やって来たぜ繫華街
ガタンゴトンと電車に揺られること約二時間、俺と熊谷は住んでいる町を離れ、県外のとある繁華街へと来ていた。
ここまで遠くとなると、気分はさながら小旅行をしているような感じ。少し離れた場所まで行くとは聞いていたが、まさかここまで遠い場所になるとは思ってもみなかった。
一応昨日のうちに熊谷に切符を用意してもらったわけだが、貧乏人な俺からすれば、ここまで来るための電車賃がいったいどれくらいになったのか非常に気になるところである。
熊谷は「別にこれくらいいいよ」と言ってくれたが、俺としてはそういう訳にもいかない。他人に借りを作るとあとでどんな厄介なお返しを要求されるか分かったもんじゃないからな。こういうことは早めに返しておくのが吉なのである。
借金はダメ、絶対!
というわけで、これからこの街で熊谷とデートの練習をするのだが、
「おぇ……気持ち悪……」
「ねぇこんなところで吐かないでよ、絶対に吐かないでよ!」
「うぷっ」
「振りじゃないから!」
早速、俺はグロッキー状態となっていた。
場所は駅構内にあるcafeHARMONY。たまたま見つけた熊谷のバイト先と同列のお店に、俺達は足を踏み入れていた。
朝食を済ませるという目的で入ったこのお店。しかし今は朝食どころではなく、こうしてカウンター席に並んで座り、背中をさすさす撫でられながら熊谷の献身的な介護を受けている。
「もう、なんでそんな状態で朝ごはん食べようって提案してきたの!? 馬鹿なの!?」
「ご、ごめんなさい……」
周りからの視線が痛々しい。
熊谷にとんでもない迷惑をかけていることを自覚しながら、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、せり上がってくる吐き気を必死になって耐えた。
体調不良の原因はおそらくこの人混みだろう。初めは大丈夫だったのだが、次第にこの街に近づくにつれて電車内の乗員率も増していき、いつの間にか完全に酔ってしまっていた。
駅のトイレで一通りコーヒーと胃液を吐いてスッキリしたのだが、注文したカツサンドを食べた瞬間にその気持ち悪さが俺のもとへ舞い戻ってきたというわけだ。
「まさか俺の胃がここまで油を受け付けられなくなっていたとは……。なぁ熊谷、この場合悪いのは俺なのか? このメニュー表に載ってる美味しそうなカツサンドの写真が悪いんじゃ」
「純度100%で上月君の方が悪いよ! それ以上ふざけたこと言うならあとでここのお店の店員さん全員に向かって土下座してもらうからね! マイナス6000点!」
「で、ですよねー」
さすさすと優しく背中をさすられながらも、耳元で怒鳴られる。浅はかにも自分可愛さに責任転嫁しようとしてしまったことがいけなかったのか、またもや熊谷から大幅な減点を食らってしまった。
今ので合計マイナス24000点。マイナス点の獲得することのなんと容易いことか。俺の評価は底を突き抜ける勢いで爆下がりしている。
「はぁ……まさか上月君がこんなにもクz……人混みに弱い男だったなんて……。場所選び完全に失敗しちゃったなぁ……」
いい加減クズの相手をするのにも疲れてきたのか、撫でる手を止めて、熊谷が悲痛な表情を浮かべながらそう呟く。
流石に俺も申し訳ない気持ちがいっぱいとなっているので、熊谷の身を案じながら、再度クズなりの提案をさせていただいた。
「……なぁ今からでも遅くないし、そろそろ帰らないか? ほら、俺に女心を理解することは無理ってもう十分に分かったからさ、帰ろうぜ」
「帰らないよ! マイナス3000点!」
しかしその提案はあっさりと突き返されてしまう。何がそんなに気に食わないのかおまけで3000点も減点されてしまった。マイナス30000点を越えるのも近そうだ。
熊谷はビシッと指を突きつけて減点したのち、ハッと何かに思い至ったのか、急に俺の肩を掴んでガクガクと揺すってきた。
「ねぇさっきからずっと帰ろう帰ろうって言ってるけどさぁ、もしかして上月君わざとやってる!? 人混みに酔ったっていうのも、実は嘘なんじゃ!?」
「ちょっ!」
言葉を並べるにつれ熊谷の俺を動かす力がどんどん増していく。次第に揺れはぐわんぐわんと脳を揺するほど激しくなり、ようやく落ち着いてきたと思った気持ち悪さがまたよみがえってきた。
残念ながら人混みに酔ったのは嘘ではないのだ、マジで吐くからやめてほしい!
「いや、それはマジだから揺すらないで! ちょ、せっかく落ち着いてきたのに吐くって! マジで吐くから!」
「ちっ、マイナス3000点」
流石に本当に吐かれては困るのか、慌てて俺がそう言うと、熊谷はピタリと体を揺する手を止めてくれた。とはいえ不満はこれっぽっちも解消されていないのか、舌打ち交じりにまたもや3000点減点されてしまう。
これにてマイナス評価はマイナス30000点へと到達した。思ったよりも早かったな。このペースだとマイナス100000点も夢じゃなさそうだ。ここまでくるとどこまでいけるかちょっと試してみたくなってくる。……試してみようかな?
