がんばれおばさん
「はぁ……しんど」
軽い頭痛と強烈な腹痛に襲われながら、俺は一人厨房に立っていた。
ジュージューと音を立てながら作っているものはオムライス。マスターのレシピを脳内に映し出しながら、良い感じに熱の通った玉子をチキンライスへと被せる。
流石にまだマスター程上手くは出来ないが、まぁとりあえずは最後の品もこれにて無事に完成。
ホカホカと湯気を放つオムライスをテーブル席へと運ぶと、少女の喜びに満ちた声が返ってきた。
「わぁ、待ってました!」
目をキラキラと輝かせながら、右手に持つスプーンで大きな塊を掬い取る。少女は大口を開けてその塊を受け入れ、幸せそうな表情でもぐもぐと咀嚼しながら、ごくんと一息に飲み込んだ。
「ん~、美味ですぅ」
とろけそうになる頬を片手で押さえながら、もう一度大きな塊をスプーンで掬い取る。大口を開ける少女は、そうやって何度も同じ行動を繰り返していた。
「…………」
相変わらず美味そうに飯を食う奴である。すでに30品目以上の料理を平らげたというのに、一向に勢いが衰える様子がない。
天童と環が座るテーブル席には、いくつもの皿のタワーがそびえ立っていた。大食い系ユーチューバーもビックリの光景である。
というか、この光景を撮影してユーチューブに動画を投稿すれば、それなりの再生数を稼げるのではないだろうか?
これほどまでの食べっぷりは見ていて気持ちが良いし、美味しそうに食べる姿はこの店の宣伝にも繋がる。
今現在カメラで映像を残していないのが少し悔やまれるところだ。
ぶっちゃけ天童は天使なんかよりも、その手の道の方が遙かに向いているように思う。天使なんて今すぐやめて、ユーチューバーとなって活躍するべきだろう。
編集は俺が頑張るから、広告収入は半々でお願いします。
「ぐぬぬ……上月のくせに生意気な」
それに比べて環の態度ときたら……カメラ映えしないにも程がある。
眉間に皺を寄せて、ブツブツと文句を言いながらパンケーキを食べる様は、とてもじゃないが美味しそうには見えない。
「なんでおじいちゃんのレシピをちょっと見ただけでここまで味を再現出来るのよ? くそっ、美味しい! ふざけんじゃないわよ!」
見えないのだが、どうやら俺の作ったパンケーキはマスターが作ったものと大差ない程度には美味しかったらしい。
良かった、ちゃんとマスターの料理を上手く再現出来てて。レシピ通りに手を動かしただけで簡単にプロの味に近づけるって最高かよ。
環はもっとちゃんとレシピに目を通すべきだと思う。どこの料理本にも、炭化するまで火を通しましょうって書いてないはずだからな。穴が開くほど熟読してほしい。
「あー、疲れたー」
とにもかくにも、これで全品目を一通り作り終えることが出来た。
マスターの残したレシピも暗記したし、厨房での動き方も体で覚えた。接客は環と天童がやることになっているので、これ以上仕事を覚える必要はない。
今日はもう店を開けることもないだろうから、俺はテーブル席のソファーにどっかりと座って、ゆっくりと休ませてもらうことにする。
休ませてもらう……というか、体調が悪すぎてもう一ミリも動けなかった。
「しんどいー、お腹いたいー」
目を覚ましてからすでに最悪だった体調は、環の料理を食べることによって更なる悪化を果たしていた。
頭痛はもちろんのこと、腹痛が殺人的に辛い。もったいないから仕方なく先程の炭を完食した訳だが、流石に無茶が過ぎたかもしれない。胃に直接岩石を詰め込んだかのような、とんでもなく重い激痛が全身を支配している。
出来ることなら今すぐにでも救急車で運ばれて入院したいところだ。医者や看護師に面倒を見られながら、一日中寝ていたい。贅沢は言わないから、たまにはそんな自堕落な休日を送りたい。切実にそう思う。
…………。いや、まぁ別に入院中の患者さんがみんな自堕落な生活を送ってるとは思わないですけれど……。
……はい。配慮に欠けた発言でしたね、ごめんなさい。
「はい。お疲れ様、優君」
とまぁ、そんな益体もないことを考えながら半死人顔でボケーッと虚空を眺めていると、胃薬と水を持ってきてくれた真里菜さんが聖母のような微笑みで声を掛けてきた。
すでに高校生の娘がいるとは思えないほどの美人さん。
先程までぐーすかと眠りこけていたおかげか、今日はいつもよりも元気そうに見える。
「あっ、ありがとうございます真里菜さん。胃薬は良いんで、救急車を呼んでいただけると助かります」
「うふふ、ダメよ優君。あなたにはしっかりと働いてもらわなきゃいけないんだから。入院なら代わりに私がしてあげるわ」
「そんなそんな、人気ラノベ作家様を入院させるわけには……! まだ体が動くのに救急車を呼んだってのがバレたら、俺が編集者さんに怒られちゃいますよ! どうせ今回も締め切りヤバいんでしょ? 働かなきゃ」
「うふふ、心配してくれてありがとう、優君。でも大丈夫よ、デッドラインはさっき過ぎちゃったけど、トゥルーデッドラインにはまだまだ余裕があるから」
「それは全然大丈夫じゃないやつっすね!」
「そうね、全然大丈夫じゃないやつね。うふふふふ」
「あははははは」
「「はぁ……」」
そうして、俺と真里菜さんは同時に重い重い溜息を吐き出した。
働きたくねぇ……。きっとそれは、全人類共通の願いなのだと思う。
真里菜さんは俺の肩をガシッと掴んで、訴えるよう語り掛ける。
「ねぇどうしてぇ? どうして私は仕事をしながら仕事をしなきゃいけないの? まだ原稿終わってないのよ? 最近徹夜続きなのよ? 意味が分からないんだけど? 本当に私がここにいる意味なんてあるの?」
「ま、まぁ子供だけで店の営業なんて出来ませんからね。誰か大人が一人、責任者としていないと」
「嫌よ責任者なんて! 私は永遠の十八歳よ! 責任者なんて務まらないんだから!」
「もしかしなくてもアルコール入ってます?」
どうやら真里菜さんは酷くお疲れのようだった。誰もアルコールなんて提供していないはずなのに、顔を真っ赤にして泣き出している。
おそらくは先程の編集者さんからの電話が相当に応えたのだろう。いい大人が電話越しに必死に謝ってたからな。メンタルがズタボロになるのも当然である。
俺は心の底から、ラノベ作家にだけはならないぞと決意した。
時代はユーチューバーだ!
