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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第四章 咎人の帰郷
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再会は呪いのおまじないと共に

 「えーと……少し見ない間に、大きくなったね……舞ちゃん」

 「少しなんかじゃないですよ、優お兄ちゃん。七年ぶりです」

 「……そう、だったね」


 店内は、重苦しい空気に満ちていた。


 「…………あ、えーと」


 ねっとりとした黒いものが肌に纏わりついているような感覚に、居心地の悪さを感じる。


 遥々遠くから来てくれたというのに、上手く声を発することすら叶わない。まるで全身が泥沼に沈んでいるかのような、そんな重苦しい気分だった。


 いくら呼吸をしても酸素を取り込めない。


 額から滲む汗は確かな緊張感の表れであり、僅かな水分消費にも関わらず、嫌に喉が渇いていく。ごくりと唾を飲み込んでも喉が潤うことは決してなく、収縮した気道がそのまま張り付き、更なる息苦しさを俺に覚えさせた。


 パクパクと口を無駄に開閉させ、


 「あ────い、いくつに……なったのかな?」


 やっとのことで出てきたのは、そんなどうでもいい言葉だけだった。


 「…………」

 「あっ、いや」


 小学生でも分かる計算を彼女に強いていることに、自分に対して激しい怒りが湧いてくる。わたわたとしているところも非常に気持ち悪くて殴りたくなるほどに不愉快だ。


 自分がコミュ症なのだというのは自覚しているが、こんなにも酷い症状が現れたのはいつぶりだろうか。


 たぶん……七年前、唯姉が俺の前からいなくなってからだと思う。


 「…………」


 見れば見る程、彼女は唯姉に似ていた。


 まだどこか幼さの残る、あどけない表情。その顔つきはもちろんのこと、標準的な体型や肩まで伸びた黒髪、果ては何気ない仕草までもがあの時の唯姉の姿と重なって見える。


 唯一違和感があるとすれば身長くらいのものだが、それはあの時の唯姉が大きかったというよりも、昔の俺が今よりもずっと小さかったからだろう。


 あの時の俺は、心も体もただのクソガキだった。


 一度も壊れたことのない、バカなクソガキ。唯姉が大人に見えていたのも、当然のことだったんだろうなと思う。


 唯姉って、こんなにも幼かったんだな……。


 それに比べて俺は……唯姉を失ってからずっと……。


 「──っ」


 過去を振り返り、一番誰とも喋れなかった頃の自分を思い出して、また吐き気を催す。環と出会って少しは改善されたかと思っていたが、やはりコレが完治することは未来永劫なさそうだ。


 ……別に治らなくてもいい。


 きっとコレは罰だ。罪を犯した俺に対する、唯姉からの最期の呪いなのだから。


 「優お兄ちゃん……。私、14歳になりました」


 びくびくと怯える俺を、少しだけ寂しそうな眼差しで見つめる舞ちゃん。


 きっと言いたいことは山ほどあるだろうに、憐れんでくれているのか、俺のくだらない質問にもちゃんと真っすぐに答えてくれた。


 本当に、優しい女の子に成長したのだと思う。


 だけど今は……その優しさが、胸を引き裂くほどに痛い。

 

