” から ”銀” 階級に手が届くかという頃、踏み込んだ森で吸血妖樹に襲われて仲間二人を失った。
(ッ、あの時は見捨てるしかなかったが……)
蔦で拘束されて茨に包まれた仲間たちを助けることは叶わず、残った一人と共に逃げ出して霧が晴れるまで隠れていた苦い記憶と後悔が脳裏に蘇る。だからなのか、本来は皆を纏める立場として即時撤退すべき場面で、彼は長剣を構えて吶喊していく!
「うぉおおぉおおおッ!!」
大上段に振りかぶった得物を斜めに振り下ろし、絡め捕ろうとする蔦を切り払いながら踏み込み、返す刃で襲い掛かる茨を切り飛ばして樹精に迫る。
「これでも喰らえッ」
「オオォ ォオオォ……」
不気味な唸りを上げる吸血妖樹にゼノが体当りを仕掛け、腰だめに構えた刃を幹に深く突き立てるが…… 痛覚など存在しないのか反応は極めて薄い。
「ウゥウ オオゥウ……」
「く、効いてッ、うぉおおぉおお!?」
悪態を吐きながら刺さって抜けない長剣を手放し、飛び退ろうとした彼の片足に蔦が絡みついて樹上へと吊るしていく。
「そんな、ゼノさんッ」
思わず叫んだマリルに反応して、猟師のニィルが弓矢で仲間を宙吊りにする蔦を狙うが、細い蔦を射抜くのは相応に難しい。寧ろ助けるべき相手に命中し兼ねないため、彼は弓を構えたまま硬直して苦渋の表情を浮かべる。
「くそッ、何で射れないんだよ、臆病者がッ」
「ッ、俺のことはいい、皆で逃げろ!!」
今更ながらにゼノが叫ぶものの時は既に遅く…… 密かに落ち葉の下に隠れながら這い寄ってきた蔦がマリルたちの足首に絡みついた。
「ッ、おわぁ!?」
「うきゃあああぁッ」
意識の隙を突かれて、力尽くで引き倒されたマリルたちも蔦塗れになりながら吸血妖樹の下へと手繰り寄せられていく。不運な村人たちは生餌として死ぬまで血を啜られる運命となりそうだが……
闇の属性魔力を帯びた濃霧に囚われていたのは彼らだけではない。血の匂いに惹かれてこの場に辿り着き、隠れてヴィエル村の者たちと吸血妖樹を観察しながら機を窺っていた四匹の猟犬たちが一斉に駆け出す!
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