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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第三章 悪魔の求愛
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天使みたいな人

 「…………はぁ」


 交番でみっちりと警察官からのお説教を受けた俺は、とぼとぼとした足取りで一人知らない街を歩いていた。


 気分は最悪。ギラギラと照り付ける太陽のなんと眩しくてウザったいことか。五月も後半に差し掛かれば日中は25℃越えが当たり前で、暑さも相まってか精神的な摩耗まもうが半端ない。


 慣れない街に慣れない人混み、加えて長時間のお説教もあってか、当然のように溢れんばかりの苛立ちがつのっていた。


 思わずといった感じで、直上の太陽を睨みつける。


 「──くっ!」


 結果は言わずもがな、眼球を無駄にいためるばかりだ。超いてぇ。こんなことならサングラスを買っておけばよかったぜ……。


 「……てゆーかどこだよここ?」


 なんて馬鹿なことをやりつつも、足を止めずに駅を探し続ける。


 服屋さんに来るまでの道のりは熊谷に任せっきりだったためほとんど覚えていない。手元にスマホもないから位置情報も分からないし、いわゆる完全な迷子となっていた。


 とりあえずといった感じでフラフラと歩いているが、大きな街ということもあってか意外と複雑で分かりにくい。何も考えずに歩いても大丈夫だろうと高をくくっていたが、流石に考えなさ過ぎたかもしれない。


 嫌なことが続いて気持ちが参ってしまっていたとはいえ、もう少し周りの景色を見ながら歩くべきだったなと今更ながらに後悔する。


 「…………はっ!?」


 気づけば人通りの少ない薄暗い路地裏へと辿り着いていた。


 駅を探していたはずなのにどうしてこんなところに──!?


 まさか、無意識のうちに人間と日差しを避けてこの場所に導かれたとでも言うというのかっ!? 


 やだ、本能怖い! マジでどこだよここ……?


 とはいえ、本能のまま辿り着いた場所ということもあってか、自然と心が落ち着いてくる。


 きっと俺はどうしようもないほどに根が陰キャのコミュ障なのだろう。こういうじめじめとした場所の方が、案外心地の良いものだ。


 目的の場所から遠ざかっているのは間違いないが、落ち着くので少しここで休憩することした。すぐ近くにある自販機で缶コーヒーを買って、壁に背中を預ける。


 「ふぅ……。帰ったら天童になんて言い訳しようかなー」


 気持ちが落ち着けば頭も冷静になるというものだ。


 今日のことは出来る限り秘密にしていたが、今朝の段階で熊谷と逢引あいびきしていたことがバレてしまったのは確実だろう。姿こそ見えなかったが、あの悲鳴は間違いなく天童から出されたものだった。言い訳でのがれることはおそらく出来ない。


 ならば、考えるべきなのはきっと言い訳よりも手土産てみやげの方だ。散々逃げ回って疲れているだろうから、もしかしたら精の付くものを与えてやれば案外すんなりと許してもらえるかもしれない。


 人の飯を平然と奪うくらいに食い意地の張った奴だ。鰻とか買ってやればきっと満足してくれるだろう。


 「……いや、鰻は普通に高すぎて無理だな。スーパーのスタミナ丼とかでいっか」


 あんまり戻るのが遅くなると余計な勘違いをされそうだし、休んだら早急に来た駅を探して帰ることにしようそうしよう。


 そう結論づけて、ぐびりと微糖の缶コーヒーを喉に流し込む。次なる行動を頭の中に入れて、俺はもう一度「ふぅ」と一仕事終えた感じで吐息を漏らした。


 ……ちなみに、俺の中で熊谷を探して合流するという選択肢は一切ない。完全に見捨てられたからな。マイナス点も五万を越えて死刑が確定してしまったことだし、これ以上デートの練習をする意味もないだろう。


 きっと熊谷だって俺と別れて帰りたがってるのに違いない。服屋さんでめちゃくちゃ怒ってたからな、アイツ。俺の経験上アレはもう取り返しの付かないレベルでダメだ。


 「…………ん?」


 なんてことを考えながらボケーっとしていると、コツコツと、誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。

 

 なんとなしに視線を傾けて見てみると、こちらに向かって歩いてくる大男が視界に入る。


 「うおっ!?」


 思わず声を出してしまったのは、その大男が本当に、見たこともないほどの大きな大男だったからだ。


 でかい、何もかもが規格外にでかい!