 「う、うん。そう、なるね」

 「あの時のお姉ちゃんと同じ年齢です」

 「…………」


 ハッキリと彼女のことを話題に出されて、何も言えなくなる。


 そんな顔で俺のことを見ないでほしい。


 「これ、覚えてますか? お姉ちゃんの誕生日に、優お兄ちゃんがプレゼントしてあげた髪留めです。似合ってますかね?」

 「…………うん」


 それは、八年前俺が唯姉に送った最初で最後のプレゼントだった。『星が好きなんだ』と言っていた彼女への、俺がなけなしのお小遣いで買ったプレゼント。


 星形の髪留め。唯姉の形見。それが、今は舞ちゃんの頭の上でキラリと輝いている。


 「似合ってるよ……」

 「…………」


 舞ちゃんは俺のそんな言葉に、どうしてだか悲し気な表情で俯いた。


 「──っ!」


 そしてすぐに己の愚行を恥じるように、慌てた様子で髪留めに手を伸ばす。


 「すみません……無神経でしたね。今すぐ外します」

 「あっ、いやっ」


 それを、俺は慌てて止めた。別に無神経だと思った訳ではない。残された舞ちゃんの気持ちを考えれば……俺が咎めるようなことなんて何もしていないのだから。


 「今まで……大切に使ってくれてたんだろ? だから……そのままで良い……。それはもう……唯姉と、舞ちゃんのものだ」


 舞ちゃんの頭にある髪留めには、明らかに使い込まれているような形跡があった。今日昨日で使い始めた訳ではない、れっきとした傷跡が。


 故人の形見をどう扱うかは、人によって大きく二つに分かれると思う。傷つけないよう大切に保管し続けるか、その人を傍に感じられるよう大切に使い続けるか。


 どちらにせよ、唯姉の残したものを大切にしていることに代わりはない。


 舞ちゃんはその内の後者を選んだだけのこと。同じく大切に扱ってくれているのだから、嬉しく思うことはあっても、怒りが湧いてくることなんて絶対にありえない。


 「……すみません、ありがとうございます」

 「…………」


 だからきっと、無神経なのは俺の方だ。


 嬉しく思ってるはずのなのに、舞ちゃんに対して、ちゃんとした笑顔を向けられないでいるのだから。


 「…………」

 「…………」


 再び訪れる沈黙の時間。それを打ち破るようにして、環がホットココアを持ってきた。


 「こちら、サービスのホットココア(400円)になります。代金は上月の給料から引いとくから、好きなだけゆっくりしてってね」

 「あっ、はい! ありがとうございます!」


 舞ちゃんに対してニコリと優しい笑みを向ける環。俺の前にもホットココアを置いて、優雅に去っていく。


 ありがとう環。


 出来れば勝手に俺の給料を減らさないで欲しかったが……給料減らすんなら舞ちゃんの分だけにしとけよと思ったが……ぶっちゃけくれるのなら俺はブラックコーヒーの方が良かったが…………ココアを飲んだ舞ちゃんが安心したようにホッと一息を吐いたから……まぁ、文句は言うまい。


 俺も舞ちゃんに倣って、ホットココアを一口啜る。


 ──なんだコレ、蜂蜜入ってる⁉ クッソあめぇ⁉


 通常の三倍くらいの甘さに軽く驚きながらも、俺は張り付いた喉を激甘ホットココアで無理矢理押し広げ、口を開いた。


 ウザったらしい程の甘さに咽つつ、今一番気になっていることを訊く。


 「こほっ……。それで、今日はどうしてここに……? あれっきり一度も戻ってなかったのに、よく俺の居場所が分かったね」


 七年前、逃げるようにこの町に引っ越してきてからずっと、俺は幼少期を過ごした町から距離を置いていた。帰らないのはもちろんのこと、舞ちゃんに対して連絡手段一つ残さずに。


 完全に関係を断ちたかったから。少しでも彼ら彼女らの記憶から俺の存在を消したかったから。


 間接的に人を殺しておいて何を言ってるんだと思われるかもしれないが……それでも、当時の俺は逃げる以外の選択肢を選べなかった。


 そしてそれは実際に成功していたと思う。


 向こうの人達が俺のことをどう思ってるのかは分からないが、こうして七年間、一切の接触なく過ごしていたのだから……。


 ……だから、今の心境としては、警察に見つかった時の指名手配犯に近いのかもしれない。


 舞ちゃんのことを悪く思いたくはないが、どうしてもそういう風に見えてしまう。


 「先日、お姉ちゃんのお葬式が執り行われました」

 「……そう」


 そんな風にビクビクと怯える俺に、舞ちゃんが粛々とそう言ってきた。


 「実際本当に亡くなってるのかどうか分かりませんけど……七年経って、正式に『死亡認定』を受けたので、うちのお墓に入ることになって…………。それで……良ければ、優お兄ちゃんにお墓参りに来てくれたら……お姉ちゃんも喜んでくれるかなと思って、こうして訪ねてきました」

