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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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喫茶店RING

 それから時間はあっという間に過ぎ、放課後を迎えた。


 放課後になったといっても時刻はまだお昼を少し過ぎたくらいで、日はいまだ高い位置にある。


 今日はHRと始業式だけで終わりなので、こうして早めの帰路につけたという訳だ。なので、今はあてもなく町をぶらぶらと散策中である。


 散策しながら、さてさてこれからどうしたものかなーと、思考を巡らせる。


 一応クラスでは「親睦しんぼくを深める為に、これからみんなで遊びに行こうぜ!」みたいな話で盛り上がっていたが、ちょっと何言ってるのかよくわからなかったので軽く無視しておいた。


 いやだって、一緒に遊びに行くだけで親睦が深まるとかありえないし。


 友情なんてものは、そう簡単に作られるようなものではない。あれは豊富なコミュニケーション能力を有している奴だからこそ作り出すことのできる奇跡の産物さんぶつである。


 0に何を掛けても0になるように、最低限のコミュニケーション能力すら持ち合わせていない俺なんかには到底無理な芸当なのだ。一緒に行ったところで場の空気が盛り下がるだけで、親睦が深まることは絶対にありえない。


 だからこそ、俺の行かなかったという判断は実に賢明なものだったと思う。


 うん、俺ってば超賢明。もうね、賢明すぎて誘われる前から断っちゃうレベルで凄い賢明。


 賢明な俺は、わざわざ誘われるのを待たなくても誘われないということを知っているのだ。


 凄いだろ、賢明すぎて未来予知ができるんだぜ? これほどまでに賢明な人間は世界広しと言えどそうそう見つかるものではない。


 ふぇぇん。こんな未来を知るくらいなら、賢明になんてなりたくなかったよぉ……。


 閑話休題かんわきゅうだい。 


 茶番はさて置いて……うーん、さてさて、本当にこれからどうしよう?


 いつもなら放課後になるとすぐに直帰している俺だが、春休みの間に家の中で出来るようなことはほとんどやり尽くしてしまった感がある。


 友達のいない俺は暇で暇で仕方がなく、ずっと家の中に引きこもっていたのだ。そのため長らく積んでいた本やゲームは全て消化してしまい、話題のアニメも見尽くしてまった。なんなら暇すぎて、年末でもないのに大掃除をしてしまったまである。おかげで家の中はピカピカだ。


 久方ぶりの外出ということでせっかくだしたまには何処かに寄り道でもしていこうかなーと考えての行動だったが、早くも後悔の念が湧いてきた。書店で何点かの文庫本を購入し、それから三十分ほど歩いたあたりですぐに飽きがきてしまった。


 春休み程度の時間では、見慣れた町の景観が大きく変わるようなことはない。面白味も何もあったもんじゃない。


 いっそのこと何か退屈を紛らわすような事件でも起きてくれたならありがたいのだが、二次元の世界じゃあるまいし、今日もこの町は平和そのものである。


 あ、事件が起きてほしいなんてのは流石に不謹慎過ぎましたね、ごめんなさい。


 「……ん?」


 なんて、誰に対してでもない謝罪をしながら歩いていると、俺の視界にとある喫茶店が入ってきた。


 春休み前に比べてこの町で唯一の変化があったとすれば、おそらくはあの店が新しくオープンしたことくらいのものだろう。


 以前見かけた時はまだ建設中だったが、俺が家に引きこもって自堕落な生活を送っている内に、いつの間にか完成していたらしい。


 看板には『cafeHARMONY』と書かれてある。以前テレビで見たことのある、有名チェーン店の名前だ。


 スタートダッシュには無事成功したようで、店内は活気ある賑わいをみせていた。


 圧倒的なまでのお洒落な雰囲気と、リア充の巣窟そうくつであるかのような人気っぷりは素直に凄いなと感心する。


 が、入りたいという気持ちは全く湧いてこない。


 非リア充の俺からすれば、あれほどまでの人混みは見ているだけで気分が悪くなってくるのだ。


 「うわー、スゲーなー」と感嘆かんたんの言葉はでてくるが、平穏を愛し、静寂を好む俺にはとてもじゃないが受け入れられそうにない。


 どんなコーヒーが飲めるか興味がない訳ではないが、どうせボタン一つで簡単に作り出せるような安っぽい味をしているのだろう(偏見)。マズいに決まっている(超偏見)。だから俺は、くるりときびすを返し、再び歩き出すことにした。


