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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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そんなところにいたのか、シロ……

 「はー……」


 天童が去ってからもしばらくの間、俺は河川敷で一人、ぽけーっと放心していた。


 脳内に映し出されるのは、夕日に照らされて光り輝く天童の眩しい笑顔。


 まるで素晴らしい芸術作品を目にしたかのように、胸の高鳴りが抑えられない。


 「…………」


 体が熱い。思考が天童によって何度も阻害そがいされる。


 沈みかけていた夕日はすでに沈んでいて、いったいどれ程の時間が経過したのか、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。


 「……くそ」


 なにしてんだよ俺は、と思う。


 時間が経過すればするほど冷静になっていく思考は、だんだんとありえない感情を抱いている自分をぶん殴りたくなってくる。


 かつての恩人に向けていたものと同じ感情を胸に抱いて、


 「いやいやいや、ないないないない!」


 俺はその気持ちを否定するよう、ぶんぶんとかぶりを振った。

 

 アイツはない! アイツだけは絶対にない!


 そう自分に言い聞かせるようにして、何度も同じ言葉を繰り返す。


 今は脳裏のうりに焼き付いている笑顔を消したくて消したくて仕方なかった。


 「何を重ねてんだよ俺は……」


 考えるまでもなく、あの人と天童は似ても似つかない。容姿も違うし、性格も全く違っている。せめてもの共通点を挙げたとしても、せいぜいが料理を得意としているくらいのものだ。


 アイツは違う。アイツはあの人じゃない。


 だというのに、どうしても天童の笑顔があの人の笑顔と重なって見えてしまう。振り払おうとしても振り払えない。消しゴムで消せない絵のように、鬱陶しいほど鮮明な記憶として俺の心に残り続けた。


 「……はぁ」


 きっとこんなバカなことを考えているのも、魔獣との戦いで酷いストレスを受けたせいだ。


 こんな状態の俺は俺なんかじゃない。いつもの冷静な自分を取り戻せるよう、すぐにでも気持ちを落ち着かせなければ。


 「すぅー」


 夜の少し冷えた空気を思いっ切り吸い込んで、


 「はぁー」

 

 溜まっているもやもやと一緒に、それを吐き出す。


 これを何度か繰り返して、俺は高ぶった感情を強制的にリセットさせた。


 あの人はもうどこにもいない。あの人と再会することはもう絶対にありえない。


 そう自分に言い聞かせながら、強引に気持ちを切り替える。


 また会いたいなと思ったところで意味はない。あの人の面影おもかげを天童に重ねたところでどうしようもない。


 余計なことは考えるな。


 「……よし」


 いつもの自分に戻れたことを確かに実感して、俺は顔を上げた。


 芽生えてしまった温かい感情を胸の内に押し殺して、ようやくのことで前を向く。


 無駄なことは考えない。過去の人物のことなんかよりも、今は考えなければいけないことは沢山ある。


 例えば魔獣にぶん投げて壊してしまったスマホをどうするべきだとか、明日から炎に焼かれて着れなくなってしまった制服でどうしようだとか、帰ったら天童とシロによって破壊されたガラス戸を何で塞ごうかだとか、他にも頭を悩ませることが色々と……。


 「あっ……そういえば」


 そこでふと、俺は自分が町へと繰り出した本来の目的を思い出した。


 遠吠えを上げたであろう魔獣は俺の手で駆除した。天童はこの河川敷で無事に見つかった。


 だけどあともう一つだけ。


 「結局のところ、シロはどこに行ったんだ?」


 その疑問に答えるようにして、次の瞬間。


 ザバァァン!!! と、背後で盛大な水しぶきが上がった。


 「──へ?」


 間抜けな声が出る。


 雨のように落ちてくる川の水を頭から被り振り返ると、俺は文字通り、蛇に睨まれた蛙の如く固まってしまった。


 「シャアァァァ」

 「─────」


 絶句する。


 そこにいたのは、人間界ではありえない程のでかさを誇る大蛇だった。


 「……あ」


 いったいどれくらいの大きさなのかは、ここから見ただけではハッキリとは分からない。分からないが、川から半身を出しているだけですでに10メートル以上の高さに到達していることだけは見て分かった。