 「うん」


 唯姉が亡くなっていることを、舞ちゃん達は知らない。表向きとしては、行方不明者扱いとなっている。


 雨の降る少し蒸し暑いあの日、唯姉は俺達の前から忽然と姿を消した。何があったのかは俺も知らない。ただ一言、天使である母さんから「あの子は天へと召されました」と告げられただけだ。


 何か事情を知っている風に見えたが……結局、母さんは俺に何も教えてくれなかった。その代わり、好きなだけ俺に殴られてくれていた。


 一切の反撃をせず、身を守ることもせず、ただ一方的に……。


 ムカつく奴を殴れる絶好の機会だったが……初めて見る母さんの悲しそうな表情に、殴る気はすぐに失せてしまった。


 大切な人を失った喪失感で、俺も何も出来なくなっていたのかもしれない。


 そしてその喪失感のせいか、唯姉が亡くなっているという事実を、俺は最後まで誰にも伝えられないまま、逃げるようにしてあの町から去った。


 みんながまだ唯姉の生存を信じていたから、彼女の死を信じる薄情な奴だと思われたくなかったから……何も言えないまま、去ってしまった。


 そのことを後悔していないと言えば噓になる。


 言って、ちゃんと彼ら彼女達から制裁を受けるべきだったのじゃないかと……ずっと。


 「…………」


 正直言って……今、めちゃくちゃ怖い。


 罰せられるべきな想いと逃げたい気持ちがごちゃごちゃに混ざって、もうどうしていいのか分からない。


 分からないけど……舞ちゃんの要求を全て受けるべきだと、理性がそう命令した。


 覚悟を決めて、顔を上げる。


 「優お兄ちゃんがどこにいるのか全然分からなかったんですけど……つい最近、偶然、友達に手掛かりになりそうな動画をオススメされて……ここに居るって分かりました」

 「……動画?」

 「はい、これです」 


 俺が顔を上げるのとほぼ同時に、舞ちゃんが懐からスマホを取り出し、その手掛かりとなった動画を再生した。



 『で、でりしゃすビーム! びびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびび!!!』

 『あはははははははは!! ヤバイ! お腹いたい! ヤバイ!!」

 『誰かぁ! 誰か救急車呼んでぇ!! 死ぬぅ! 死んじゃう! あはははは! 笑い過ぎて死んじゃうよぉ!!』

 『もう一回! もう一回お願いします! ミイラ男先輩!』



 「………………………………………………………………………………………………………………………」

 「包帯で顔は分からなかったんですけど、制服のネームプレートを見て、もしかしたらって思って……」

 「…………そう」


 動画の内容は、今から一か月程前、俺が剣崎妹のためにでりしゃすビームを全力で放ったものだった。


 映ってるのは、あの場にいた俺と環と円香さんと剣崎妹のみ。つまり、これの撮影者は──。


 「なので私は──」

 「ごめん舞ちゃん、ちょっと待って」

 「……?」


 わざわざ振り返って後ろを確認するまでもなく「あっ、やばっ」と言って犯人が席を立った。そろりそろりと店の外に出ようとしている気配を肌に感じながら、俺は何かを言おうとしていた舞ちゃんの言葉を遮る。


 「ごめん、ちょっとだけ耳を塞いで、あっちの方を向いててもらっていいかな? すぐに終わらせるから」

 「えっ、すぐに終わらせるって、何を?」

 「うん、それは舞ちゃんが知らなくてもいいことだよ。ホント、後でなんでも言うこと聞くから……今だけちょっと、俺の言うことを聞いてもらっていいかな?」

 「あっ、はい。わ、わかりました」


 戸惑いながらも、ちゃんと耳を塞いで店の奥の方を向いてくれている舞ちゃん。俺はそれをしっかりと確認して、席を立った。


 【憤怒の権能】発動。逃走を図る犯人に向かって全力で駆ける。



 「くううううううううまああああああああがあああああああああいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」

 「うわあああああああああああああああああああ!!!!」



 権能の力で身体能力を極限まで強化出来たおかげか、逃げた悪魔を捕まえるのは簡単だった。


 ボッコボコにしてやった。

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