舞ちゃんからのお誘い
「あっ、おかえりなさい、お兄ちゃん」
「…………えーと、何コレ?」
熊谷をぶっ飛ばして店に戻ると、舞ちゃんの座ってるテーブル席に大量の料理が並べられていた。
パンケーキ(450円)、メロンクリームソーダ(500円)、オムライス(800円)、ミニサラダ(200円)。計1950円。それが二人前ずつあるから、倍額の3900円。
唖然とした顔で俺が突っ立っていると、舞ちゃんが少し困った様子で俺の質問に答えてくれた。
「えーと、流石に食べきれないって断ったんですけど…………優お兄ちゃんのサービスだから遠慮しないでって、さっきの店員さんが……」
舞ちゃんの視線の向く先を追って俺も目を向けると、したり顔でグラスを磨く環と目が合った。
環は俺と目が合ってすぐ『もてなしてあげたわよ』とでも言いたげな表情で、サムズアップを決めてみせる。
「…………」
殴りたい、あの笑顔。
たぶん舞ちゃんがこの場に居なければ、今頃は全力で奴の顔面にグラスを投げつけていたことだろう。
良かったな、環。この場に舞ちゃんが居てくれて。グラスが一つ粉々にならなくて済んだぜ。
「……ふぅ」
再び発現しそうになった憤怒の衝動をグッと堪えて、席に座る。
少しでも気持ちを落ち着かせるため、俺はまだカップに残ってる激甘ココアに口をつけた。
「うえっ」
ぐわぁ!? やっぱクソ甘ぇ! 飲み心地もなんかドロッとしてるし、どんだけハチミツ入れてんだよあのクソ女……!
それでももったいないからという理由で必死にココアを喉に流し込んでいると、目の前にいる舞ちゃんが、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「……それにしても驚きました。優お兄ちゃん、悪魔の方とお知り合いだったんですね」
「──ぶっ!?」
突然とんでもない発言が舞ちゃんの口から飛び出してきて、俺は口に含んでいたココアを盛大に噴き出してしまった。
幸いにもカップに口を付けていたタイミングということもあってか、噴き出したココアは前には飛ばず、全て俺の顔面に返ってくる。ついでにベトベトした液体が変なところに入り、思いっきり咽た。
「げほっ、ごほっ!」
「だ、大丈夫ですか⁉ これで拭いてください!」
苦しむ俺に向けて慌てて自身のハンカチを差し出してくる舞ちゃん。
「だ、大丈夫!」
クソ女共に比べて超優しい!
──けど、こんなことで舞ちゃんの私物を汚したくなんかないので、俺は前のめりになる彼女を手で制し、テーブルに置いてある紙ナプキンを大量に取って口元に当てた。
ごほっ、ごほっと一頻り咽たところで、改めて舞ちゃんに顔を向ける。
「え、えーと……なんで、熊谷が悪魔だって……?」
俺の当然の疑問に、舞ちゃんはこてんと首を傾げた。
「なんでって……そりゃあだって、さっき逃げる時、思いっきり悪魔の姿に変身してたじゃないですか?」
思いっきり悪魔の姿に変身してたじゃないですか……か。
「えーと……それはつまり、見えてたってこと?」
「あっ!」
言うと、舞ちゃんはなぜか突然ハッとなって、申し訳なさそうな顔で頭を下げてきた。
「ご、ごめんなさい! あっち向いてって言われてたのに……つい、気になって」
「いやっ、それはいい! マジでどうでもいい!」
怒り狂う俺の姿を舞ちゃんにバッチリ目撃されてて、ぶっちゃけどうでもいいと言ったら嘘にはなるが…………うん、まぁ……やっぱり今はそんなこと気にしてる場合じゃないな!
