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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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食べ物の恨みは恐ろしい 

 「う、うーん……ここは?」


 目を覚ますと、俺はリビングのソファーで寝かされていた。


 まず初めに、見慣れた天井が目に入る。照明がやたらと眩しく感じるのは、果たして寝起きのせいだろうか。


 「いってぇ……」


 だんだんと意識が覚醒していくにつれ、首から上がズキズキと痛みだしてきた。手紙に殴られた顎はもちろんのこと、地面に叩きつけられた時に痛めたのか、頭と首もかなり痛い。


 落下する直前にはすでに意識が朦朧もうろうとしている状態だったからな。まず間違いなく、受け身をまったく取ることができなかったせいだろう。


 「今……何時だ?」


 痛みをこらえながら、どれくらいの間ここで気を失っていたのかを確認するため、俺はコテンと首を横に倒した。


 ガラス製のローテーブルの先。薄型テレビの下に備えつけられているブルーレイレコーダーのディスプレイを見て、今の時刻を正確に知る。


 『20:20』


 どうやら俺は、手紙による暴力を受けてから約二時間もの間、ここでぐっすり眠りこけていたらしい。


 「……ん?」


 むくりと上体を起こすと、どこからともなく鼻孔びこうをくすぐる良い匂いが漂ってきた。


 その匂いを辿たどるようにして顔を向けると、口いっぱいに食べ物を頬張っているハムスターみたいな顔した天童を発見する。


 「ばっ、ぼぶだんべずべ、ぐぅざん!」


 頭の上に浮かんでいた輪っかも背中に生えていた翼も今は消えていて、普通の女の子の姿となっている天童は、口いっぱいに含んだ米粒をまき散らしながら俺に向かって声をかけてきた。


 「ぼばごうごばいばず!」

 「…………」


 困ったことに、何を言っているのか全然聞き取れない。


 おそらくは『おはようございます』的なことを言っているのだとは思うが、正直言ってまったく自信はない。ものの見事に、言葉の一つ一つが潰れている。


 「ぶいぐんとががいばいだべむっべばじだで。ばばべんばいがかべずが?」

 「なぁ、とりあえず口の中のもん飲み込んでから喋ってくんない? 何言ってるか全然わかんないんだけど?」


 それでもなお喋り続けようとする天童に俺は堪らずストップをかけた。


 このままでは会話のしようがないし、何よりテーブルの上に散らばる米粒がシンプルに汚い。


 天童は待てを受けた犬のように固まって、それからしばらくもぐもぐと咀嚼そしゃくを繰り返してから、口の中の大きなかたまりを一息に飲み込んだ。


 「ごくん!」と、大きな塊が喉を無事に通過して、ようやく天童の言葉がクリアになる。


 「やっと起きたんですね優さん! おはようございます! あーむ。ぼばべんばいがかべずが?」

 「だから飲み込んでから喋れって言ってんだろうが!」


 なぜコイツはすぐに食べ物を口の中に放りたがるのだろうか。そこに山があるから登るように、そこに食べ物があれば食べないと気が済まないたちなのだろうか。


 食べ物依存症なのお前? いや、登山家のアレは依存症ではないと思うけど。


 「ったく……てゆーか、さっきから何食ってんだよ?」


 天童は最後の一口までもぐもぐごくんと飲み込んで、大きなお皿を斜めに持ち上げ俺に見せてきた。


 「見ての通り、オムライスです!」

 「いや、空になった皿を見せて、見ての通りとか言われましても……」


 普通はそういうのって、まだお皿に食べ物が残ってる状態で見せてくるものではないのだろうか。


 皿に付着している汚れだけで何を食べていたのかを伝えるには、流石に無理があるように思うぞ?