 わざわざあんなところに行かなくても、美味しいコーヒーが飲める店を俺は知っている。ちょうど小腹も空いてきたことだし、今日のお昼はそこで済ませることにしよう。




 それから歩いて五分程で、目的の場所へと到着した。


 住宅街の一角。沢山のアパートやマンションに囲まれひっそりと佇むような形で、そのお店はある。名を『喫茶店RING』という。俺の数少ない知り合いが経営している小さなお店だ。


 先程のcafeHARMONYとは違い、見た目は古臭く、規模はかなりこじんまりとしている。行列なんてものはもちろんなく、店内にいるお客さんも一組の老夫婦のみで僅かなもの。とてもじゃないが繁盛してるとは言えないだろう。


 しかし、見た目に騙されることなかれ。繁盛していないとは言っても、俺の知る限りここより美味いコーヒーが飲める場所は他にない。


 ここは知る人ぞ知る、隠れた名店なのである。


 木目調の扉を開けると、カランコロンとベルが鳴った。その音に気付いて、カウンターの奥で丁寧にグラスを磨いてる人物が顔を上げる。


 「やぁ優君。久しぶりだね、いらっしゃい」


 作業している手を止めて、朗らかな笑みで出迎えてくれる彼の名は三ノ輪巧みのわ たくみ。このお店をほぼ一人で経営している初老のおじいさんである。俺の元クラスメイトの家族であり、ついでに言うと母さんの昔からの知り合いらしい。