 身長は遠目から見ただけでも優に2メートルを越している。頭は禿頭とくとうで、肌はやや浅黒く、顔はいかつい。初めは外国人かと思ったが、こちらに近づくにつれ日本人の特徴を捉えた形をしているのに気づく。左目の横から頬にかけて大きな火傷跡やけどあとがあり、数多あまたの戦場を生き抜いてきたのだなという凄みを感じた。


 スーツを着ているが、絶望的に似合っていない。どう見たってカタギの人間じゃない。なんなら人間かどうかも疑ってしまう程の圧倒的な存在感だった。


 「で、でけぇ……」


 しかし、俺が彼を見て驚いた一番の理由は、身長でも顔つきでも火傷跡でもない。


 それらの情報がかすんで見えるほどの、圧倒的な筋肉量。服の上からでもわかる、怪物のような肉体をしているところだった。


 一体全体どんなトレーニングを積めばこんな肉体に……!?


 ハードなトレーニングをしているボディビルダーの動画を見たことはあるが、これほどのサイズにはお目にかかったことがない。俺だって毎日筋トレはしているが、このサイズになるまでいったいどんな日々を過ごしてきたのか、想像するだけで筋肉痛になりそうだった。


 ついつい魔が差して『腹筋板チョコバレンタイン!』とか、『肩にちっちゃい重機乗せてんのかーい!』とか叫びたくなる。流石にそれは失礼なのでやめておいた。心の中だけで盛大に叫ばせていただくことにする。


 いいねぇ、いいねぇ! ナイスバルク! うぉぉぉぉぉ泣く子も黙る大腿筋!! 背中に鬼神が宿ってる!? キレてる、キレてるよ!! よっ、日本一! いやっ、世界一!!  


 しかし、そんな風に彼を見ていたのがいけなかったのか、大男はこちらの不躾ぶしつけな視線に気づいたようで、強面の鋭い視線でジッと睨み返し、真っすぐ俺に向かって歩いてきた。


 やべっ! と思い慌てて目を逸らすも時すでに遅し、大男は俺の目の前で歩みを止め、威圧するような存在感で俺をすくませる。


 そして、重低音の厳かな声で、


 「貴様……ここで何をしている?」


 と、説教するような口調で話しかけてきた。


 「…………いや、あの」


 すらりと「この場所がなんか落ち着くので少し休憩してただけです」と言えれば良かったのだが、自分よりも三倍はあるであろう筋肉に立ち塞がれ、完全に畏縮いしゅくしてしまった俺はその場であわあわと恐れおののくことしかできない。


 目線は下のまま固定され、喉が急速に乾いてくるのを感じた。それでも缶コーヒーを飲むことは許されず、カタカタとむなしく震えるばかりだ。


 ……やっべー、超怒ってるよこの人。


 不躾な視線を向けられていたことが堪らなく不快だったのか、大男は相当にご立腹な様子だった。


 叶うならば今すぐにもこの場から逃げ出したいところだが、ここまで間近に迫られると、右に逃げようとも左に逃げようともすぐに腕を伸ばされ退路を塞がれてしまうことだろう。


 俺ならばそれでも無理やり押し切ることは可能かもしれないが、しかしそれは流石に失礼を働いた相手に失礼を重ねるだけの行為なので、正直言ってあまりやりたくはない手段だ。


 逃げ出したい気持ちはいっぱいだが、俺だってそれくらいのプライドはある。例え相手が極道の方(断定)だっととしても、最低限の礼儀は必要だ。


 逃げる前に一言だけ「すみません」と言って、あとはなりふり構わずに全力疾走で逃げることにしようと思う。


 そう判断し勇気を振り絞って口を開こうとしたのだが、


 「先の戦いで死んだと聞いていたが、生きていたのだな……」

 「……え?」


 それよりも先に、大男から訳の分からないことを言われてしまった。


 『先の戦いで死んだ』? 俺が? 彼はいったいなんの話をしているのだろう?


