環ちゃんはちょっぴりおバカな女の子
「げほっ、ごはっ!」
「大丈夫?」
激しく咳き込む私を、環ちゃんが心配そうな顔で覗き込んでくる。
池の底からこうして無事に陸地へと上がれた訳だが、だからといってそうすぐに腹の傷が癒えてくれる訳ではない。
再生能力の高い吸血鬼といえども、その力の源はあくまでも血と魔力だ。先程の戦いでその二つを大きく消耗してしまったせいか、普段に比べて治りが非常に遅かった。
「ぐっ──うぅ……!」
懸命に魔力を腹に集中させているが、やはり治りは遅い。むしろ力めば力む程、痛みが増して辛くなってきたまである。
痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい!
せめて上月君の血がまだ手元に残っていれば良かったのだが、それも紅槍を作るために全部消費してしまった。今の私に、この苦しみから逃れられる術はない。
「はぁ、はぁ……だ、大丈夫……。こう見えても…………死には──ごはっ!」
「全然大丈夫そうに見えないんだけど!?」
腹に魔力を流し込むたびに、少なくない量の血が口内にせり上がってくる。
心配する環ちゃんを安心させるために吐いた言葉だが、言葉と同時に血も吐き出してしまったせいで、逆に不安にさせてしまったようだ。
……まぁどこからどう見ても今の私は死にかけ以外の何ものでもないから、心配する気持ちは分かる。立場が逆だったら、私も環ちゃんのことめちゃくちゃ心配すると思うもん。
でも、本当に大丈夫なのだ。
激痛は激痛だが、これでも痛みは最初の方に比べてだいぶマシになってきている。体力も魔力もまだそこそこ残ってる感じがするから、このままポックリ逝くようなことはないだろう。
「はぁ、はぁ──あうっ、ごぼぁ!!」
……たぶん、きっと。
十中八九、大丈夫だ!
「だ、い……じょー、ぶ。だ、だい、ぶ……ら、らくに……なって、きた……から」
「それもうすぐ死ぬって意味じゃないよね!?」
長時間池の底に沈んでいたせいか、寒さで体がガタガタ震えて上手く発声出来ない。呂律が回らず、ついつい死の間際みたいな台詞を吐いてしまった。
でも、本当に大丈夫。悪魔は五月の夜に凍死する程やわじゃないから、あと一時間くらいは余裕だよ☆
……ちょっと近くで焚火とかしてくれないかなぁ。
そう思っていると、環ちゃんが震える私の手をそっと優しく握ってくれた。
あったかいなぁ。あぁ好き。一生こうしていたい。
自然と表情も安らかなものとなる。
「ちょっ!?」
環ちゃんはそれをどう受け止めたのか、慌てて辺りを見渡し、それから少しの間「うーん、うーん」と唸ったのち、何か閃いたのか「あっ」と声を出して、私の顔を覗き込んだ。
恐る恐る様子を窺うように、一つの提案を出してくる。
「ねぇ……血を飲んだら、吸血鬼の力も強化されたりするのよね?」
「……う、うん」
「じゃあ……私の血、飲む? ちょっと天使とかの血も混じってるから、あんまり美味しくないと思うけど」
「──っ!?」
それは飲みたい! 是非飲みたい!!
美味しいとか美味しくないとかそんなのどうでもいい! 環ちゃんの血とかそれだけでもう最高じゃん! 例え味がおしっこみたいなものだったとしても、美味しいと言える確信が私にはある! 飲まない以外の選択肢はない!!
──あぁ、でも!!
「……でも、そんなの、わる……い」
僅かに残った良心が、それを邪魔した。
私は小汚い無能な悪魔。そんな私に、環ちゃんがわざわざを綺麗な柔肌を傷つけてまで血を流してもらう訳には、
「いや、悪いとか思わなくていいから。とりあえず、ちょっと試しに一滴口の中に入れてみるわね」
「あっ!?」
と言う間に、環ちゃんは白魚のような指先を前歯でひと噛みし、なんの躊躇いもなくその柔肌を傷つけた。
ぷくっと、小さな血玉が環ちゃんの指先に生まれる。それを零さないようゆっくりと運び、一滴、私の口の中へと垂らしてくれた。
瞬間、
「うっ──!?」
燃えるような刺激が、私の喉を焼いた。
「ああああああ!!!」
「えっ? えっ!?」
私の作った自家製デスソースの三十倍くらいの刺激に、失いかけていた意識が完全に覚醒し、血流がとんでもないスピードで全身を駆け巡る。心臓は大太鼓用のバチで叩かれているかのようにドンドンと鼓動を強め、ビクンビクンと漁獲されたばかりの魚のように私の体は地面の上を飛び跳ねた。
──やっば!!
