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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第三章 悪魔の求愛
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上月優という名のエサ

 「いーひっひっひ!」

 「あ……あがが──!」

 「上月!?」

 「上月君!?」


 朦朧もうろうとする意識の中、ラミアの笑い声と環たちの悲鳴に近い声が聞こえてくる。


 丸太のような太い尾でキツく締め付けられながら、俺は気絶しないよう全身に力を込め、必死に耐えるので精一杯だった。


 「ぐ──こ、この!」


 ──非常にマズい状況だ。


 少しでも気を緩めれば一瞬で骨と内臓をぐちゃぐちゃに粉砕してしまうであろう強烈な締め付け。


 頑丈な体に感謝するべきなのか、我ながらこの締め付けに耐えられているのが不思議でならない。


 いつ死んでもおかしくない絶体絶命な状況。


 それが今の俺に置かれている立場である。


 「んん?」

 「がはっ!?」


 まだ意識を保っていることを疑問に思ったのか、俺の体を締め付ける尾に更なる力が加わった。


 骨がミシミシと嫌な音を立てている。内臓が圧迫され、腹の内から胃液混じりの血が込み上げてくる。必死に歯を食い縛るのも結局は無駄で、少なくない量の血がダムの決壊のように口から溢れ出してきた。


 痛い苦しい死ぬ! 痛い苦しい死ぬ! 痛い苦しい死ぬ! 痛い苦しい死ぬ!!


 ──ぶっ殺してやる!!!


 同時に、猛烈な怒りが腹の内から込み上げてくる。


 確実な死に対する恐怖心は一切なく、俺を苦しませ続ける半人半蛇の怪物をぐちゃぐちゃにぶっ殺してやりたい気持ちで一杯になった。


 我を忘れ、俺に嗜虐的な笑みを向けるラミアを睨み返す。


 みにくい顔だ。神経を逆撫でする表情が反射的に手が出そうなほどに気持ち悪い。俺を捉える目はどこまでも小便のように黄色く濁っていて、うねうねとうごめく長髪が大量のミミズのようでもう本当に気持ち悪い。


 今すぐにボコボコにぶん殴って整形してやりたい、そんな気分だった。


 両手が塞がっているのが非常に残念でならない。


 「おー、こわいこわい。憤怒の餓鬼は、睨みつけるのだけは立派だねぇ」

 「ぐっ……!」


 ニヤニヤと余裕の笑みを浮かべながら、紫色の息を吐き出すラミア。


 「ぜぇ……!」


 臭い! もの凄く臭い!


 兵頭の口臭なんて比にならない程の悪臭に、鼻がひん曲がりそうになる。


 血と蜜と糞と胃液をグツグツに煮詰め、それから三年間カビが生えるまで壷の中で放置した芋虫の死骸を混ぜ合わせたかのような、そんな酷い悪臭だ。


 涙があふれる。吐き気が収まらない。


 それでも耐えるしかないこのクソったれな状況に、俺は表情を怒りの感情で染まらせるしかなかった。唇を噛み、痛みで必死に発狂しそうになる精神を誤魔化し続ける。


 「安心して死になぁ……お前の力は、アタイ達がしっかり使ってやるからよぉ……!」 


 俺の涙を見て悔しがってるとでも勘違いしているのか、ラミアは二股に分かれた舌をにょろりと出し、嬉しそうに頬に垂れる涙を舐めとった。


 「う……あ……!」


 気持ち悪い! 本当に気持ち悪い!


 悪臭まみれの生暖かい舌と唾液が、強烈な刺激となって俺の全身の肌を粟立あわだたせる。


 「あづっ……」


 そして、舐められた頬から酸に焼かれたような痛みが発生した。もしかしなくても、この紫色の息と悪臭の正体は毒だろうか?


 頬を撫でる舌を嚙みちぎってやろうかと一瞬思ったが、やめる。


 毒の影響を受ける可能性が高いし、なによりもコイツとディープキスしたくたいという気持ちの方が遥かに強い。


 なるべく逃れられないものかと、全力で首を曲げて距離を取る。それでも長く伸びる舌から逃れられるはずもなく、俺の肌は醜悪なラミアに犯され続けた。


 「く、くそ……」

 「いーひっひっひ……心臓さえ残ってりゃいいんだ、少しくらい味見しても構わないよねぇ」

 「──っ!?」 


 そして、口裂け女のように広がる大口。そこからずらりと並べられた多数の歯牙しがが歪な輝きを見せる。


 くぱぁと開けられた大口は人間一人丸飲みするのに容易なサイズで……それが、酷い悪臭を放ちながらだんだんと俺の頭に近づいてきた。


 「いただきまーす」

 「──ひっ」


 まさか、このまま俺を捕食するつもりだろうか。


 迫る大口に、息を呑む。


 ここにきて初めて、恐怖心が怒りを凌駕りょうがした。


 そんな中──


 「この──!」

 「そいつを返せ!」


 倉庫中に響く程の大音声を上げて、鉄パイプを持った環と悪魔化した熊谷が近づいてくる。


 二人の表情はしっかりと怒りに染まっていて、剝き出しの殺意を発しながら全力でこちらに向かってきていた。


 ──が、


 「にぃぃぃ」

 「──まっ!」


 ニヤリと不気味に口端を吊り上げるラミアの表情を見て、これが罠であるということを悟る。


 ごぽごぽと喉の奥からせり上がってくる紫色の毒液。ラミアの弓なりに曲げられた目は俺ではなく環達の方を捉えていて、コイツがこれから何をしようとしているのか、食べられそうになっているからこそ、俺だけがいち早く気づくことが出来た。


 二人はまだ気づいていない。


 だからこそ、二人揃って真っすぐこちらに向かってきている。 


 あまりにも愚かに。まるで、俺という名の餌に釣られる魚のように。


 「ぐっ……!」


 狙いが俺ではないと分かれば、いまさら恐怖心に呑まれる理由はない。


 俺は体に残った最後の空気を絞り出して、二人に向かって怒号を上げた。


 「ぐるなぁっ……!!」

 「「──!?」」


 一瞬後に、ラミアの頭がぐるんと横に傾く。


 毒液が散弾の如く放たれたのはそれとほぼ同時のタイミングで、紫色の液体が極悪の激臭を発しながら二人に襲いかかった。


 「──っ!」

 「うぁっ!」

 「深月!?」


 二人同時に反応し、左右に分かれる。


 しかし、回避出来たのは環だけだった。


 結果を分けたのはおそらく、位置と速度とラミアにとっての脅威度。


 空を飛ぶ熊谷の方が僅かにラミアとの距離が近く、咄嗟に回避しきれない程にスピードが乗っていて、それ故に危険と判断されたのだろう。


 足に毒液を浴びた熊谷が悲鳴を上げながら倉庫の壁に激突する。


 環はそれに反応して、意識を熊谷の方に向けた。


 「いーひっひっひ!」

 「まっ──!?」


 その隙に、ラミアが醜悪な笑い声を上げて床にある大穴に飛び込む。


 俺を連れて、暗い穴の中に勢いよく飛び込んでいった。


 「ぐあっ──!」


 直後に訪れたのは、強烈な振動と掘削くっさく音。


 だんだんと遠のいていく光と環の声を聞きながら、俺の体は巨大な力に引きずり込まれ、そのまま暗い地下の世界へと消えていった。

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