「大丈夫ですよ真里菜さん。真里菜さんはあくまでも形ばかりの責任者なので、喫茶店の仕事なんて気にせずに、どーんと店に居座ってくれるだけで良いんですから」
泣き崩れる真里菜さんに、天童がそんな甘い言葉をかけてきた。
小さな手をそっと頭に乗せて、花を扱うよう優しく撫でる。
「それに例え何があったとしても、責任は全部優さんに取ってもらいます」
「本当に?」
「はい! なので、私達は好き勝手にやっちゃいましょう!」
「うん、わかったぁ!」
「おいっ!」
わかったぁ、じゃねーよ! なんで俺が全責任を負わなきゃいけねーんだよ! ふざけんなよな! 俺はまだ16歳だぞ! 立ち上がれよ40代!
「よいしょっと」
しかし、俺がそう文句を言う前に、天童は真里菜さんを連れて逃げるように店の奥へと行ってしまった。
俺はキリキリと痛む胃を押さえながら、その背中を睨み続けた。
くそっ! この腹痛さえなければ、今すぐにでも追いかけて罵詈雑言を浴びせてやるというのに!
真里菜さんも真里菜さんだ! そんな理由でメンタル回復させてんじゃねーよ! 本当に好き勝手やりだしたら俺だって本気でキレるからな!?
俺はふーふーと息を荒げながら、少しでもキリキリと胃が痛むのを和らげようと胃薬を水で流し込んだ。
とりあえず荒ぶった感情を抑えようと、ソファに深く座って気持ちを落ち着かせる。
慌てない慌てない。一休み一休み。罵詈雑言なら体を休ませてからでも出来る。
と、そんな風に俺が一休さんなりのリラックス方法を実行していると、
「悪かったわね、アンタを変なことに巻き込んじゃって」
視界の端から、淹れたてのコーヒーをトレイに載せた環がやってきた。
「謝るんなら、俺を巻き込んだことよりもゴミ料理を食わせたことの方を謝ってほしいけどな」
「それは私のプライドが許さないから嫌っ!」
プイッと、子供らしくそっぽを向きながらも、環は俺の目の前に淹れたてのコーヒーを置いてくれる。
一つ呼吸をすると、馥郁たる香りが鼻孔をくすぐった。少しだけ胃痛が安らいだような気がするのは、この香りのおかげか、はたまた胃薬のおかげか、どちらだろうな?
ゆらゆらと湯気を放つカップを手に取り、一口すする。
普通に美味い。悔しいけれど、コーヒーを淹れる技術だけはまだまだ環に勝てそうにないなと実感した。
「…………」
なんでこんな美味いコーヒーが淹れられるのに、あんなマズい料理しか作れないのか不思議でならない。
俺からすれば、レシピを見て料理を作ることなんかよりもずっと難しい作業なんだけどな。コーヒーの神様に愛されて、料理の神様には憎まれているということだろうか。
……料理の神様に何やったんだよお前。毎日中指立てながら挨拶してんの? 今すぐにやめなさい。
「……ねぇ」
と、そんな風なことを考えていると、不意に肩をツンツンと指で小突かれる感触がきた。
顔を振り上げて見ると、自信に満ち溢れた表情をした環が今か今かといった様子で俺の方をじっと見つめている。
「──!?」
思いのほか顔が近かったから、少しドキリとした。
いつも酷い目に合わされてばかりでつい忘れてしまうが、何もしなければ凄い美人なんだよなぁ、コイツ。
だからこそ、不用意に顔を近づけるのは是非ともやめていただきたいものである。普通に心臓に悪いからな。
「で、で? どうなの? 感想は?」
何も言わない俺に対し、環は急かすようにそんなことを聞いてきた。余程自分の淹れたコーヒーに自信があるのか、期待の眼差しがいつも以上に強い。
……まぁ今回に限って言えば、その自信は間違ってないんだけどな。
「ふんっ」
ただ、このアホに素直な感想を口にするのは己のプライドが許さないので、俺はプイッとそっぽを向いて、
「金なら持ってねーぞ」
一言だけ、そう告げてやった。
環はその言葉をどう解釈したのか、ニヤリと口端を吊り上げて、
「いらないわよ、バーカ!」
それだけを言い、くるりと反転する。
それからひらひらと俺に向けて手を振った。
「それじゃあ明日からよろしくね、バ上月。明日からバンバン働いて、目障りなライバル店に勝利するわよ!」
「はいはい」
そんな環の意気込みを聞いて、俺は適当な返事をしつつ、今年のゴールデンウィークはまともに休めそうにないことを確信した。




