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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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天童美花という名のゴミ箱 

 「…………」


 酷い目にあった。


 本当に酷い目にあった。


 今日は厄日かな? と、思わずにはいられない。


 クラスメイトを泣かせた罪で環から回し蹴りをもらい、母さんからの理不尽な手紙で制裁せいさいを受け、更には楽しみにしていたオムライスを天童に食べられ、それをゲロで返されてしまう始末。


 これを厄日と言わずして、何と言おう。


 「くせぇ」


 ゲロまみれになった体をシャワーで洗い流し、部屋着に着替える。


 もとから不幸体質のきらいがある俺ではあるが、今日は特別に酷い目に合わされているような気がした。


 これほどまでの数の不幸は、本当に久しぶりである。


 思い返すに、母さんと一緒に住んでいた頃以来ではなかろうか。


 俺の不幸は、大体が天使によってもたらされるもののような気がする。あの時もこの時も、俺が酷い目にあう時は必ずといっていいほど近くに天使がいた。


 思うに、天使は人の不幸を呼ぶ邪悪な存在に違いない。


 何度も俺を酷い目にあわせては、きっと心の中でほくそ笑んで楽しんでいるのだ。


 うーん、やっていることが完全に悪魔ですね……。


 早く地獄にちてほしい。


 「あっ、優さん。もう上がったんですか? 意外に早かったですね。もう少しばかり時間がかかるものだと思っていました」


 とかなんとか、そんな風なことを考えながら俺がリビングに戻ると、床を雑巾ぞうきんでゴシゴシいている天童がおもむろに顔を上げた。


 驚くことに、テーブルの上に散らばっていた米粒も、ケチャップ汚れのついた皿もすでに片付けられていて、すっかりいつもの光景を取り戻している。


 ここを離れていた時間なんて十分かそこらだったはずなのに、たいした早業はやわざだ。


 半分俺の生活面のサポートをするために降りてきたという母さんの話も、あながち嘘ではなかったのかもしれない。


 「別に、男の入浴なんてそんなもんだろ……」


 とはいえ、全ては天童自身が出した汚れだから、褒めてやる気は一ミリたりとも出てこないけどな。


 「ていうか、体洗ってシャワー浴びただけだし」


 代わりに出てくるのは素っ気ない言葉である。


 まぁ思春期の男子なんて家族に対してはみんなこんなもんだろうから、ある意味においてはごく自然な対応とも言えるだろう。


 「もう、ダメですよ優さん」


 しかし、俺のその態度が気に食わなかったのか、天童は腰に手を当ててムッとした表情を作り、生意気にも小言を言ってきた。


 「ちゃんとお湯を張って湯舟ゆぶねからないと。シャワーだけでは汚れは落とせても、一日の疲れまでは落とせませんからね」

 「うるせーよ、母ちゃんかお前は」


 実際の母親よりも母親らしいことを言われ、何とも言えない不思議な気持ちになる。


 それに加えて、どことなく懐かしいものを感じた。


 仕事が忙しいからという理由で育児放棄していた母さんに代わって、俺に人間としての生き方を教えてくれた、とある人の顔をふと思い出す。


 そういえばあの人からも、今の天童と同じことを言われたっけ……。


 懐かしい記憶だ。


 あの人といる時だけは、俺は普通の子供でいられたような気がする。


 「やだなぁ優さん、そんな熱心に見つめられると照れちゃいますよ」

 「…………」


 しかし、あの幸せだった時が戻ることは絶対にない。


 思い出すだけ、時間の無駄だ。


 「んなわけねーだろバカ」


 なので俺は天童を適当にあしらってからテクテクと歩き、冷蔵庫の中身を確認した。


 過去の記憶なんかよりも、今はペコペコに空いているお腹をどうまぎらわせるかの方が重要である。


 「……良かった、牛乳はまだあるな」


 先程の天童の暴飲暴食によって家の中のありとあらゆる食べ物が食べ尽くされてしまった訳だが、幸いにも調味料や飲み物までは完全になくなっていないようで、目当ての牛乳がまだ残されていた。


 牛乳があるのならば、ホットミルクを作って少しは空腹感を紛らわすことが出来る。


 そう思い、牛乳をマグカップに入れてレンチンしようと電子レンジに近づく。


 「……ん?」


 その際、甘ったるい匂いに誘われて環から貰った紙袋を発見した。


 手に取ってみると、まだ中身が手つかずの状態で残っているのか、ずっしりとした重さを感じる。


 「なんでこれはまだ残ってるんだよ」


 正直言ってこれだけは食べてもらっても構わなかったのだが、流石の天童もこれには手を出す気にはなれなかったのか、開封すると予想通り中身がパンパンに詰まった状態で残されていた。


