1H作文チャレンジ20171124
お題:死、統括、ゴール
ここは電車のホーム。
一人のやつれた中年の男性が歩を進める。
その足取りは軽く見える。これも今まで働いてきた賜物だろう。
自分には妻もいない、兄弟もいない。ただ一人、ずっと一人で働いてきた。
無能な上司の尻をぬぐい、労基に見つかるからと言って書き換えられたタイムカードは記憶に新しい。
こんな世界はもう嫌だ。理不尽な世界からは脱却するんだ。自分にだって夢はあったさ。
でもそれは悉くがつぶされていったんだ。この社会という巨大な悪で・・・。
快速電車が通過する。
車掌の言うことを守ってラインの内側に立っていた男は、いきなりトップスピードで飛び出し、撥ねられた。
「おはようございます。重田さん」
電車に飛び込んだ後、名前を呼ばれて目を開けると、目の前には男性の顔。
年はおそらく20代。どちらかというとふくよかな体形をしている。
周囲を見渡すと、そこは部屋だ。しかし、清潔ではあるものの調度品も何もない。8畳程度の窓もない一室に布団が一つ。自分だけだ。
「・・・・」
ここは?と聞こうとして自分の声が出ないことに気が付く。察した顔で穏やかな笑みを浮かべながら男性が答える。
「ええ、喋らなくて結構ですよ。説明しましょう。まずは、あなたは死にました。」
その言葉に、やはりなという安堵と、死後の世界を見れたという驚きが入り混じる。
「しかし、あなたは死ぬ間際に、一つミスをしました」
ミス?ミスだと?会社の言われたことはすべて正確にこなしたし、それ以上の気配りを見せて行ったという自負もある。
少なくとも、この十数年、すべてを会社に捧げてきたという自覚がある。報われなかったという後悔の念は尽きるこはがないが。
「そのミスとは、あなたは死ぬ瞬間に、現世に損失を作りました。たとえば、急行列車の修繕費用。たとえば、死体の除去費用。たとえば、列車の乗客への影響」
ああなるほど、と理解した。死んだときに周囲の人間に迷惑をかけた。それが自分のミスだとこの男性は言いたいのだ。
だが、それをどうしろと?疑問に思っていることをすべてわかっているのだろうか、男性はゆっくり言葉を続ける。
「あなたが起きたこの場所は、閻魔様の統括する死後の社会みたいなものです。地獄ではありませんよ。地獄へ行く人間はこの過程をすっ飛ばしていきなり閻魔様のもとへ送られますから。
あなたはここで、あなたが死んだ瞬間に生み出した損失というものを、清算していただきます」
清算する?どうやって?人の世界と死後の世界が繋がっているとでもいうのだろうか。
「現金による清算ではありませんよ。損失をそのままにしては来世で良き人生を送れませんからね。まあ、労働に近いものですが、ここでしばらく働きながら生活をしていただき、あなたが死ぬ瞬間に生み出した損失を徳として積み上げてもらいます。」
徳?そんなものは見えないぞ。現金のほうがまだ比較しやすい。
「ならば現金換算で行きましょうか。・・・こちらが、あなたの損を記した一覧になります」
そういいながら手渡してきたものは白紙のA4用紙。何も書いてないじゃないかとにらみつけるが、気にした風ではない。
「あなたがここで生活し、徳を積んでいき、その量が一定値に達したとき、項目が見えるようになります。そこではじめて、あなたは死んだときに作り出した損失に気付くのです」
つまり自分の損失はこのA4用紙びっしりにあるということなのか。なんともまあ大変な死に方をしたものだ。これが練炭自殺や溺死だったら幾分か安価であったのだろうか。
まあ、あの世に来たからには現世のしがらみなんてものはなにもない。しばらく楽に過ごさせてもらうとしよう。
そう納得したのを察したかのように、男性が立ち上がる。
「ここの仕組みを理解していただきありがとうございます。外に出るとその世界が広がっていますので、そこからは自由に行動なさってください。最後に一つ。あの世ですから、悪いことをすれば閻魔様のもとに送り届けられますよ?」