先程まで感じていた寒気はどこへやら、今は体が熱くて仕方がない。
爆発的な刺激が、全細胞を活性化させる!
「がはっ! ──はぁ、はぁ…………な、治った」
「えぇっ!?」
そして、ぐちゃぐちゃにされた私のお腹は、一瞬のうちに完治していた。
すごい……。すごいよ環ちゃん! こんな刺激的な血…………わたし、はじめて♡
今まで感じたことのない刺激に、脳が歓喜に震える。パチパチと頭の中がスパークし、堪らない心地よさに自然と頬肉が上気しているのが敏感に感じ取れた。
これ、ホントやっばい……。わたし、なんかクセになっちゃいそう……♡
「な、治ったって、えぇっ!?」
ビクンビクンと過剰な反応をしてしまったせいか、環ちゃんが信じられないものを見るかのような目で私を見ている。まさかあの状態から一瞬で完治するとは思っていなかったのか、酷く混乱していた。
「なんかもの凄い感じで苦しんでたけど、ホントに大丈夫なの!?」
「はぁ、はぁ……。うん、もう大丈夫」
お腹をさすさすと触ってみても、特に痛みは感じない。流石に強く押し込めば鋭い痛みが走ったりはするが……まぁそれくらいは許容範囲だろう。
そんなことよりも、今は美味しい血を飲ませてくれた環ちゃんにお礼を言う方が先である。
私は乱れる息をどうにか整え、頭をコテンと倒し、環ちゃんに顔を向けた。
「ありがとう、環ちゃん……。すっごい良かった……。ものすごく、わたし好みの味だったよ♡」
「そ、そう……」
素直にお礼を言うと、なぜか環ちゃんはドン引きしたような表情となっていた。やはり爆発的な再生力を見せたことがいけなかったのか、どうやら彼女に化物だと思われてしまったようだ。ちょっぴり悲しい……。
ねぇ環ちゃん、なんでそんな目で私を見るの? 私、化物なんかじゃないよ?
「まぁ何と言うか、お口に合って良かったわ……うん」
「…………」
……とはいえ、環ちゃんが善意で私を助けた訳ではないことには、バカな私だって薄々感づいている。
私と環ちゃんは、誰が何と言おうとも敵対関係の間柄だ。小汚い悪魔を、神の子が善意で助けてくれるわけがない。きっと何か、私を生かさなければいけない理由があったのだろう。そうに決まっている。
「ねぇ、環ちゃん……」
だから、私は覚悟を決めた。
覚悟を決めて、命の恩人に問い掛ける。
「なんで、悪魔の私を助けたりなんかしたの?」
「なんでって」
果たして、彼女は私のこの問い掛けにどう答えるのだろうか?
何らかの目的で私を利用するため? それとも拷問でもして私から情報を引き出すため?
少なくとも、耳心地の良い答えが返ってくることはないだろう。
私は自分の目的のために環ちゃんに迷惑を掛けた。神の子であると知らなかったとはいえ……卑しくも、悪魔の身でありながら神聖な彼女に近づいてしまった。
胸の内に芽生えた恐怖心が、ジワリと全身に広がっていく。ようやく激痛と寒気から解放されたというのに、唇が震えて堪らない。
緊張で、頭の中が真っ黒に染まってしまいそうだった。
「私、環ちゃんに酷いこといっぱいしたよ?」
それでも、私は勇気を振り絞って言葉を紡ぎ出した。
助けられたことに浮かれていたが、あくまでも私は罪人だ。罪人には、必ず罰が待っているものなのである。
「悪魔であることを隠して環ちゃんに近づいたり、私の代わりに上月君とセッ〇スしてもらうために呼び出したり」
「えっ、なんでそれが酷いことになるの?」
「えっ?」
「えっ?」
「「…………」」
ポカーンと、お互いに間抜け面を晒して固まる。
しばしの沈黙ののち、夜空を見上げて、私は再び口を開いた。
「そうだったね……。環ちゃん、上月君のこと大好きなんだったね。嫌だ嫌だって言ってたけど、ホントはセッ〇スしたくて堪らなかったんだね」
「ちょっと!?」
その勘違いしようのない私の解釈に、環ちゃんは顔を真っ赤にし、慌てて言い訳を始めた。
「ち、違うから! 上月のことが好きなのは本当だけど──べ、別にセッ〇スしたいとか、そんなことこれっぽっちも考えたことないから! 私、実みたいな痴女じゃないし!!」