 「はい! 優さんがお腹を空かせてはいけないと思って、それだけは残しておきました!」

 「…………」


 無邪気な笑顔でサムズアップをする天童に、思わず殺意が湧く。ただ単にお前が食べたくなかっただけだろうがよ。


 「……クソ」


 しかし、今この瞬間においては貴重な食料であることには変わりない。


 酷い空腹感に襲われている今ならば、もしかしたらと、環の作った料理だって食べられるような気がした。


 空腹は、最大のスパイスなのである。


 「──うっ」


 試しに袋から一つ取り出してみると、途端にもわぁっとした甘ったるい匂いが襲い掛かってきた。


 うん、空腹が最大のスパイスになることは間違いないのだろうが、全然関係なかったわ。


 この死ぬほど甘ったるい匂いを嗅ぐだけで、体が勝手に反応して胸焼けを起こしそうになる。


 かなりいびつな形をしているが、おそらくこれはドーナツだと思う。真ん中に申し訳程度の穴が開いているから、たぶん合ってるはずだ。


 「うわぁ……」


 ドーナツ? のようなもののべちゃあとした触り心地に、強い不快感を抱いた。


 生焼けで柔らか過ぎる生地が、チョコやら蜂蜜はちみつやらでゴテゴテにコーティングされている。


 意を決してそれを口にふくむと、


 「うぇぇ、あっまぁ……」


 予想通りの甘さが襲い掛かり、すぐに吐き出しそうになった。


 表面のチョコと蜂蜜のコーティングだけで十分に甘いというのに、一口噛むごとに生地の内部から練乳が溢れて出してきて、狂おしいほどの甘さが口の中を支配する。


 すぐに飲み込もうとするも叶わず、無駄にねちょねちょとした生地が口蓋こうがいにべっとりと張り付いて、なかなか飲み下すことが出来ない。


 別に甘いものが苦手という訳ではないのだが……これはくどい。くどすぎる!


 苦行以外の何ものでもなかった。


 牛乳を慌てて口の中に流し込んで、ようやくのことで食べている分のドーナツを飲み込む。


 「はぁ、はぁ……」


 覚悟はしていたつもりではあったが、環の作ったドーナツは、やはり食べるのに困難を極めるものだった。


 「よし」


 まともに食べられないことは十分に理解できたので、紙袋に入っているドーナツを全てボウルに移して、戸棚にあったインスタントコーヒーを大量にぶち込んでやる。


 「ちゃっと何やってるんですか優さん!」


 半分まで入れたところで、血相けっそうを変えた天童に止められた。


 「ダメですよ、そんなことしちゃあ! せっかくの手作り料理が台無しになっちゃうじゃないですか!」

 「いや台無しもなにも、これ最初から食えたもんじゃないし……」


 むしろ一口食べただけでも褒めてほしいくらいである。


 しかし、俺のそんな思いもむなしく、手に持つインスタントコーヒーは天童にひったくられるようにして取り上げられた。


 「いいですか優さん、女の子が頑張って作った手作り料理というものは、それはそれはもう尊いものなんです。ましてや友達のいない優さんにとっては、非常に希少価値の高いものと言っても過言ではありません」

 「いや過言だろ」


 環の手料理が希少価値の高いもの? 何を言っているのだろうかコイツは。


 天童は俺の言葉も無視して、話を続ける。


 「なので優さんはそれをもっとありがたがって大切に食べるべきなのです。マズいからといってすぐにアレンジしてしまうだなんて言語道断! 作ってくれた人に失礼だとは思わないのですか?」

 「まったく思わないな。だってこれ生ゴミじゃん」

 「な、なまっ──!」


 断言する俺に、天童はいくぶんかショックを受けた様子だった。あわあわと唇を震わせて、信じられないものを見るかのような顔をしている。


 「少しは言葉を選びましょうよ! 」


 それからなぜかキリッとまゆを吊り上げて、怒鳴り声を上げてきた。


 いいから環の手作り料理を食べろと、しつこいくらいに突っかかってくる。


 「はぁ……」


 どうしよう……なんかだんだんと面倒臭くなってきたぞ。


 なんでそんなに怒ってるのか分からない天童に、俺は繰り返し溜息を吐いた。


 「そんなに言うのなら、もうお前が食べろよ。俺はいらないからさ」

 「ダメです! これは優さんが絶対に食べなくちゃいけないものなんです!」


 だったらせめて味付けぐらい自分の好きなように改良させてほしいものだ。ていうか、マジでさっきから何を怒ってるのお前?


 そもそもの話、これは手作り料理ではあるが、ただの試作品である。ありがたがって食べるような代物しろものでは決してない。


 「つってもなー、なんの味付けも変えずに食べきる自信ないぞ、俺」


 そう言いながら憎々し気に俺がドーナツを一つ手に取り持ち上げると、


 ぐぅぅ! と、突然天童の腹から大きな音が聞こえてきた。


 「…………」

 「…………」


 よくよく見てみると、口元からよだれが垂れている。


 「……お前、もしかしてこれ食べたいの?」

 「そ、そんなことはありません!」


 まさかとは思って聞いてみたが、どうやら図星だったようだ。


 口では必死で否定しても、お腹の声が幾度いくどとなく空腹を訴えかけている。


 「はい、あーん」


 試しに天童に近づいて、口の前に環のドーナツを持っていった。


 「な、なんですか優さん? そんなことをされても、私が屈することは絶対に──はむっ」


 唇にちょんと触れただけで、ほとんど反射的に天童はドーナツにかぶりつく。


 「えへへへ、あまぁ~い──」


 恍惚こうこつな表情を浮かべながら、天童は幸せそうにドーナツを頬張った。


 その様子を見て、俺はもう一つドーナツをボウルから拾い上げる。


 「──ハッ!? だ、ダメですよ優さん、ちゃんと自分で食べないと!」


 我を取り戻したようだが、もう遅い。抵抗するのも無視して、俺は再びドーナツを天童の口元へと運んでやった。


 「いやいや遠慮するなよ。ドーナツだって、マズそうに食べる俺なんかよりも、美味しそうに食べてくれる天童に食べてもらいたがってるって。ほれ、どんどん食べてけ」

 「ダメなんです! ダメなんです……。ダメなのに……」


 口では何と言っていても、体は正直だ。


 「う、うぅぅ……ぱくっ」


 天童は自分の異常なまでの食欲にあらがうことができず、環のドーナツを次から次へとあっという間に平らげてしまった。

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