優へ
書き出しは、こんな一文から始まった。
『私が貴方の元を去ってから早一年、相変わらず友達のいない寂しい高校生活を送っているようですね』
はいギブー!
俺は差し出された手紙を、すぐに天童へと突き返してやる。
「いや返すの早すぎでしょ!? いったい何が書かれていたのかは知りませんが、ちゃんと最後まで目を通してください!」
もちろんそんな道理が通るはずもなく、あえなく却下されてしまう。手紙は半ば無理矢理、天使の怪力をもって押し返された。
「いやだって、開幕早々からなんか凄い辛辣な言葉が書かれてあったんですけど……。もうこれ以上読むのすっごい嫌なんですけど……。てゆーか、なんで天界にいるはずの母さんが俺の交友関係のことまで知ってんだよ? 怖すぎんだろ」
自分の情報が母さんに筒抜けになっていることに軽く恐怖を覚えながら、手紙を読むことを渋る俺。
天童はそんな俺を見て、呆れたようなため息をついた。
「はぁ……それのどこが怖いというのですか? 心配しなくても、優さんが怖がるようなことなんて一切ありませんよ? 天界には人間界を見通すことの出来る便利な道具があるのです。それを使って、優さんの私生活をただ覗き見していたというだけの話じゃないですか」
「…………。え? いや、その話のどこら辺が怖くないの?」
要するに、監視カメラのようなもので四六時中覗き見されていたということだ。
どこからどう聞いても恐怖を覚えるような内容に、背筋がゾッと震える。
私生活を覗き見されていたという事実は、例え相手が家族といえども薄気味悪いものを感じる。心配しなくてもと天童は言っているが、心配度はむしろより一層増したように思う。
母さんに内緒でやってたあんなことやこんなことまで見られていたのかと思うと、肝が冷えるなんてもんじゃない。
「でもほら、人間界にもあるじゃないですか?」
先程の説明では俺を納得させられないと踏んでか、天童は指をピンと立てて、分かりやすいよう例え話を一つ出してきた。
「外出しててもペットの様子を見ることの出来る、ペットカメラとか言う道具が。大体あれと同じですよ」
「はぁ!? 何それ!? ペット!? 俺、母さんにペット扱いされてんの!?」
驚愕の例えに、俺は強いショックを覚えた。
知らなかったぜ。俺、母さんにペット扱いされてたんだ……。
確かに今までのことを思い返してみれば、子供の頃から母さんは俺のことを人間扱いしていなかったように思う。
およそまともな教育なんて受けさせてもらえなかったし、晩飯がプロテインと洗っただけの人参なんてのもざらにあったくらいだ。
あの時は何も考えず普通に受け入れていたけど、冷静に振り返ってみれば異常だったのは間違いない。
たぶんウ〇娘だって、もっとまともな料理を食べさせてもらっているだろうに……。
「いや、ただの物の例えですから……いちいち本気で受けとらないで下さいよ」
思いのほか俺がショックを受けていたせいか、天童は若干引いた目でそんなことを言ってきた。
それからやれやれと肩を竦め、伸ばした人差し指をそのまま天へと向ける。
「とはいえ、今のこの様子も、もしかしたら絵里先生に監視されているかもしれませんね」
「────!?」
おそらく天童はこう言いたいのだろう。
『手紙をなかなか読もうとしない息子の姿を見て、母親はいったい何を思うのでしょうね?』と。
考えるまでもない。ブチ切れているに決まっている。
俺は半ば脅されるような形で、再び手紙に目を通すことにした。母さんの怒りを買ったところで良いことは何もない。
嫌々、文章に視線を走らせる。
『私は経験したことがないので分からないのですが、トイレで食べるお弁当はそんなに美味しいものなのでしょうか?』
「はいギブー!!」
しかし、全然読み進められない。
ツッコミどころ満載のその一文に、俺はまた、堪らず顔を上げた。
「おい、どういうことだ!? なんで俺がトイレに入ってる時のことまで知られてるんだよ! 天使ってのはそんなところまで監視してんのか!?」
「はい、もちろんです」
俺の絶叫に対し、天童はあっけらかんとして答える。
「人間界を隅々まで監視することは、神から与えられし天使の立派な務めですからね」
「務めって、トイレの中まで覗き込んでどうすんだよ!?」
「トイレは密室空間なので、それだけ犯罪行為も多いのです。麻薬の売買や強姦など、多くの犯罪行為がこのトイレという空間で行われています。天使の仕事は善人と悪人を分け、然るべき場所へと送ること。そのためにも我々は、このような場所にもきちんと目を通すようにしているのですよ」
然るべき場所とは、おそらく地獄のことを言うのだろう。
確かにその理屈なら納得できなくもない。善人を地獄に落とすことも、悪人を天国に送ることも絶対にあっちゃいけないことだろうからな。
しかし──しかしだ!