別に実ちゃんも痴女ではないと思うけどなー。
サキュバスの里で生まれた私からすれば、どちらも初心な生娘だ。本物の痴女共は、実ちゃんのような、胸を押し付ける程度の可愛い求愛行動では済ませない。
意中の男の為なら洗脳も殺しも平気でやってしまう程、もっと貪欲で狂ってる。
……そりゃ恨みを買って滅ぼされるよねと、当然のように思う。
「──ぷっ」
まぁでも、今はそんな昔ことなんてどうでもいっか。
顔を真っ赤にして怒る環ちゃん、超可愛いし。可愛すぎて、真剣な場であるにも関わらずちょっと笑ってしまった。
「深月!」
「あはは、ごめんごめん。からかうつもりはなかったんだけど、つい……ね?」
「ついって!」
笑いの止まらない私と、ぷりぷり怒る環ちゃん。
あぁ、楽しいなぁ……。こんな時間がずっと続けばいいのになと、身勝手にも願ってしまう。
「……環ちゃん」
──でも、きっとそれは許されない。
誰よりも、私が許せない。
だから、
「私は悪魔なんだよ? 神の子である環ちゃんとは、敵対関係に当たる存在なの。間違っても助けちゃいけない……本当に、殺されて然るべき存在なんだ」
「…………」
私の言葉に、環ちゃんは怒りを潜め、押し黙った。
判決を言い渡す裁判長のように、静かに罪人の言葉に耳を傾けて
「それなのに、助けてくれたのはどうして? 何の目的で、環ちゃんは私を生かし──」
「あのさぁ」
くれていると思ったら、途中で遮られた。
環ちゃんは酷く面倒臭そうな顔で息を吐き、ポカンと口を開ける私に向かって逆に問い掛ける。
「どシリアスなテンションで言ってるとこ悪いんだけどさぁ、『何の為に』とか、『何の目的で』とか、『悪魔』だとか『神の子』だとか、それって絶対に考えなきゃいけないものなの?」
「え?」
「何で友達を助けんのにいちいち理由が必要なのよ、面倒臭い。『友達』だから、じゃダメなの?」
「──あ」
『友達』
その言葉を聞いた瞬間、私の中から何かが込み上げてくるのを感じた。
目頭が熱くなる。喉がきゅって閉まる。胸の内が、じんわりと暖かい。
私は悪魔だ。環ちゃんにとって私は敵だ。仲良くなんてしたら、きっとそれを良しとしない人は沢山現れると思う。利益なんてない。むしろ邪魔者にしかならないような、そんな存在。
なのに環ちゃんは…………そんな理由で私を助けたの?
バカだよ……。
ホント、大バカやろーだよ!
「あ、ははは……。ははは」
暖かいものと共に、笑みが込み上げてくる。
熱くなる目頭を隠すように腕を乗せて、私は洋服の袖を涙で濡らした。
この気持ちは、あの時と似ている。死にかけていた私に手を差し伸べてくれた、あの時のように……。
「バカだなぁ……。環ちゃん……ほんとに……バカだよ」
「なっ!?」
さっきから感情がぐちゃぐちゃで、もう自分自身何を考えているのか分からない。死にたくないと思ったり殺されるべきだと思ったり……また生きたいと願ったり、もうめちゃくちゃだ。
環ちゃんはバカ。
でもきっと、本当にバカなのは私の方なんだろう。
卑怯で醜い悪魔の癖に、この子の為なら死んでもいいって、そう思ってしまっているのだから。
「し、失礼ね! 確かに私、学校の成績はあんまり良くない方だけど……最近は英語と算数でしか赤点を取ってないんだから、昔に比べて随分と賢くなったのよ!」
「あー」
……訂正。
やっぱり環ちゃん、バカだなぁ。
私も十分にバカだと思うけど、流石に環ちゃんには敵わないや。
赤点を取ってるのもそうだけど、数学のことを未だに算数と呼んでるところなんかもう最高にバカ。暖かい気持ちで涙を流してる時に笑かせようとしてくるの本当にやめてほしい。
だから、
「あはは……」
この子のバカが治るまでは絶対に死ねないなと、心の底から思う。
生きて、ずっとこの子の傍に居続けたいなと……私は密かに願った。
大好きだよ環ちゃん。
こんな環ちゃんだからこそ、きっと上月君も君のことを……。
「………………上月君」
……あれ、ちょっと待って?
生死を彷徨ってた間に私……なんかめちゃくちゃ大事なことを忘れてない?