嫌なところを見られたことなんかよりも、どうして舞ちゃんが悪魔化した熊谷のことを視認できたのかの方が圧倒的に気になる。
普通の人間では悪魔や天使の姿を見ることが出来ない。
つまり、舞ちゃんは──。
「まさか…………俺が天使に育てられてたってことも……もう知ってる感じ?」
「いえ、それは全然知りませんでした。……えっ、お姉ちゃんの担任だったあの先生、天使だったんですか?」
「…………。そっかぁ……知らなかったかぁ……」
母さんの正体を、全然知らなかったようだ。
おう……マジか。母さん、ちゃんと自分の正体を隠し通せてたんだな……。
…………まぁアレだ……その……なんかごめん。
天界にいる母さんに、心の中で謝る。これ以上は余計なことを言わない方が良いなと思い、俺は口を噤んだ。
「あっ、でも!」
そんな俺の様子を見てか、舞ちゃんがフォローするような感じで口を開く。
「もしかしたらお姉ちゃんは知ってたかもです! お姉ちゃん、私以上にそういうの視える人でしたから!」
「そ、そうなんだ……全然知らなかったよ」
気遣ってくれてるつもりなのかもしれないが、さっきから俺にとって衝撃の事実の連続で、戸惑いを隠すことが出来ない。
舞ちゃんも唯姉も、視える方の人間だった。それはつまり高い霊力が備わっているということであり、普通の人間よりも圧倒的に魔獣や悪魔に狙われやすくなる体質であるということだ。
「…………」
その事実を知ってさえいれば、俺は絶対に唯姉を一人外に送り出したりなんかはしなかっただろう。
唯姉が死んだ理由が魔獣や悪魔関係なのかは知らないが、母さんの反応からして、その可能性は大いにある。
俺に言えないような何かが、唯姉の身に降りかかったのだ。
俺のわがままのせいで、唯姉の身に何かが……。
「──っ」
「お兄ちゃん?」
また陰鬱な表情になっていたのか、舞ちゃんが心配そうな顔で声を掛けてくる。
悲しみと怒りがごちゃ混ぜになったかのような感情をどうにか胸の内に押し留め、俺は舞ちゃんに向けて下手くそな笑みを作った。
「大丈夫、何でもない……。それより、お墓参りの話だったよね? うん、また来週にでも──」
「あのっ、その件なんですが!」
言ってる途中で、遮られる。
舞ちゃんはテーブルに身を乗り出し、
「出来れば、今日来ていただけないでしょうか?」
「えっ、今日?」
なんて、なかなかの無茶を言ってきた。
舞ちゃんとしても自分が無茶なことを言ってる自覚はあるのか、申し訳なさそうな顔で俺に伺いを立てる。
「その……本当に急で申し訳ないんですけど……今日来て欲しいんです! 今日だけ、えーと、旅館に空きがあって……でも来週からはしばらく予約でいっぱいになってて……。平日ならいけるんですけど、お兄ちゃん学校ありますよね? だから、今日と明日だけなんです。……七年前あんなことがあって、お兄ちゃんとは最後に酷い別れ方しちゃったから…………その、ずっと──」
「待ってください!」
そこに、空気を読まない剣崎妹の声が差し込まれた。ずんずんと前に出てきて、興奮気味に鼻を鳴らす。
「上月先輩は明日、私とデートをする約束をしてるんです! つまり、今夜はお泊りデートということでよろしいですか⁉」
「えっ? デート?」
剣崎妹の声に驚きの表情を浮かべる舞ちゃん。
直後、スパーン! と、剣崎妹の頭から快音が鳴った。
ハリセンで叩かれ、小さく「いたっ」と悲鳴を上げる剣崎妹。
ナイスだ環。もう一発いったれ。
剣崎妹のアホをシバくのは環に任せることにして、俺は無駄に落ち込んでいる舞ちゃんに改めて声を掛けた。
「気にしなくていいよ舞ちゃん、アイツとのデートはどの道無しにするつもりだったから」
「えぇ! そんなぁ!?」
遠くで剣崎妹がショックを受けているが、無視する。
もともとガーゴイル君とかいうクソボケメカを作られた段階でデートの件は無しにしてやるつもりだったのだ。ハリセンからの痛みだけでなく、罰として思う存分心理的ショックも受けてほしい。
しかし、そんな俺の願いが届くことなく、
「い、いえっ! 大丈夫です! すみません、お兄ちゃんに彼女さんがいることに少し驚いてしまって……。空きはまだ三部屋ほどありますから、彼女さんも来ていただいて大丈夫です」
「きゃー! 聞きました環先輩! 彼女ですって! 私、上月先輩の彼女ですって!」
舞ちゃんの余計な一言によって、剣崎妹は大いに喜んでいた。