 胴回どうまわりは千年を生きる大木よりもなお太く、にゅるりと二股の舌を出す口は、人間どころかバスさえも簡単に飲み込めてしまえそうなサイズ感に思える。


 そんな奴が、俺を獲物として視界に捉えている。


 そのくつがえしようのない事実に、俺はぼそりと諦観めいた呟きを落とした。


 「……無理」


 結論は早かった。


 ビル程の大きさを誇る大蛇と対峙して、俺はすぐさま自らの死を悟る。


 これは無理だ。絶対に無理だ。生き延びられるイメージがまったく湧いてこない。


 もちろん倒す方法は考えた。逃げる手段だって頭をフル回転させて何度も考えた。


 しかし、やはりこれは無理だ。どんな作戦を考えてみても、知略を振り絞ってみても、圧倒的な力でねじ伏せられることは分かり切っている。


 考えても見てほしい。普通の人間よりも少しだけ身体能力の優れている程度の俺が、どうしてこのサイズの相手から逃げることが出来るだろうか。


 天使のような特殊な力を使えない人間が、銃などの武器すら持っていない人間が、怪獣から背を向けた瞬間どんな結果を迎えるのか……。


 「────」


 だからこそ 俺に残された道はただ一つだけだった。


 大人しく奴の腹に収まる。


 それしかない。


 「は、ははは」


 きたるべき未来を正しく理解して、俺は河川敷にぺたりと座り込んだ。


 不思議と恐怖はない。圧倒的な存在を前にして、渇いた笑い声だけが自然と体から出てくる。


 「あーあ……」


 瞑目めいもくする。死の直前に走馬灯が流れるという話は本当のようで、頭の中に過去の記憶が鮮明に甦ってきた。


 「散々な人生だったなぁ……」


 とはいえ、甦ってくるのはやはりロクでもない記憶ばかり。


 そもそも俺はすがりたくなるような人生なんてこれっぽっちも送っちゃいない。死のうと思ったことなんて今までで数えきれないほどにある。


 今日までそれが叶わなかったのは、母さんや環がそれを許さなかったからだけに過ぎない。別にいつ終わっても構わない命だ。受け入れない道理はなかった。


 だからこそ、すぐに諦めることが出来たのかもしれない。


 「シャアァァァァァァ!!」


 やがて、大蛇が大口を開けて迫ってくる。


 できるだけ苦しまずに死ねたら良いなーと、そう思いながらぼんやりと大蛇の口内を眺めていると、


 次の瞬間──パァン!! と、大蛇の体が風船のように急速に膨れ上がり、破裂した。


 「…………は?」


 信じられない光景に、驚き目を見張る。


 血と肉片の雨を浴びながら、俺はただただ呆然と、大蛇から姿を現わしたソイツを下から見上げた。


 「にゃーん」

 「…………」


 そのあまりにも場違いな鳴き声に、開いた口が塞がらない。


 俺の命を救ってくれた? のかもしれない正真正銘のバケモノ──シロは、真っ白な翼でふわりと舞いながら、満月のような光で辺りを明るく照らす。


 俺が町中を散々探し回っても全然見つからなかったのは、どうやら大蛇の腹の中にずっとその身をひそませていたせいらしい。


 川の中にもぐられて出るに出られなくなっていたのか、大蛇が地上に顔を出したこのタイミングで、外に出る為に体内から天使と同じような力を爆発させたようだ。


 「うわぁ……」


 なかなかにえげつないことをしやがる。食べられかけたにも関わらず、無残にも殺されてしまった大蛇に思わず同情してしまった。


 ころころと俺の元へと転がってきた眼球と、最期の視線を交わす。


 可哀想に……しっかり成仏するんだぞ。


 「にゃーん」


 と、そんな風に憐れみを抱きながら酷くドン引きしている俺に、シロが小さな翼をパタパタと羽ばたかせながら近づいてきた。


 「──ひっ!?」


 大蛇に対して全く抱かなかったはずの恐怖心が、何故かシロを前にして急激に溢れてくる。


 別に俺に対して殺気を放っているわけではないのに、大蛇から感じたものとはまた別の妙な圧を感じた。