 「えーと……」


 その予想外すぎる言葉に戸惑いを隠すことは出来ない。


 確かに俺は環や天童と戦ってよく殺されたりしているが、そんなことをこの人が知っているとはとてもじゃないが思えない。剣崎妹のストーカー行為によって俺のプライベートがないがしろにされることもよくあるが、それだって個人で楽しむ範疇はんちゅうでとどまっている。俺の個人情報が白日はくじつの下に晒されていることはないはずだ。


 だというのに、彼はまるで俺のことをよく知っているかのように語り、更なる訳の分からない言葉を続けた。


 「こんな場所で油を売っている暇はあるのか? 向こうはお前がいなくなったことで再び戦乱の世となっているようだぞ」

 「は、はぁ……」


 流石に『戦乱の世』とまで言われてしまえば、俺としてもポカンと間抜け面を晒して生返事をするしかない。


 いったいいつから令和の時代は戦乱の世に舞い戻っていたのだろうか? そう不思議に思いながらも、俺は見下ろす大男を見上げ、嫌々目を合わせながら恐る恐る口を開いた。


 「えーと、失礼ですが……もしかして誰かと勘違いしてません? 俺の名前は上月優です。たぶん、あなたの想像されてる方とは名前が違うんじゃあ……」

 「……む。カミツキ……ユウ?」


 言って、すぐに後悔した。


 勘違いを正すためについ自分の名前を告げてしまったが、それだけのためならわざわざ本名を晒す必要はなかった。


 相手はおそらく殺人も平気で犯すような暴力団(確定)の方だ。適当な偽名でも名乗って、逃げるように去れば良かったかもしれない。


 戦乱の世とか言っちゃう頭のおかしい人に個人情報を晒すのは危険行為以外のなにものでもない。


 なので、よいこのみんなは怖そうな人にはくれぐれも自分や家族のこととか話さないようにしましょうね! これ、お兄さんとの約束! 絶対に守ってね! 俺はもう手遅れだけど!!


 「…………」


 なんてことを考えているうちにも、大男は俺を見据えながら思案顔を浮かべていた。


 「……そうか。なるほど……お前が」

 「──!?」


 かと思いきや、納得した表情へと早変わりする。


 混乱するのはもちろん俺の方だ。てっきり勘違いしているだけだと思っていたのだが、どうやら彼は俺のことを知っていたらしい。


 …………いや、なんで?


 いったいどこで彼は俺の名前を知ったというのだろうか。少なくとも俺はこんな筋骨隆々の大男なんて見たこともないし聞いたこともない。そしてそれはきっと向こうも同じはずだ。


 俺はどこにでもいる普通の高校生。生まれた段階で親に捨てられたり天使に育てられてたりとなかなかにハードな人生を送っているが、見た感じはどこにでもいそうな普通の高校生だ。


 芸能人でもなければ有名人でもない。まぁ今現在住んでいる町では俺の悪名が少しばかし轟いてるかもしれないが、少なくともこの街では無名の普通の高校生のはずだ。


 「…………」


 だんだんと普通の高校生ってなんだっけと思えてきて仕方がないが、それでもこの大男に名を知られる機会はなかったと思いたい。


 ……もしかして、同姓同名のカミツキユウ君と間違えてらっしゃいます?


 ………………いやいやないない、それはない! 


 すぐに同姓同名の可能性に思い至ったが、そんな都合の良い話はないと本能が否定する。もしそんなものがあるとすれば、いったいどれほどの確率になるのだろうか。想像するに、五秒後に隕石がこの街に落ちるのと同じくらいではないかと思う。


 となると、やはり可能性が高そうなのは、


 「あの噂は本当だったのか……」


 そう、噂だ!


 俺の住んでいる町、諸星町にはあることないことをごちゃまぜにした俺の悪名が広まっている。剣崎の親父さんに大目に見てもらっているだけで、傷害事件や不審者ムーブを犯したことなら何度だってある。殺人や泥棒や強姦や恐喝なんかしたこともないが、したことにされたことも何度だってある。


 目の前の人物は見るからにアウトローな極道の方だ。だからこそ、こんな遠く離れた街でもそういった噂も聞こえてくるのだろう。


 裏社会の住人にとっては、カミツキユウという存在は自分が思っているよりもずっと有名な名だったのかもしれない。


 「え……う、うわさですか……?」


 なので、俺は知らん顔して小動物を装うことにした。


 俺の今の考えた想像が当たっていれば、調子に乗ってる若造として認識されてる可能性は大いにある。調子に乗ってる若造なんてものは往々にして鼻を折られ締められるものだ。それが極道の者の手にかかれば半殺し以上は避けられないだろう。


 こんなくだらない噂なんかでコンクリート風呂に入れられるのは絶対に嫌だ!