バカが、ただの勘違いにはしゃいでんじゃねーよ……。
「違うよ舞ちゃん」
どうでもいい奴ならともかく舞ちゃんに勘違いされるのだけは我慢ならないので、俺は真面目な顔を作り、気持ち優しめの声で訂正を行った。
「アイツは俺の恋人じゃなくてストーカー。れっきとした犯罪者だから、気にかけてやる必要は一切ないんだ。これからもずっと無視しててくれていいから……もうアイツの声に耳を貸さないで?」
「え……いや、でも……ともだち、ではあるんですよね?」
「そうです! ガールフレンドです!」
「もういいから黙りなさいアンタ!」
ぐんぐんとこちらに迫ってきそうな勢いの剣崎妹を、環がどうにか羽交い絞めして止めてくれる。
俺はそれを見て、心の中だけで彼女に感謝の言葉を送った。
ありがとう環。勝手に俺の給料でホットココアを出した件は今のでチャラにしてやるよ。大量の料理の方は絶対に許さねーけどな。
心の中だけで感謝の言葉を送って、俺は困惑気味の舞ちゃんに向けて首をふるふると横に振った。
「ううん、大丈夫。そもそもの話、俺に友達はいないから。俺はこの町に引っ越してからずっと学校でボッチしてるから、舞ちゃんが心配するようなことは何もないよ。なんならアイツらにイジメられてたりするし」
「えっ、いや、えぇ……?」
「アンタはアンタで何言ってんのよ⁉」
剣崎妹を羽交い絞めにしながら遠くでなんか環がツッコミを入れてくる。
俺としてはボケたつもりはなくただの事実を言っただけなので、これも無視して構わないだろう。
唯姉のことを忘れて呑気に友達を作って遊んでいる訳ではないと、それだけはちゃんと舞ちゃんに伝えておきたかったのだ。
唯姉の死の原因を作ってしまった俺に幸せになる資格はない。それだけは、俺が絶対に忘れちゃいけないことなのだから。
「えーと……お兄ちゃんの学校生活のことはもの凄く気になるんですけど…………とりあえず、今日来てくれるってことで良いんですよね?」
「うん」
おずおずと訊ねる舞ちゃんに、首を縦に振って答える。さっそく準備に取り掛かろうと立ち上がったところで、
「あっ、そうだ」
この場にいて、ずっと静かに佇んでいる天使の存在を思い出した。
流れで話を決めてしまった訳だが、本来なら夜は毎日天使になるため? の戦闘訓練が行われている。奴も話を聞いていただろうから大丈夫だとは思うが、それでも一応行っても良いかどうかの確認だけはしておくべきだと思った。
「天童…………天童?」
「…………」
が、名前を呼んでも返事がない。
どういう感情を抱いているのだろうか? 神妙な面持ちで舞ちゃんを見続けたまま、銅像のように固まっている。
「…………」
「え、えーと……」
何度呼びかけても反応がなく、しまいには視線に気づいた舞ちゃんが困り始めてしまったので、
「おい、天童!」
「──っ⁉」
俺は仕方なく、彼女の名を呼ぶ声量を強めることにした。
「は、はい! 何でしょうか⁉」
その呼びかけによって、ようやく天童がまともな反応を見せる。肩をビクッと跳ねさせ、声を発した俺の方に慌てた様子で顔を向けた。
「何でしょうか? じゃねーよ。今の話、聞いてなかったのか?」
「あっ、いえっ聞いてました! 今日、姫神市に帰られるという話ですよね?」
「えっ、あぁうん……そうだけど」
今俺達『姫神市』の名前なんか出してたっけ? と一瞬疑問に思いつつも、まぁとりあえず話は聞いてくれてたようなのでスルーする。
どうせ俺の地元のことなんて母さんに聞いたら一発で分かる話だ。天童が知っていたとて、別に驚くようなことではない。
「まぁ、そういうことだから……今日と明日、出かけてくる。留守番頼んだぞ」
「あっ、ま、待ってください!」
来ると分かりきっていたであろう俺の頼みに、しかし天童はすぐに了解することなく、待ったをかけた。
何かダメな理由でもあるのだろうかと首を傾げる俺から即座に視線を外し、どうしてだろうか、再び舞ちゃんに対して神妙な面持ちを向ける。
「…………」
しばしの沈黙。
それからようやく天童の口が開いたのは、少なくともたっぷり十秒が経過した後だった。
「あの……舞さん、でしたよね?」
「は、はい……」
やけに真剣な眼差しで舞ちゃんの名前を確認して、願いを伝える。
「その…………私も、あなた達に付いていってもいいですか?」
「……え?」
天童が伝えた願いは──そんなどシリアスな表情に似合わない、ごくありふれたものだった。