「マイナスが50000を越えたら今までのこと全部環ちゃんに報告させてもらうから、ちゃんと殺される準備しといてよね」
「はぁ、はぁ……殺される準備ってなんだよ……」
どうやら俺の考えは熊谷に筒抜けだったらしい。
悪いことをすればその分だけ自分に返ってくるのは当然のシステムなわけで、俺は思いついた考えを即座に引っ込めて大人しくすることにした。無意識にやってしまうのは仕方がないが、少なくともわざとマイナス点を狙うようなことだけは避けることにする。
環にチクられるのはマジでヤバい。
アイツ蘇生すんの得意だから、なんの躊躇いもなく俺を殺せるんだよなぁ……。蘇生できるからって、人を殺して良い理由にはならないんだぞ?
まぁそれはそうと、殺される準備って何をすればいいのかな? 遺言書用意しとけってか?
「しかし、いよいよお前もだいぶ殺伐とした性格になってきたよなぁ……。昔はあんなに親し気に話しかけてくれてたっていうのに、俺は悲しいよ」
昔と言ってもほんの数週間前の話だが、それでも懐かしく感じる。
初めて会話をしてから沢山の出来事が俺と熊谷の間であったわけだが、何一つとして良い思い出として残っていないのが悲しいところだ。まさかこうして命のやり取りをする関係になるとは、あの頃は想像もしてなかったぜ。
「誰のせいでこうなったと思ってんのよ……。てゆーかなんでちょっとほろりとした雰囲気出してんの、キモイんだけど? マイナス200点」
感慨に耽っているだけでマイナス点を食らってしまった。
ちらりと横目で熊谷を見てみると、その目つきは冷徹なもので、声色も冷え切っている。もはやこの場で呼吸しているだけで俺の評価は下がり続けているのではなかろうかと、そんな想像を抱かせた。
「そもそも突き放すような態度ばっかりとってる上月君が悪いんでしょ? 私はちゃんと普通に仲良くなりたいだけだったのに、嫌われるようなことばかり言って……。親し気に話しかけてほしいなら、ちゃんと私のことも優しくしてよ、環ちゃんみたいに……」
「…………」
だんだんと縋るような視線となってくる熊谷に、俺の思考が鈍る。ラズベリーの甘い香りが脳を満たし、ほわほわとした感情が胸の内側からじんわりと広がっていく。
時折訪れる熊谷にうっかり墜ちてしまいそうになる心をグッと堪えて、
「なんでそこで黙るの、返事は?」
という言葉に、俺は誤魔化すよう口を開いた。
「いや、いつの間に環のことちゃん付けで呼ぶようになったのかなーって少し気になって。確か前まで三ノ輪さんって呼んでたよな?」
「今の話の流れで気にするとこそこ!? 上月君の知らないところで普通に仲良くなったんだよ! どうでもいいでしょそんな話!」
確かにどうでもいい。でも、気になったのは確かだ。誰だって俺と似たような心境になる時はあると思う。今の俺の状態は、動画サイトとかで勝手に流れてくるオススメをサムネに惹かれてついついタップしてしまう時のものに近い。
せっかく出来た時間が無駄に失われると分かっていても、意外と抗えない……アレ。やらなきゃいけないことがある時とか尚更気になって抗えないんだよなぁ。そんで結局なんも出来てなくて、夜になって絶望するやつ。
学習能力がないのかってくらい何度も繰り返すから、地味にかなりの中毒性があると思う。面白そうなオススメを勝手に表示してくるのマジでやめてほしい。
まぁ今はスマホがぶっ壊れてて手元にないから、俺にはまったく関係ない話なんですけどね! という訳でユーチューバーの皆さん、引き続き面白い動画作るの頑張ってください!
「はぁ……ダメだこりゃ。何をしてもまったく心を開いてくれない」
熊谷はそんな俺を見てどう思ったのか、重い重い溜息をつき頭を抱えた。
本人を目の前に言うことではないと思うが、漏れ出てしまったものは仕方ないか。それに、熊谷に心を開いていないのは本当のことだしな、わざわざ訂正する必要もあるまい。
とりあえず体調もだいぶ楽になってきたということで、気を取り直して、俺は頭を抱え続ける熊谷に話しかけた。
「それで、これからどうする? 俺の考えてきたデートプランとしては──」
あくまでもこれは剣崎妹とのデートで主導権を握るための予行演習なので、あらかじめ出されていた熊谷からの宿題をささっとこの場で発表しようとすると、
「その前に!」
しかし、それは熊谷の鋭い声によって制止されてしまった。
意表を突かれてポカンとする俺の服装をじろじろと見ながら、熊谷は決心したように「うん」と頷き、ガシッと腕を掴んでくる。
そして、
「まず、服を買うための服を買いに行くよ!」
と、無理やり立たされ、次に行く場所を決められてしまった。
『服を買いに行くための服を買いに行く』
…………えぇ、そこからですか?