 背中から汗が噴き出してくる。さっきから悪寒が止まらない。


 大蛇に食べられてしまうことさえも生易しく思えてしまえるような、圧倒的な緊張感がそこにはあった。


 なんとなく、悪事をしていることが母さんにバレた時のことを思い出す。


 この緊張感は、母さんから折檻を受ける時と少しだけ似ていた。


 「……ごくり」


 やがて、シロが俺のすぐ側へと舞い降りる。


 俺は生唾を飲み下しながら腕を盾にして、最大限の警戒をあらわにした。


 魔獣に食われ、焼かれてしまった俺のボロボロの盾。心許こころもとなさ過ぎて涙が出そうになった。


 「にゃーん」


 そして、シロが一歩二歩と近づいてくる。


 俺は固くまぶたを閉じて、確実に来るであろうその時を待った。デッドオアアライブ。走馬灯はさっき見たので出てこない。


 「うぅ…………あれ?」


 しかし、意外なことに俺の想像していた未来は訪れなかった。


 感じるのは強烈な痛みではなく、くすぐったい感触。何をされているのか分からず目を開けて見ると、シロが俺のボロボロになった腕をがっつりと両足の肉球でホールドしながら、その小さな舌で丹念にペロペロと舐めている。


 「…………」


 不思議と痛みは感じなかった。皮膚が焼け焦げ、肉が弾け飛んでいる箇所かしょを舐められているはずなのに、痛みどころかむしろ心地良ささえ感じる。


 なんとも言えない奇妙な感覚だ。視界に映る光景と腕に走る感覚が微妙に一致していなくて、若干の戸惑いを覚えた。


 そして、戸惑いは次の瞬間、驚愕へと変わる。


 「──なっ!?」


 元々あったはずの痛みが急速に引いていったかと思うと、シロの舐めた箇所から順に、弾け飛んだ肉が再生されていく。剥き出しになっていた骨はあっという間に筋肉に覆い隠され、更には僅かにも満たない間に焼き焦がれた皮膚さえも次々と再生されていった。


 時間にしておよそ10秒くらいだろうか。


 俺のボロボロだったはずの腕は傷跡一つ残さず、まるで何事もなかったかのように完全な回復を果たした。


 「お前、こんなこともできんのかよ……」


 俺が驚愕をあらわにするも、シロはなんてことのないようにくしくしと頭を掻くばかり。


 それからもう一言だけ「にゃーん」と鳴いて、今度は俺の体にぴったり合うよう結界を張り巡らせた。


 「え……?」


 一瞬、何をしてんだコイツは? と思ったが、徐々に服の繊維せんいに染み込んでいる大蛇の血液が浮かび上がるのを見て、それを理解する。


 察するに、どうやらシロは俺の体に付着している血液だけを対象に結界を張って、それを拡張することによって汚れを飛ばしてくれているらしい。


 「は、ははは……」


 動物がやっているとは思えないほどの繊細な力のコントロールに、意味が分からな過ぎて逆に笑えてきた。


 だってこんな芸当、天童だって出来やしないのだから。


 「ははは……」


 大蛇に襲われているところを救われ、魔獣にやられた傷を癒され、ついには体の汚れさえも吹き飛ばしてくれた。


 猫パンチをお見舞いされたことも、ガラス戸をぶち破られたことも帳消しにする恩を受けて、もう何だか全てがどうでも良くなってしまった。


 「……はぁ」


 小さく息を吐いて、ゆっくりと手を伸ばす。


 差し出された頭をしばらく撫でてから、俺はソイツを優しくかかえ上げた。


 「俺ん家に住むのは良いけど、頼むからもう何も破壊しないでくれよな? 金ないし、母さんに殺されたくないし」

 「にゃーん」

 「本当だぞ? 頼んだからな?」


 そんな成立しているのかも分からない会話を挟みつつ、最後にコンビニでちょっとだけ高めの猫缶を買って。


 俺とシロは……天童と環の待つ家へとのんびり歩きながら帰った。

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