「いや理屈はなんとなくわかるけどよ、だからって学校のトイレまで覗くことはねーだろ。うちの学校そんなに治安悪くないぞ? 起こるわけないだろ、そんな犯罪行為。むしろトイレの中まで覗き込んでるお前らの方がヤバいと思うんだけど」
そのような犯罪行為は、もっと人目のつかない、公園などにあるどこか小汚い公共トイレで行われているようなイメージがある。少なくとも、学校のトイレで積極的に行われるような犯罪行為ではないだろう。
学校のトイレでも起こりそうな犯罪と言えば、それこそトイレの中に小型カメラを設置して、盗撮することくらいだと思う。
そうまさに、天界の天使達が今、人間相手にやっているように……。
「あー、そこらへんは大丈夫ですよ。ちゃんと人間達のことも考慮して、陰部には自動的にモザイク処理が施されるようになっていますから。私も毎日見ていましたけど、優さんのアソコがどれくらいの大きさでどのような形をしているのかは全然わかりませんでした」
「お前ら天使はマジで何を見てんだバカ!! しかも毎日!? それのどこが大丈夫なんだよ! 全然大丈夫じゃないわボケ!! ふざけんな! 消せ! 今すぐそのふざけた記憶を消せ!!」
シャレにならない話をされた俺は、血相を変えて天童に掴みかかる。
「あわわわわ! や、やめてください!」
出来ることならこのまま思いっ切り揺さぶり続けて、記憶がなくなるまで脳みそをシェイクしてやりたいところだ。
が、残念ながらそこは天使の馬鹿力。
俺の手など簡単に払いのけて、瞬時に後方へと一歩飛び下がった。
「別にいいじゃないですか、見られたところで減るもんじゃあるまいし!」
「減るもんじゃないって──お前!」
全く悪びれずに言う天童に、更なる怒りの炎が燃え上がる。
この怒りはきっと、一発殴らなければ気が済まないだろう。なので殴る。コンプライアンスなんて知るものか。
俺が拳をギュッと握りしめると、
「それに、私の記憶だけ消そうとしても無駄ですよ? 私だけでなく、他の天使達も授業の一環として一緒に見ていましたからね」
「はぁ!? 授業!!??」
とんでもない一言に、俺の今日一番の悲鳴が上がった。
おそらくは環に蹴られた時よりも、天童が家に来た時なんかよりも、ずっとずっと強い衝撃を受けたように思う。
俺の股間が天使達の前に晒された!? 授業の一環で!!??
「──ぁ─────あ」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。
何をどうしたら俺の股間が授業で晒される運びになるのか、まったく理解できない。公開処刑なんてレベルじゃねーぞオイ!
「とはいえ、安心してください優さん」
天童は戦慄する俺に向かって、慈悲深い笑みを浮かべた。
「優さんに憐みの目を向ける者は多くとも、性的な目で見るような不届きな天使は私の周りに誰一人としていませんでしたから」
安心してくださいと天童は言うが、そんな情報で安心できる人間はこの世に存在しないだろう。いたら是非とも見てみたいものである。
「まぁでも、実際のところここまで熱心に監視されるのは優さんくらいのものでしたよ。おそらく絵里先生としても、人間界に一人残してしまった自分の子供のことが心配で心配で仕方がなかったのでしょう。ふふふ、こんなに母親に心配してもらえるなんて、ちょっぴり羨ましいです。愛されてますね、優さん」
「それが愛なら俺は愛なんていらない──。愛じゃねーよ、そんなもん」
「はいはいそんな悲しいこと言わないで、ささっ、早く続きを読んでください。絵里先生が見てますよ?」
「…………」
魂が半分くらい抜け落ちていようが、そんなのお構いなしにと天童は手紙の続きを読むよう促してくる。
「あー、くそ」
もうどうにでもなれ、だ。
俺は何が書かれていても驚かない強い心を胸に抱いて、再度手紙に目を落とした。
『16歳にもなれば少しはマシになると期待していたのですが、どうやら私の見立て違いだったようですね。学園でも環さんを怒らせてばかり。このままではいけないと判断し、貴方の元に天使を一人派遣することに決めました』
いや、このままではいけないのは母さんの方だろ。
何の授業をやってたのかは知らないが、息子の排泄シーンを自分の教え子達に公開するというバカ親が、母さんを除いてどこにいるっていうんだよ? ぶっ殺すぞ、マジで?