 天童は満面の笑みでサムズアップしながら、


 「たまたま材料が転がっていたので、作らせていただきました!」


 バカみたいに堂々と、自身の犯行を吐露とろしてきた。


 「たまたまも何も、それ俺がさっき晩飯用に買ってきてたやつなんですけど?」


 今日は口の中がすっかりオムライスの気分になっていたから、喫茶店RINGからの帰り道、スーパーで卵やケチャップなどの材料を購入していたのだ。


 昼間は微妙にお金が足りなくて別のものを注文していたから、それならば自分で材料を安く仕入れ、自炊じすいして食べようと思っての考えだった。


 それが、手紙に殴られた時の衝撃で俺の手もとから離れてしまっていたらしい。


 天童は本当に嬉しそうにはにかみながら、


 「えへへ、結構上手に作れたんですよ? 玉子はふわとろで甘く、ほんのりと酸味の効いたチキンライスとの相性も抜群! 沢山作ったのですが、美味しすぎてあっという間に完食しちゃいました!」


 と、ほっぺが落ちないよう手をえて、心底満足そうな口調でオムライスの感想を俺に伝えてきた。


 「へぇ、それは良かったな」


 人間界の常識など何一つとして知らなそうなヤバい頭をしている天童だが、どうやら意外にも、料理の腕には自信があるらしい。


 自然と、俺の腹も鳴る。


 「で、俺の分は?」

 「…………」


 たずねると、天童は途端に俺から目線を外し、どこか遠いところを見るような切なげな表情を浮かべた。


 「……ホント、優さんにも食べさせてあげたかったです、私のオムライス」

 「ねーのかよ俺の分」


 悲しいことに、俺の分は残されていないようだ。せっかく買ってきた材料が、全て天童の胃袋の中に収まってしまったもよう。何してくれてんだよお前。


 「テヘッ、全部食べちゃいました☆」


 イラッ☆


 誤魔化すようにしてコツンと頭を叩く天童に渾身の拳骨を落としてやりたいところだが、とりあえず今は拳を握りしめるだけにとどめ、グッと堪えてやることにする。


 すぐに暴力に走ろうとするのは良くない。俺は天使なんかと違って、極めて寛大な心を持つ人間なのだ。


 死ぬほどウザい謝り方をする天童を無視して、戸棚へと向かう。


 どの道、今日はもう料理を作ろうなんて気分でもなかった。


 母さんからの手紙に肉体的にも精神的にもボコボコにやられてしまって、料理を作る元気なんて欠片かけらも残っちゃいない。


 だからこそ、俺は庶民しょみんの味方に頼ることにした。


 いざという時に本当に助かる、俺にとっての心強い味方。


 その名も『カップラーメン』。お湯を注ぐだけで出来る、人類の英知の結晶である。


 「……あれ?」


 しかし、戸棚を開け目当てのカップラーメンを探してみるも、なぜか一つも見当たらない。


 確か記憶ではまだ3個くらいは残ってたはずなのに、どれだけ目をらして探してみても一向に見つけ出すことが出来なかった。


 「…………おい」


 カップラーメンどころか、非常用に取っておいた缶詰すらも消えている。


 俺は戸棚を静かに閉め、家の食材を消したであろう犯人を半目で睨みつけた。


 「テへッ☆」


 天童はまたもやコツンと頭を叩いて、

 

 「すみません、お腹が空いていたのでカップラーメンも缶詰も全部食べちゃいました!」


 反省する素振りすら見せず、堂々と自身の犯行を認めた。


 ぷっつーん。


 今度の今度こそ、堪忍袋の緒が切れる音を聞く。


 気づけば俺は無意識の内に天童のそばまで歩み寄っていて、頭頂部にぴょこんと生えるアホ毛を問答無用で掴みあげていた。


 上へ向かって思いっ切り引っ張ってやると、


 「いだだだだだだだだだだだ!!!」


 直後、天童からマンドラゴラのような悲鳴が発せられる。


 「や、やめてください優さん! 痛い! 痛いっ! 取れちゃう! 私のチャームポイントが取れちゃいますぅ!」

 「うるさい黙れ。返せ。今すぐに俺の貴重な食料を返せ」


 ぶっちゃけ絵面的にヤバい光景になっているような気がしないでもないが、天童の必死な懇願こんがんも無視して、俺は更に上へ上へとアホ毛を引っ張り続けてやった。


 良い子のみんなも覚えておいてほしい。それだけ、食べ物の恨みは恐ろしいのである。


 「ご、ごめんなさい優さん! お返しします! ちゃんとお返ししますからぁ! 真顔で私の髪の毛を引っこ抜こうとするのはやめてぇ! ハゲますぅ! 私ハゲちゃいますぅ! お願いですからこの手を放してぇ!」