 「どうも、お久しぶりです。マスター」


 マスターにぺこりと頭を下げ、俺はいつものカウンター席へと腰掛けた。もはや指定席となりつつある、一番端っこの席だ。


 いやー、なんだか落ち着くんだよね、端っこって。


 七年前にこの町に引っ越してきて、一番初めに母さんに連れて来られたのがこの喫茶店RINGというお店だった。


 以来、俺は彼のことをマスターと呼んでいる。


 「どうぞ、ごゆっくり」


 マスターの持ってきてくれたお冷を一口飲んで、さっとメニューに目を通す。


 お財布と相談しながら、今日は玉子サンドとブレンドコーヒーを注文することに決めた。


 本当はオムライスが食べたかったが、値段的に手が届きそうになかったので仕方なく我慢することに。こんなことなら文庫本なんて買わなければ良かったぜ……。


 「はい、たまごサンドとブレンドコーヒーのセットですね。かしこまりました」


 俺の注文を受け取るなりすぐにマスターは厨房へと下がっていった。


 その間特にやることもないので、俺はそっと目を閉じて、店内に流れる音に耳をませることに。


 かち、かち、と大きな古時計が時を刻む。サイフォンの中のお湯が、こぽこぽと沸騰をし始める。一組の老夫婦が、仲良さげに談笑している。


 この空間に居るだけで心が癒されていくのは、きっと気のせいではないだろう。まさにストレス社会における憩いの場。砂漠で言うオアシスとはここのことだ。


 平和だなぁ。そう思いながら、俺は大きな欠伸を吐き出して、ボケーッとしながらまた一口、お冷を口にした。


 それがいけなかった。


 「ごめんおじいちゃん! 遅くなっちゃった!!」


 予期せぬタイミングで一人のバカ女が凄まじい音を立てながら勢いよく扉を開け放ち、慌てて店の中に駆け込んできたからだ。


 「ぶっ!?」


 突如として発生した爆音により、口の中に含まれていた水を盛大に吹き出してしまう。


 「ごほっ! げはっ!」


 それだけにとどまらず、丁度喉を通っていた水が気管にまで侵入してきて超苦しい。


 オアシスだった空間は一変、一瞬の内に地獄へとなり果てた。


 「おぉ、びっくりした。何事かと思ったら、環ちゃんか」

 「うふふ、相変わらず元気な子ね」


 とはいえ、幸いにもこの出来事で被害を受けたのは俺だけだったようで、後ろのテーブル席に座っている老夫婦は驚きはすれども苦しんでいる様子はない。


 むしろよくある光景なためか、慌てて駆け込んできた彼女を見て微笑んですらいる。


 「あっ、駄菓子屋のおじいちゃんおばあちゃん! いらしてたんですね、こんにちは!」


 駆け込んできた少女、三ノ輪環みのわ たまきは老夫婦を視認して、明るい笑顔を見せた。


 マスターのお孫さんであり、俺の元クラスメイト。小さい頃からこのお店の手伝いをよくしている、常連客達の間で看板娘として可愛がられている女の子だ。


 見た目は三つ編みおさげに眼鏡と、非常に地味で大人しそうな容姿をしている。例えるならば図書館の片隅で一人静かに読書を楽しんでいそうな、そんな感じの奴。


 しかし、実際のところそんなことは全然ない。内気な性格どころかむしろその逆で、今現在こうして老夫婦と楽し気に談笑しているように、環は積極的に他者と触れ合うことのできるとてもコミュ力の高い人間なのである。


 その人間性はもちろん学校でも変わっておらず、誰に対しても分け隔てなく真摯しんしに向き合ってくれる姿勢は、生徒達だけでなく教師達からの信頼も厚い。


 ただし、俺を除いて。


 三ノ輪環は誰にでも優しく接することのできる素晴らしい人間ではあるのだが、俺に対してだけは鬼のように冷酷な奴なのである。


 初めて出会ったのが七年前。それから何度酷い目に合わされたことか、数えだしたらキリがない。


 今もこうして店の隅でおぼれているというのに、老夫婦との会話を楽しむばかりで助ける気が全くないのが良い証拠だろう。彼女にとって俺の存在は、虫ケラと同じくらいの価値しかないのだ。


 「こら環」

 「うっ」

 

 先程の騒ぎを聞きつけてか、マスターが厨房から出てきた。


 苦しんでいる俺をほっといておしゃべりしている孫娘に何か思うところがあるのか、その眉間にはしわが寄っている。


 マスターの声を聴いた環は肩をビクッと跳ねさせ、叱られる前の子供のように表情を強張らせた。


 「何度も言ってると思うけど、店の中で大きな音を立てるのはやめなさい。来てくださっているお客様に対し、失礼でしょう」

 「は、はい。ごめんなさい、おじいちゃん」


 マスターに叱られ、しゅんと項垂うなだれる環。


 その様子を見て、マスターはやれやれといった感じで一つ溜息を吐いた。それから「謝る相手が違います」と言って、顔の小さな動きだけで視線を俺の方へと誘導する。


 「あっ」


 マスターに視線を誘導され、環はようやく自分のせいで苦しんでいる者がいることに気づいたようだ。俺を見つけるなりすぐに慌てた様子で駆け寄ってきた。


 良かった。この反応から察するに、どうやら今の今まで本気で俺の存在に気づいていなかったっぽい。


 別に俺のことを嫌っているから無視してた訳じゃなかったんですね。


 「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですかお客様!? あぁ、わ、私のせいですよね! えーと、先程は驚かせてしまって、大変申し訳ありま──ゲェ!?」


 お客様に真摯に向き合う姿勢から一転、突然環は蛙の鳴き声のような悲鳴を上げた。


 それからキッチンでカサカサと動くゴキブリを見つけたかのように、忌々し気な視線を向けてくる。


 「上月、なんでここにいるのよアンタ。すぐに家に帰ったんじゃなかったの?」


 そう呟く環の声音は、やはり冷たい。先程までの人の良さはどこへやら、一撃で仕留めんばかりの視線に、俺は強い恐怖心を覚えた。主婦に見つかった時のゴキブリも、きっと同じ気持ちになっているに違いない。