悪寒を覚えるような笑みを浮かべながら恐ろしい一言を残して男性は去っていった。なにはともあれ、行動するしかないのだ。
自分の服装は死んだときのまま、徹夜明けのグレーのスーツ姿だった。気持ちの問題かもしれないが、スーツのしわは伸びているようにも見える。
あの世でも労働かよ。と思いながら8畳間の唯一の出口となるドアノブに手をかけた。
がちゃり。
眼前に広がったのは、どこかの工場だ。せっせと作業員たちが何かを生産している。ばたん、と背後で扉が閉まる音。
振り返るとそこは何もない。ただの工場の壁があるだけだ。つまりはもう戻れない。何かをクリアしてこの工場を抜け出さなければならない。
周囲を見渡して、社畜の記憶がよみがえる。
ここは自分の下請けになっていた町工場に近い雰囲気だ。旋盤が3台とベルトコンベアが2台。それぞれの機器に従業員がかかりっきりで作業をしている。
旋盤が奥、コンベアは手前に配置されている。旋盤の職員は血眼になりながら金属のようなものを加工しており、コンベアを通す過程で品質検査と〆の焼き入れをしているのだろう。
壁に目をやれば今月の達成目標とある。数字を見るまでもなく、半分程度しか達成できてない。
そうだった。確か自分が初めて営業に行った時も、同じような状況だった。その時はどうやったっけか。
まずは旋盤に精密調整の可能な冶具を搭載した。これで血眼になる必要はなくなるから、職員の1個あたりへの負担は相当軽くなった。
そして機械の配置を変えた。材料の状態のほうが当然重いため、荷運びの近い入り口に配置し、コンベアは1台に連結してぐるっと工場を周回して入り口に戻るようにした。
ひとまずこれでしばらく運営したところ、業績は少しずつ回復していった。それによって工場が新たな機械を導入し、職員も余裕をもって作業ができるようになった。
記憶をさかのぼったところで、じゃあとりあえずそのようにしてみよう、と顔を上げた時だった。
そこにはすでに再配置済みの機器や冶具があり、職員も生き生きと働いていた。
入り口から工場長らしき白髪交じりの男性が入ってきたかと思えば、何かを言い出してさらに全員の顔が明るくなる。
大口の顧客でもつかめたのだろうか。
目の前の人たちがうきうきとしているのを見るのは、自分にとっても心地よい。ああ、よかったな。とそう思いながら瞬きをした次の瞬間だ。
次は打って変わってIT企業と言えそうなオフィスの中にある一室。窓からは向かいのビルが見え、ガラス張りの壁の向こうでは社員たちがPCを相棒にカタカタとひっきりなしに叩いている。
ああ、そういえばここも来たことあったぞ。ここでは自社でも未着手だった新規データベースサーバの開発に一枚かませてもらったんだった。
そう思った瞬間、社員のキーボードをたたく音は半減し、笑顔の絶えない職場になっていた。
納品するまでが仕事だったから、ここまで変化していたというのは知らなかった。自分の行ったことに誇りが持てそうだ。
ここまできて手元の白紙に目をやると、「死体除去費用:400万円」と記述されていた。
なるほど、自身の記憶を追体験しながらやっていけるのか。これは楽な仕事だ。
とするならば次の案件は何だったか。そうだ、サーバの障害によるリプレース案件だ。
軽く目を閉じ、再び開けばそこは本当にサーバ障害で向かった現場そのものだった。
その次も、その次も。自分の記憶通りの流れをそっていく。
今は自分が生きていた時に最後に受けた案件だ。このあと無能上司に嫌気がさし、電車に飛び込んだ。この後はどうなるのだろうか。
A4用紙はまだ半分程度しか埋まっていない。
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そして瞬きをすれば、そこは公園。誰かが公園でたたずんでいる。