ダラダラと、滝のような汗が額から噴き出してくる。
なんかとんでもないことを放置しているような気がしてきて、私は焦る心持ちのまま、少し前の記憶をたどった。
確か池に落ちる直前、腹を抉られる痛みの中、私はラミアに向かって元気に飛び掛かる上月君の姿を視て──。
「上月くっ──ぐぁっ!?」
「深月!?」
絶対に忘れちゃいけないことを思い出して、私は慌てて飛び跳ねるようにして身を起こした。残念ながらまだ完治していなかったのか、飛び起きた拍子に内臓に鋭い痛みが走る。
「くっ──うぅ」
ナイフで刺されたかのような痛みに思わず目尻から涙が溢れるが、今はそんなことを気にしてる場合ではない。
歯を食い縛り、気合で立ち上がろうとする。
「ちょ、ちょっとダメよ急に起き上がったりなんかしちゃ!? やっぱりまだ完全に治りきってないんじゃない! 安静にしてなきゃ!」
「あぐっ!?」
「ほらっ」
しかし、そこを環ちゃんに肩を掴まれ阻止されてしまった。ググっと力の押し合いが始まって、またお腹に鋭い痛みが走る。超痛い。ごめん環ちゃん、今だけは邪魔しないで!
「そ、それよりも!」
私は脂汗の滲む手で彼女の手首を握り返し、これだけは譲れないとばかりに真剣な表情を作り上げ、心配してくれている環ちゃんに訴えるよう問い掛けた。
「か、上月君はっ、どこっ!? ラミアはどうなったの!?」
「え? あぁそれなら大丈夫。戦いならたった今調子に乗った上月の負けで決着がついて、なんか食べられそうになってるところよ」
「えぇっ!!??」
果たして、それのどこら辺に大丈夫な要素があると言うのだろうか?
あまりにも平気な顔して言うもんだから、絶対に嘘だろと思って池の反対側に目を向けると、確かに環ちゃんの言う通り、今まさに捕食されそうになっているボロボロな上月君の姿が視界に入った。
ダメじゃん!? 一番ダメな状況じゃん!!
「上月君っ!」
「だからダメだって!」
「うぐぁっ!?」
当初の目的を思い出し、慌てて立ち上がろうとする。しかし当然のように阻止されて、またお腹に鋭い痛みが走った。超痛い。
ごめん環ちゃん、いい加減にしてっ!?
大好きだけど、流石にちょっと怒る。
「は、放して環ちゃん! 早くっ、早く上月君を助けなきゃ!」
「だから大丈夫だって言ってるでしょ」
「でも! 奴らに【憤怒の権能】が渡ることだけは、絶対に──」
「私の言うことを信じて」
焦燥感に駆られる私を、それでもと環ちゃんは目を合わし、肩を押さえつけてくる。とりあえず落ち着けと、瞳で訴えかけていた。
「────」
とはいえ、信じてとは言うが……どう見ても捕食されそうになってるところを見て、いったい何を信じろと言うのだろうか。
美少女の優しい笑顔を向けられても、それで私の焦燥感が消えることはない。不安な心持のまま、環ちゃんの言葉に耳を傾ける。
「上月は…………まぁ確実に死ぬことにはなるだろうけど、少なくとも……ラミア? っていう蛇女に食べられることだけは、絶対にありえないから」
「──は? それって、どういう」
「だってほら、見て」
意味なの? と、最後まで言う前に、環ちゃんは親指で背後の夜空を指差し、
「ここにもう、あの子が来てるんだから」
と言って──上空で悠然と羽ばたく天使の姿を、私の視界に収めさせた。
「──あ」
夜空の星に紛れるようにして光っている彼女の姿を視て、色々と疑問に思っていた不思議な出来事に合点がいく。
どうして死にかけていた上月君が急に駆けてこれたのか、どうして暗い池の底に眩いばかりの光が差し込んだのか──それが今、ストンと腑に落ちた。
アイツだ……アイツが来てたんだ!
戦慄が走る。正直言って、今一番会いたくない人物。
私のことを血眼になって探していたというアイツが、夜空で悠然と羽ばたきながら、まるでゴミを見るような目でラミアに敗北した上月君のことを見ていた。
酷くつまらなそうに、期待外れとでも言わんばかりに、ボロボロな上月君のことを見下ろしている。
「 」
そして、上月君が捕食される寸前となって、ようやく天使は小さな口を開き、何かを言った。
何を言ったのかはここからでは聞き取れない。だけどきっと、耳心地の良い言葉でないのだけは確かだろう。
──次の瞬間、天使を覆う光が輝きを増した。
夜空の星に擬態する時間はこれにておしまい。
天使は流星となって、上月君の元へと墜ちていく。
容赦なく、ただ殺すだけの目的で──墜ちていった。