『彼女の名は天童美花。私が直々に育てあげた、優秀で信頼のおける天使の一人です。歳は15。貴方より一つ下の年齢ですね』
「あ? お前15歳なの?」
意外な情報が書かれてあったので、思わず天童の方へと目を向ける。
天童は俺のその反応が気に食わなかったのか、プクーッと小さく頬を膨らませた。
「むぅ、意外そうな顔をしていますね。確かに他の人と比べると私の体は少しだけ発育が遅いのかもしれませんが、15なんてまだまだ成長期の真っただ中です。これからどんどん大きく成長していくに予定なので、これからの私にしっかり期待していてください!」
「え? あーうん。はいはい、わかったわかった」
成長期と言っても、流石に限界があると思うけどな。10歳くらいならまだしも、15歳でそれなら早々に諦めた方が良いように思う。
……まぁ、面倒臭いしどうでもいいからいちいちツッコむつもりはないけど。
『形としては、人間界の学校へと留学するという扱いになります。本来ならば天使用の学生寮が用意されているのですが、彼女には優の生活面でのサポートもしてもらうため、ホームステイ先を家に選択し、招き入れることにしました』
先程は派遣と書かれてあったが、どうやら人間界の扱いでは留学生として受け入れるとのことらしい。
人間界と天界では同じ年齢でも対応の仕方が変わるということなのだろうか。
ていうか、生活面でのサポートって何だよ? 母さんが天界へ行ってからの一年間、楽になったことはあれど、困ったことなんて一度たりともなかったたんですけど?
『急な話で申し訳ないけれど、しっかりと対応するように。貴方が立派な天使になれることを、母は天界で信じています』
いや信じてないから俺のところに天童とか言う奴を送り込んできたんだろうが。天使が嘘を吐くな、嘘を。
「……はぁ」
とはいえ、とりあえずはこれで締めのようだ。
色々と凄まじいことが書かれてあったものの、何とか最後まで読み進めることが出来た。途中で破り捨てずに最後まできちんと目を通した俺を、今は褒めてあげたいところである。
文章を読むだけでこれ程までのストレスを感じたのは、生まれて始めての経験だ。こんなにも精神を疲弊させる文章なら、今後一切、二度と送ってこないでもらいたい。
「ん?」
しかし、ここで終わりだと思っていたのはどうやら俺の勘違いだったようで、突如として手紙が淡い光を放ちだし、下の方の余白部分から光の文字がジワリと浮かび上がってきた。
『PS.』
どうやら、もう少しだけ続くらしい。
『それはそうと、与えた課題を何一つとしてやり遂げていませんね。私がいないからといってサボることは許しません。なので、罰を与えます。歯を食いしばって受け取りなさい』
「──は?」
罰? 歯を食いしばれってどういうことだ? とかなんとか、言葉の意味を正しく理解する前に、
「──ごはっ!?」
次の瞬間、手紙から飛び出してきた拳が、俺の顎を正確に捉えた。
「────」
その威力は凄まじく、俺の体はぶん殴られた勢いのまま、高々と宙に舞い上がる。
「おぉ、これが噂に聞く絵里先生のアッパーカットですか! 手紙越しなのになんという威力! さすがです絵里先生!」
空中で天童のそんな興奮した声を聴きながら、俺の視界は上も下も分からないまま宙を彷徨い、そして──
ぐしゃり! と、嫌な音を立てながら、固い地面へと激突した。