 「いや、なんでって……迷惑を掛けた相手にその言い草はねーんじゃねーの?」


 とはいえ、こんなことで怯む俺ではない。ゴキブリよりも強い肉体と精神力をもってして、目の前の強敵に立ち向かう。


 「出会って早々ゴキブリを見るかのような目を向けてきやがってよぉ。最低限の誠意すら見せられないのかお前は?」

 「はっ」


 俺の勇敢なる抵抗は、環の小馬鹿にするような態度であっさりと笑い飛ばされてしまった。こ、この野郎!


 「生憎あいにくのところ、アンタみたいな奴に下げるような頭は持ち合わせちゃいないの。だって私は人間だからね。いちいち虫けら相手に頭を下げるような人間なんているはずがないでしょ?」

 「俺だって人間だよ! よく見ろボケ、その眼鏡は飾りか? どこからどう見ても人間の姿してるだろーがよ。こんなデケー虫がいたら、今頃町中パニックになってるわ」

 「ふふっ。実際のところ、すでにパニックになってるんじゃないかしら? もしかしたら世紀の大発見ということで、明日はアンタの話題で持ちきりかもね。まぁどうせ、危険生物だから即日に駆除されるだろうけど」

 「世紀の大発見なのに駆除されちゃうのかよ……」


 世紀の大発見をしたというのなら、せめて観察対象として保護してほしいものである。そして可能ならばどこかの研究施設へと送られて、そこで研究者たちに観察されるだけという簡単な仕事をしていたい。


 例えるならそう、動物園にいるパンダのように。


 あぁ、パンダになりたいなー!


 「まぁでも、ここに上月がいてくれて助かったわ。ちょうど今、アンタに会いたかったところだったし」

 「は?」


 環はそう言うと、険しかった表情を少しだけほころばせた。


 はて……会いたかったとは、一体どういうことだろうか?


 普通に考えれば、これは好きな相手に送られるような言葉だと思う。が、そんなはずがないことはこの俺が一番よく知っている。


 三ノ輪環という女が、好意的な理由で俺に会いたがるはずがないのだ。絶対に何か裏があるに決まっている。


 なので俺は警戒心を強め、すかさず防御態勢に移った。


 「何だよそれ、どういう意味──ガッ!?」


 しかし、間に合わない。


 目にも止まらぬ速さで繰り出された環の回し蹴りが、防御の隙間をくぐり抜けて俺の顔面にクリーンヒットする。


 蹴り飛ばされた俺の体は近くに置かれている観葉植物をもなぎ倒し、その勢いのまま転がり進み、大きな音を立てて壁に激突した。

 

 「いってぇぇ……! テメェ、いきなり何しやがる!!」


 怒りのまま起き上がるも、強烈な蹴りを放ってきた張本人は悪びれもせず、なおも冷たい目で俺を見下ろしている。少しだけ綻んでいた表情も、いつの間にか元通りになっていた。


 「あら、分からない? 制裁よ、制裁。聞いたわよ。アンタ、またクラスの女の子泣かせたでしょ?」


 拳をギュッと握りしめ、環に猛然もうぜんと殴り掛かろうとしたところ、逆に痛いところを突かれてしまい押しとどまる。


 「……い、いや別に、泣かせたというか、向こうが勝手に泣いたというか」

 「あ?」

 「はい、泣かせました」


 内容が内容なだけに、強く言い返すことが出来ない。しどろもどろになりながら言い訳してみても、ドスの利いた声によって簡単に言いすくめられる。


 確かに今朝の一件では、他人からはもちろんこと、自分から見ても悪かったのは俺の方だったように思う。 


 気づくと俺は、小さく舌打ちしていた。


 「チッ……クラスも違うくせに、なんでお前がそれを知ってるんだよ……」

 「ふんっ、当然でしょ」


 聞こえないように呟いた悪態も、しかし環は逃さず拾い上げてくる。地獄耳め。


 「アンタのしでかしたことは全部、私のところに苦情としてやってくるんだから。ホント大変だったのよ? 一人二人ならまだしも、十人くらいの人数で来られたからね。話を聞くだけで骨が折れたわ」