そこに駆け寄るもう一つの影。その二つの影は仲睦まじく、片方の肩に頭をのせていた。
これはどう見てもカップルである。自分とは無縁の世界。ここまでが自分の追体験をしていたからこそ、この光景が不自然に思えてならない。
もし、これが自分の一生を追っていく過程だとしたのならば、今目の前に広がっている光景というのは・・・・
そんな、まさか。ありえないと目を瞑り首を振って邪推を追い払う。
そして、恐る恐る目を開ける。目の前に広がったのはアパートの一室。忘れるはずのない、自分の部屋だ。
そこには椅子が二つ。食器も二つずつ。テレビが新しく増えている。それぞれの椅子に誰かが座っている。二人は影のように薄暗くなっており詳しくはわからないが、手を握っているのだろう、椅子の近くでつながっている。
もう状況から無理矢理理解するしかない。この影、一つは自分のものでもう一つはできるはずだった彼女のものだというのか。
これまで女性とプライベートなかかわりなどなかった自分が。この後、タイミングよく、女性とともにいることができるのか。
そんなわけないだろう。
これは妄想、あったらいいなと思えた理想の一ページにすぎない。
でも、もし真実なら?
だからそんな有り得ない妄想はするな。
だが、自分だって彼女を作りたかった。
その未練が生み出した希望的観測だろう。
でも、それでも・・・・
心の声との問答。そちらに夢中で外の景色を何も見ていなかった。はっと意識を外に向けると、そこには人の影が三つ。
子供がいた。大きさからして小学校1年生。見渡せばここは学校の校門だ。見覚えある懐かしい学び舎。
地元に帰って、子供を母校に入学させたのだ。
いやだ。
もう見たくない。
これ以上、自分のあったかもしれない話を広げるのはやめてくれ。
手元の紙を見る。苦悶に握りつぶされたA4用紙には、これまでよりも二回り大きいフォントでこう書かれていた。
「女性との機会損失:5000万円・第一子の出生、成長による社会損失:300兆円」
嘘だろう、こんなことあるはずがない。
だが、ここはあの世だ。時間軸も現世と関係ないとするならば、もしかすると・・・
「ここにあるのは真実ですよ」
いきなり聞こえた声に振り向くと、そこには最初に出会った小太りの男性がいた。
「あなたは、あの日、死ななければこの未来を描いていた。それを不意にした。それがあなたが死んだことによって生み出した損失です」
目の前が真っ暗になる。すべてがどうでもいいと、会社にすべてをささげてきた男だから、働く以外のことは何もできないと投げだしていた。
それがこの様だ。もうすこし踏ん張っていれば、こんな素晴らしいだろう世界に行けたのかもしれない。
おそらく苦しいことのほうが多いのだろうが、ロボットのように毎日こなているよりも感情の起伏があるだろう、ワクワクするだろう。
今までよりも刺激的な毎日を送れたのだろう。会社で疲れ切っても、それをいやしてくれる何かに出会えていたのなら、自分はもっと頑張れたのかもしれない。
そう思うと悲しくなってくる。なぜここでこの道を選んだ。どうして自分はこのような結末になってしまった。
もし、できることなら、もう一度あの時にもどってやり直したい。
やり直してみたい。
もし、本当にこの未来があるというのなら。
僕の望んだゴールはここじゃない
ぼうっとしていた。ここは駅のホームだ。今から通過する快速電車に飛び出して、僕はこの人生にけりをつけるんだ。
そういえば、僕の人生、彼女の一人もできなかったなぁ。親にいろいろ言われたっけ。まあ、そんな親不孝な息子もここでさようならだ。
電車よ来い、早く来い。そう願っていた僕の隣。ふっと横を見ればやつれた顔の女性が立っていた。
電車通過のアナウンスが鳴る。一歩を踏み出した。
しかしその隣、女性が僕よりも早く一歩を踏み出す。
僕は・・・・・