でりしゃすびーむは呪いの言葉
美味しくなる魔法の呪文を唱えるという苦行を終えて、厨房で一人になった俺は、
「…………死にたい」
猛烈な自殺願望に襲われていた。
脳内にこびりついて離れないのは、やはり先程やらされた羞恥的苦行。萌え萌えとかいうわけのわからん言葉を、オムライスに向かってわけのわからんポーズで放つという苦行は、まさに地獄以外の何ものでもなかった。
「…………」
思わず、厨房に置かれている包丁に目が向く。
近づいて手に取ってみると、いつもよりも少しだけ軽く感じられて、妙にしっくりと手に馴染んだ。
光沢を放つ刃が、ミイラ男の淀んだ瞳を映し出す。その口元は、僅かに歪んでいた。
「お前の仕事は、肉を切ることだよな?」
その問いに答えるように、包丁がキラリと輝く。
よく手入れされた刃はとても美しく、己の苦悩を全て断ち切ってくれるかのような強かさを感じた。
その切っ先を、喉元に突きつける。
あと少し押し込むだけで、この世の全ての苦しみから解放される喜びに俺が打ち震えていると、
「ちょっと上月、何やってんの!?」
回収した皿を持ってきた環が制止の声を上げた。
「まだ今日の仕事は終わってないでしょ! 自殺するんなら、最後までちゃんと仕事をしてから死になさいよ! あと掃除するの大変なんだから、やるなら厨房じゃなくてお風呂場でやって!」
「…………」
あーこれ、止めてるようで止めてませんねぇ。
なんならむしろ、ちょっとだけ自殺を勧めているまである。
「うるせーなぁ……後じゃなくて、今すぐ死にたいんだよ俺は。邪魔すんな」
「あっ、てゆーかそれ私の包丁じゃない! 返しなさいよ! もう、ちょっと待ってて……はいコレ、さっき私が落として割っちゃったやつ。喉を刺すだけならこれで十分でしょ?」
そして、包丁の代わりにと食器の破片を渡された。
いやこれもう、自殺幇助の領域だろ。
そう思いながら、破片の先端にちょんちょんと触れてみる。
「……はぁ」
鋭利さの欠片もない、ゴツゴツとした感触に溜息が漏れる。刺せないことはないだろうが、かなり思いっ切って刺さなきゃいけないし、刺した後の痛みもこちらの方が断然大きそうだ。
……どうせ死ぬのなら、せめて苦しまずに逝きたい。
そう思って、研ぎ澄まされた包丁に視線を向ける。
「俺、そっちの方が良いんだけど」
「ダメって言ってるでしょ、わがまま言わないでそれで我慢して! アンタの汚い血で、私の相棒が錆びついちゃったらどうすんのよ」
「錆びついちまえそんなもん。その方が、きっと世のため人のためになるだろうさ」
環の料理スキルは壊滅的だ。俺の血のせいでその包丁が使えなくなるというのなら、それに越したことはない。
今後切り刻まれる沢山の食材たちが、無駄になるという運命を避けられるのだから。
とはいえ、また余計なことを言ってしまった。
おそらく一秒後には、激昂した環に押し倒され、刃の雨が俺の体に降り注がれることだろう。刃の雨は血の噴出を引き起こし、きっと厨房は凄惨な殺人現場へと化すに違いない。
……いや、今は死にたい気分だから、それで正解なのか。
なんて、珍しく環の怒りを正面から受け止めてやろうという気で身構えていると、
「ふーん、そんなこと言うんだ?」
俺の予想に反して、環はその場に立ち止まったまま、ニヤリと極悪の笑みを浮かべていた。
神経をこれでもかと逆撫でする表情に、軽く苛立ちを覚える。
環はその腹立つ表情のまま、流れるような仕草で懐からスマホを取り出していた。
取り出されたスマホが、ススーッと俺の目の前で操作されていく。
「じゃあこの動画、SNSにアップしちゃおっかなー」
勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、画面の中央をタップする環。
やがて、俺の脳内で再生させ続ける動画が、現実でも最大音量で再生されてしまった。
『ではお願いします、上月先輩』
『…………。もっ、萌え萌えきゅん……お、オムライスさん、オムライスさん、おいしくなーれ…………くっ! でっ、でりしゃすびーむ! びびびびびびびびびびびび!!』
『きゃー! 上月先輩、もう一回! もう一回お願いします!』
『あはははははははは!!』
『やめてやめてぇ! もうやめてぇ!! ヤバい! ホントヤバい!!』
『誰か救急車呼んでぇ! お腹痛いお腹痛い! 死ぬぅぅ! 笑い過ぎて死んじゃうよぉぉ!!」
「…………」
サーッと、血の気が凄まじい勢いで引いていく。
何を見せられているのか一瞬理解できなかった俺は、目を大きく見開き、銅像のように固まった。
思わず目を覆いたくなるような屈辱的な光景に、耳を塞ぎたくなるような笑い声に、脳が理解を拒否したのかもしれない。
「おいやめろ……マジでやめろ!」
しかし、それも一瞬の出来事。
何を見せられているのか正しく理解した俺は、次の瞬間には環の持つスマホへと飛び掛かっていた。
「消せぇ! 今すぐ消せぇ!」
ぶっちゃけ魔法の呪文なんかよりも環と熊谷と円香さんの笑い声の方が遙かに目立っているような気がしないでもないが、それでも屈辱的な光景を映していることには変わりないわけで、俺は獲物を仕留める狩人の心で、全力のスピードをもってして床を強く蹴った。
──が。
「だーめ」
瞬きの間に肉薄するも、軽い身のこなしでひょいと躱されてしまう。
環は闘牛士さながらに、マントの代わりにフリフリとスマホを揺らし、余裕の笑みを浮かべていた。
「美花に見せるまでは絶対に消せないわ。まぁでも安心しなさい、美花に見せることができたら、この動画をSNSにアップしないでおいてあげるから」
「消せって言ってんだろうが! つーかなんで天童に見せることは確定してんだよ! 消せぇ!!」
そう叫び散らしながら何度も襲い掛かるも、軽々しく躱されてしまう。
どうやら環は完全に、俺の動きを見切っているようだった。
「クソっ!」
ギリギリと、うるさいくらいに歯ぎしりが脳内に響き渡る。苛立ちが最高潮に達し、頭に上った血が噴火の如く飛び出てくる予感を抱いていると、
「ゆうー?」
のんびりとした口調で、円香さんが厨房にひょっこりと顔を出してきた。
「環ちゃんと遊ぶのは結構だけど、その前に実ちゃん達の食器を回収してきてー」
そして、そんなお願いをしてくる。
俺は更に苛立ちを募らせた。
「遊んでねーよ! つーかこれのどこが遊んでるように見えるんだ! 目ぇ腐ってんのか!! そんなもん自分で行ってくださいよ、自分で!」
そう怒鳴り返すと、円香さんは先程の環と同様に邪悪な笑みを浮かべ、懐からスマホを取り出した。
流れるような仕草で、スマホが操作されていく。
「ふーん、私に向かってそういうこと言うんだー。じゃあこの動画、SNSにアップしちゃおっかなー?」
『でりしゃすびーむびびびびびびびびびびびび!!』
「行くよ! 行きますよ! 行けばいいんでしょ!? どうせ行ったところでその動画は削除してくれないんでしょ!? クソがっ!!」
俺は怒り心頭に、頭から血を大量に噴出させながら、勢いよく店内へと飛び出していった。