 

 そんな切なる願いが通じたのか、それとも単純に俺の演技が上手かったのか、大男は頭を下げないものの、目と目をしっかり合わせ、厳かな声で俺に謝ってきた。


 「すまない。どうやら俺は少し、勘違いをしていたようだ」

 「はぁ……」


 思ったよりもあっさりと事が進んで、少しだけ拍子抜けした気持ちになる。最悪殴り合いの喧嘩に発展するかもと警戒を強めていたが、どうやらそれは杞憂で済んでくれたらしい。


 良かった。本当に良かった……。


 内心だけで、ホッと胸を撫でおろす。


 「……じゃあ、とりあえず俺はこれで」

 「──だが」


 気を緩めて去ろうとした瞬間、大男が拳を大きく引き下げた。


 「へ?」


 どこからどう見ても全力でぶん殴ってくる構え。溢れ出んばかりの殺気。突然の事態の変化に俺の脳は一瞬フリーズし、それでも長年受け続けてきた母さんの鉄拳の痛みを思い出してか、間抜けな声をあげながらも体は防御態勢に移っていた。


 直後、ぜるような音と共に衝撃が襲い掛かる。

 

 「──ッ!?」


 しかし、痛みは襲ってこない。


 大男の突き出した拳はまさしく砲弾のような速度と威力ですぐ横の壁をぶち抜き、大きな穴を開けていた。感じる痛みがあるとすれば、せいぜいが頬をつぶてが打ったくらいのもので、直接的な被害はなかった。


 ──し、死んだかと思った!?


 が、直接的な被害がないからこそ、心中は穏やかではいられない。


 想定を遥かに上回るほどの速度と威力。かろうじて防御の構えを取ることは出来たものの、放たれた拳の動きを目で追うことは出来なかった。加えて硬いコンクリートの壁を容易く破砕するほどの威力。


 もしも……。もしもこの拳が俺を捉えていたらどうなっていただろうか?


 きっと俺の顔面はこの壁と同じように易々と打ち抜かれ、方々に顔のパーツと中身が飛び散り、辺り一面を真っ赤に染め上げていたことだろう。それだけは間違いない。間違いないと断言できるほどの確証が俺にはあった。


 この大男の放った拳は、俺の腹に風穴を開けた天童のものよりもまさっている。


 「かはっ──」


 衝撃と緊張で硬直していた体が思い出したかのように呼吸を再開させる。勢いよく吸い込まれる空気には血の臭いが混じっていて、俺はたった今想像したもう一つの結末も相まって、猛烈な吐き気に襲われた。


 ──気持ち悪い。


 心臓はバクバクと鼓動を速め、頬からねっとりとした汗が垂れていく。


 「っ!?」


 ──否、汗ではない。


 そのことに気づいたのは、大男が貫いた壁から拳を引き抜いた後だった。


 ポトリと、大男が拳を引き抜くと同時に、何かトカゲの尻尾のようなものが落ちる。


 爬虫類の尾の部分であるのはわかったが、それだけだった。胴体があったであろう部分は完全に殴り潰され、俺の頬や彼の拳を含む様々ところに朱いシミを作っていた。


 よくよく見ると、爬虫類の骨や肉片などが服に付着している。足元に転がっているのは眼球だろうか?


 気持ち悪い。


 「あの女に育てられたにしては、油断が過ぎるな」

 「──!?」


 あの女とは、まず間違いなく母さんのことだろう。


 天童以上の力を持ち、尚且つ母さんのことを知っているとなると、この人の正体はおそらく──。


 「はぁ、はぁ……あんたは」

 「背後には気をつけておくべきだ。でなければ、命を落とすことになるぞ」

 「はぁ、はぁ…………」


 色々と尋ねたいことはあるが、圧倒的な力にあてられて上手く喋ることができない。呼吸の乱れは最後まで整うことなく、気になることだけを言い残した大男がこの場を悠々と去ろうとしていても、俺は引き止める気すら起きず、ずるずると壁に背を預けたまま崩れ落ちた。





 「な、なんなんだよ……もう……」


 大男が視界から外れ、ようやくのことで緊張の糸が緩む。環や天童とは比べ物にならない本物の殺意を浴びて、全身から噴き出す汗が気持ち悪いくらい服に染み込んでいた。


 立ち上がる気力は大男が去ってもなかなか戻ることなく、


 「……天使かよ」


 ただ一言だけ──恐ろしい目にあったが故の弱々しい呟きが、静かになった路地裏にてひっそりと零れ落ちるのだった。

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