ヴィエル村と妖精のいたずら
秋を迎えて俄かに騒々しさを増すコボルトたちの集落のご近所、人間達の住まうヴィエル村でもこの時期は越冬に備え、猟師たちが周辺へと狩りに出るなど慌ただしくなる。
それ以外の者たちも来年収穫予定のライ麦や小麦、大麦の種を撒いておくのが丁度今の季節であり、皆忙しいことに変わりはない。なお、このヴィエル村のあるフェリアス領では寒冷に強いライ麦を中心に耕作を行うため、小麦は補助的に栽培されているに過ぎない。
これらイネ科の植物は種子に殻が付いているため、茎から籾を取り外した後は敷布の上に積み、叩き棒で無心のままひたすらに叩く必要がある。こうして粗く脱穀させた後、残りの籾殻を手作業で地道に剥いてやっと玄麦となる。
「ふふっ…… とーっても、しんどかったけどね~」
「えぇ、そうね……」
という会話は全てが終わった後、村長の娘マリルと村娘たちが死んだ魚のような目で互いの健闘を称え合った時のものだ。何故、ここまでの手間暇を掛けて穀物を扱うかと言えば…… 年単位で保存が利くからだろう。
いつ如何なる災害や不作があるかわからない生活において、貯蔵ができるというアドバンテージは大きい。
そのために原始社会では小麦などの穀物を中心とした蓄財と物々交換が行われていたほどで、今の貨幣経済の原型ともなっており、未だに税金の一部は年貢として穀物で納められるくらいだ。
ともあれ、苦労の末に得られた二種類の玄麦を混ぜ、村から少しだけ離れた場所に流れるスティーレ川の支流沿いに建てられた水車小屋で必要に応じた製粉を行い、主食である黒パンの材料とするわけで……
「あ゛~、何でこんなに重いのよッ」
「マリル、言葉遣いが乱れてるよ……」
切り株に腰掛けて、セディ・ハートラント博士著作の『世界のコボルト図鑑』でコボルト・マリーンズの頁を開いていた赤毛の魔導師が顔を上げ、10kg程の玄麦袋を運びながら不平を漏らすマリルに注意した。
「魔導士様はいいですね~、お仕事終わって」
「絡まないでよ、ちゃんと頑張ったんだから」
「確かに今回はミュリエルのお陰で楽ができた」
「だな、感謝するよ」
彼女たちから少し離れたところでロングソードの素振りをしていたアレスが労い、愛用のサーベルを砥いでいたリベルトが同意を示す。残りの仲間であるミレアは村の狩人たちに混じって弓を片手に森へと入ろうとし、村人以外は立ち入り禁止の聖域だと追い出されて拗ねていた。
彼らが今回受けた依頼は魔物に分類されるファング・ラットを含む所謂 “ねずみ駆除” であり、玄麦や胡桃、干し肉などを齧られないようにするお仕事だ。
「えっへん、これでも生物学者ですから♪」
なお、彼女が用いた手段はオリジナルブレンドの駆除薬であり、海葱と呼ばれるユリ科植物の球根に由来する毒素シリロシドを有効成分として含んでいる。
これは齧歯類以外ほとんど効果を及ぼさない古王国時代からの殺鼠剤なのだが、警戒心が高いねずみが食べてくれるようにミュリエルの創意工夫と心血が注がれていた。
(ねずみさんたちも可哀想だけど、これも人族と彼らの生存競争よね……)
生物学を専攻する学徒として弱肉強食の掟は重々理解しており、そこに人間も例外なく含まれている事を自覚している彼女ではあるが…… 暫し、奪ってしまった命の冥福を祈る。
たとえそれが偽善となじられる類のモノでも……
結果として、ねずみ駆除の依頼は円滑に進み、殺鼠剤の効果が薄かった鋭い牙を持つファング・ラットも動きが鈍ったところをパーティの仲間たちが倒した。
早々に駆除依頼を成し遂げたミュリエルたちはマリルの父親から必要書類に印鑑を貰った後、大いに喜んだ彼の歓待を受けて、ここ2日ほど村長宅に泊っている。
「ま、ここのところは親父さんに世話になってるからな…… マリルさん、俺が運ぼう」
「え、いいんですか? 頼りになるなぁ、アレスさん♪」
村娘のあざとい微笑にドギマギしながら、大きな玄麦袋を受け取るアレスを醒めた瞳で見つめ、赤毛の魔導師がぼそりと一言。
「…… アレス、ちょろ過ぎ」
「うぅ、他人事とは思えねぇ」
呟きを拾ったリベルトがやや引き攣った表情を浮かべている間に、既に二人の姿は水車小屋へと遠ざかっていく……
その後も畑仕事に精を出す村人達、冬に備えて敷布や寝具の類を繕う女たちが少々増えた仕事をこなす。また、修道院では麦芽とホップなどを原料としたビール造りも行われていた。
そうして活気づくヴィエル村にて、皆がいつもより時間に追われていた時、村の子供たちの中で妖精を見たという噂が広まっていた事実を大人たちは知らない。
「本当だって、僕も見たんだよ! 羽の生えた小さな妖精をッ」
「あ、あたしも見たよ、可愛いね~」
「え~、俺は見てないし、信じないぞ」
「でも、私も見たいかも…… 村の外れに出るんだよね?」
そんな会話を楽しそうに続ける子供たちであるが…… 古い妖精などは危険極まりない。
伝承に謳われる彼らは神出鬼没で空間を捻じ曲げる力を持っており、稀にゴブリンと人の赤子を入れ替えたり、幼子を神隠しに遭わせたりする迷惑な存在だ。
何よりも恐ろしいのは人や亜人と全く異なる古い妖精たちの精神構造であり、一説によると数々の悪意しか感じられない行為は全て善意から成されているとも言われる。
まぁ、彼らの考えることなど分かるはずもないし、村の子供達が見た妖精が古いモノだとも限らないが……
「ふわぁ、奇麗…… え!?」
夕暮れの逢魔が時、町外れに向かった幼い少女が燐光を放つ羽を持ったソレを見つけた直後、周囲の風景がぐにゃりと歪んで薄暗い森の中に切り替わった。
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