 淡々と痛みを与え続ける俺にさしもの天童も強い恐怖を感じたのか、意外にもあっさりと観念して返す約束をしてくれた。


 流石の俺も鬼じゃないので、すぐに手を放してやることにする。


 天童は抜かされそうになったアホ毛を押さえて、ぐすんぐすんと涙ぐんでいた。大袈裟おおげさな反応だ。


 「うぅ……もう、酷いですよ優さん。女の子の髪の毛を引っ張るなんてあんまりです。本当に私がハゲちゃったらどうしてくれるんですか?」

 「知らねーよ。ウィッグでも被っとけ」


 そもそもの話、俺を怒らせた天童が悪い。


 「てゆーか、酷いのはテメーの方だバカ。買ってきた食材はおろか、非常用にとっておいたもんまで全部食い散らかしやがってよぉ。一緒に住むとか言っといて、本当は俺を餓死させるのが目的だったりするんじゃないだろうな? 新手の殺し屋か、お前?」

 「はははっ! いやいやいや、そんな回りくどいやり方で人を殺す殺し屋がいるはずないじゃないですかぁ! バカですねー、優さん! あいてっ!」


 ゲラゲラと笑う天童に、一発拳骨を落としてやる。


 「この流れで爆笑してんじゃねーよアホ」


 それから俺は、頭を押さえ痛がる天童に向けて手を差しだした。


 もちろん助けるためではない。払うべきものをちゃんと支払ってもらうためだ。


 「ほら、返してくれるんだろ? とっとと出すもん出しやがれ」


 俺がそう言うと、天童は観念したように息を吐いた。


 「はぁ……はいはいわかりましたよ、お返しします。……私も本当は嫌なんですけどね、優さんがどうしても返せというのなら仕方ありません。ちょっと待っててくださいね、すぐに吐き出しますから」

 「は?」


 コイツ、今なんつった? 


 「──ちょっ!?」


 俺が訊ねる間も与えずに、気づくと天童は自身の口の中に指を突っ込んでいた。


 待て待て待て! ちょっと待て!


 慌てて天童の腕を掴み上げる。


 「ふざけんなアホ! 何をここでいきなり吐き出そうとしてんだ!?」

 「へ? いや何をって……優さんが返せって言ってきた食材に決まってるじゃないですか? 吐き出す以外に、どうやって返却しろと?」

 「ま、マジで言ってんのかお前は!?」


 俺としては金を支払って返せという意味で言ったのだが、どうやら天童は今の言葉をそのままの意味として受け取ってしまったらしい。


 冗談でも何でもなく、目がマジだ。


 「いやいや待て待て待ておかしいおかしい! 俺が返せって言ったのはそういう意味じゃなくてだな──ちょっ、抵抗するなお前!」


 こんなところで嘔吐おうとされては堪らないので、必死に指を引っこ抜こうとするも、天童も天童でなぜか天使の怪力で抵抗を始め、なかなか引っこ抜くことが出来ない。いや、マジで何やってんだよお前!?


 「とにかく! ここで吐こうとするのはやめ──」

 「あっ、そんな揺らさないで──うぷっ!」


 そんな俺の必死の制止も虚しく、次の瞬間には、


 「やば──これ、思ったよりも気持ちわおろろろろろろろろろ!」

 「ぎゃあああああああああ!!!」


 大量の吐瀉物としゃぶつが俺の体に降りかかり、マンドラゴラのような悲鳴がリビングに響き渡った。

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