 「お、おう……」


 思ったよりも多くの苦情が環に殺到していて驚いた。クラスメイト達に嫌われてるだろうなーとの自覚はあったが、まさか十人もいたとは……。


 てゆーか、なんで俺に対しての苦情が全然関係のない環のところにいってるんですかね? 文句があるのなら環にではなく、直接俺に言えばいいのに。


 頑丈が取り柄とはいえ、環の暴力は痛いんだよなー。


 ……あぁ、だからか。納得!


 「おかげでこうして出勤時間には間に合わなくなるし、もう散々よ。とりあえずみんなには後で私がアンタをシバいておくってことで理解してもらえたけど……ねぇ上月、こういうことは二度と起こさないように注意してよね。超迷惑だから」

 「は、はい。努力します」


 ごめんね、迷惑かけちゃって。


 思わぬところで環に迷惑を掛けていることを知り、俺が素直に頭を下げようとすると、


 「──あ」


 不意に、環の後ろに立っている人物と目が合ってしまった。


 「い、いやー話は分かったけどよー」


 環に睨まれた時以上の恐怖を感じ、瞬時に目を背ける。だらりと冷や汗が流れ、背中に冷たい悪寒が走った。


 どうしようこれ。どうしたらいい?


 「だからってここでシバくのはちょっと失敗だったかもなー。有言実行しようとするお前の姿勢は素直に素晴らしいものだと感心するんだけどよ、その……今の俺はなんだかんだ言ってもこの店に来てる客だからさー、もっとこう、丁寧な接客を心掛けておいた方が、後々お前のためにもなってたと思うんだけどなー」


 とりあえずその人物の矛先が俺に向かないよう、やんわりと環の行動をとがめてみたが、果たしてこれが正解なのかどうかはわからない。


 依然として、その人の放つオーラはドス黒く燃え上がらせたままだ。


 「はぁ? なに訳の分かんないことを言ってんのよアンタ? ふざけたこと抜かすとまたぶっ飛ばすわよ」

 「…………バカ」


 俺が露骨に態度を変えてみても、環は今の状況を何も理解していないようだった。


 このままだとより事態が悪化しそうだったので、仕方なく俺は直前に迫っている危機を教えてやることにする。


 「後ろ見ろ、後ろ」

 「……後ろ? ──ひっ!?」


 環は振り向むくなりすぐに悲鳴を上げた。


 自分の背後でニコニコと微笑んでいるマスターと対面して、今にも泣きだしそうな勢いで震えだす。可哀想に。まるで生まれたての小鹿のようである。


 マスターはそんな環に向けて手招きをし、そして告げた。


 「環……話があるから、ちょっとこっちに来なさい」

 「ち、違うのおじいちゃん! これには、仕方のないとても深い事情があって──」

 「いいから来なさい」

 「…………は、はい」


 慌てて言い訳を試みようとするも、有無を言わさぬマスターの優しい声でぴしゃりと遮断しゃだんされてしまう。


 そしてそのまま、環は哀愁あいしゅうの漂う背中を見せながら店の奥へと連行されていってしまった。


 ……可哀想に。




 三十分後、


 「ひっ……うぐっ……だ、大変、お待たせ、おまたぜいたじました! ぶ、ブレンドコーヒーど、たまご……うぐっ……だまごさんどのセットに、な、なりまず!」

 「……お、おう。ありがとう」


 環によって涙ながらに運ばれてきた料理は、少しだけしょっぱい味がした。

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