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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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天使の微笑み

 「あー、いってぇ……」


 凶暴な魔獣を駆除できたのは良いものの、ホッとして気を抜いてしまったためか、思い出したかのように腕の痛みが再燃した。


 見ると、皮膚は全体的に赤黒く焼け爛れ、弾け飛んだ肉の隙間からは少し黒ずんだ色をした骨がひょっこりと顔を出している。


 「…………」


 なかなかにグロテスクな光景だ。テレビとかだったらまず間違いなくモザイク処理が必要なレベル。とてもじゃないが、普通に町中を歩いていい状態ではなさそうだった。


 「流石にこのままじゃマズいよな」


 誰かに見られれでもすれば、即刻警察に通報されかねない。


 出来ることならそれは避けたいので、天童の天使の力をもってして腕の傷を綺麗さっぱり治してほしいのだが、


 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 その肝心の天童は未だ、身を縮こまらせながら泣いていた。


 「……はぁ」


 思わず、重い溜息がこぼれ落ちる。


 もうどこにも魔獣はいないというのに、天童は念仏のように同じ言葉を繰り返しながら、頭を抱えるような形で体を震わせていた。


 「おーい天童、もう終わったぞー」

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 呼びかけても返事はなく、まるで外界げかいと断絶するよう自分の世界に入り込んでいる。


 「…………」


 果たして、コイツはいったい何に対して謝っているのだろうか。


 さっきからずっと『ごめんなさいごめんなさい』としきりに謝り続けているが、自分の世界に入り込み過ぎているせいか、その対象がいまいちよく分からない。


 まぁおそらく? 俺に対して申し訳ないと思っているのだろうが、だとしたらそれは自分自身に言い聞かせるのではなく、俺に対して言うべきことだ。


 いつまでもブツブツ謝り続けたって仕方ないだろうに……いい加減自分の世界に閉じこもるのはやめてほしい。


 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 「……あー」


 どうしよう、だんだんと面倒臭くなってきたぞ。


 なんならイライラしてきたまである。


 始めは泣き止むまで待ち続けようかなとも考えていたが、天童の『ごめんなさい』を聞きながら腕の激痛に耐えるのはなかなかのストレスだ。


 これ以上の我慢は俺にとっても天童にとっても精神衛生上あまり良くなさそうだったので、俺は、


 「おい、天童!」


 その身をおおっている見えない壁をぶち壊すようにして、叱責するような形で天童の名を呼んだ。


 「──ッ!?」


 そこでようやく、天童が反応を示す。


 「いつまで泣いてんだよお前、もう終わったっつってんだろうが!」

 「……へ?」


 流石に荒療治が過ぎたか、天童は何を言われたのか分からないといった感じで、ポカンと口を開けていた。


 「え、あれ……終わった?」


 しかしそれもすぐに終わり、少しでも今の状況を理解しようと、辺りをキョロキョロと見渡し始める。


 「い、犬は……? 優さん、生きてる? わ、私……もう食べられない?」

 「…………」


 もしかしてコイツは、自分が縮こまっている間ずっと、俺が魔獣にむしゃむしゃと食べられているところでも想像していたのだろうか。


 いらぬ心配だ。


 人間の身であるとはいえ、幼少期から母さんに鍛えられ続けてきた俺が、あんな雑魚魔獣なんかに負けるはずがないだろうに。


 むしろ俺としては、なんで天童があんな雑魚魔獣なんかにビビり散らかしていたのか、そっちの方が不思議でならない。


 「……あ」


 なんて、俺がそんなことを考えていると、


 「ご、ごめんなさい……」


 またもや天童がこうべを垂れて、もううんざりする程何度も聞いた言葉を再び言い出した。


 「わ、私のせいで、私のせいで優さんが……食べられて……私が、私が優さんを守らなくちゃいけないのに……優さんの腕が……ごめんなさい優さん……私のせいで、優さんが──」

 「うるせーよ」

 「ごふっ!?」


 また狂ったように謝り始めたので、俺は調子の悪くなった家電を直すような感覚で、天童の脳天目掛けてチョップを叩き落としてやる。


 すると、


 「あ──あああああああああ!!!」


 直後、天童の絶叫が河川敷に響き渡った。


 「あ、あれ?」


 意外な反応に、少し驚く。


 てっきりこれくらいの力加減ならば強靭な肉体を持つ天使には痛くもかゆくもないと踏んでいたのだが、どうやらそうではなかったようだ。


 天童は打たれたところを手で押さえながら、母さんから拳骨を叩き落とされた時の俺のように、絶叫を上げながら固い地面の上でのたうち回っていた。


 その光景を見て「あっ」と、思い出す。今の今まですっかり忘れていたが、天童が雑魚魔獣にあっさりやられそうになっていたのにも、これでようやく合点がてんがいった。


 そういえばコイツ、今はお腹が空いてるせいで天使の力が使えないんだったわ。


 しかし、それに気づいた時にはすでに遅く、


 「な、何するんですか優さんっ!? 死ぬかと思ったんですけど!?」


 天童は痛みを堪えるよう歯を食いしばりながら、涙目で俺を睨みつけていた。


 マジおこぷんぷん丸の顔である。


 「あー、い、いや、なんかスマン……そんなに強く叩いたつもりはなかったんだけど……まさか、お前が普通の人間並みに弱体化してるなんて思ってもみなくてさ……つい」

 「つい、じゃないですよバカァ!! 本当に死んだと思ったんですよ私! 見てくださいよ優さん私のこの大きなたんこぶを! どんだけ力込めて殴ってるんですか!」


 そう怒鳴り散らしながらずんずんと俺との距離を詰めてくる。


 見せつけるようにして突き出された頭頂部には、確かにこれまで見たことのないような、それはそれはもう大きなたんこぶが出来あがっていた。


 「おぉホントだ、すげぇでけぇ! ハハハ、なんか漫画みてーなデカさだな!」

 「うがー!」


 それを見て俺が笑うと、天童は獰猛どうもうな叫び声を上げながら襲い掛かってきた。


 ポカポカポカポカと、俺の胸部が天童の拳によって何度も叩かれる。


 「ちょ!?」


 その一発一発が思いのほか強く、俺は自身の肋骨ろっこつが容赦なく粉砕される未来を予感した。


 堪らず叫ぶ。


 「痛い痛い痛い! わ、悪かった、悪かったって! もう笑わない、笑わないから! ポカポカ殴んのをやめろ! 傷に響くだろうが!」

 「うぅ……」


 流石に魔獣から自分を守ってくれた相手を殴り続けるのは悪いと思ったのか、天童は素直に俺の要求に従い、複雑な表情を見せながらも胸を打つ手をピタリと止めてくれた。


 ふぅ、危なかった……。本当に、危なかった……。


 少しでも天童を止めるのが遅れていれば、俺の肋骨は間違いなく粉々に砕けていたことだろう。


 九死に一生を得た、そんな気分だ。


 てゆーかこれだけの力が出せるのなら、わざわざ俺が助けに入らなくても天童一人でどうにか出来たのでは?


 そう疑問に思ったが、


 「ふんっ!」

 「ごふっ!?」


 最後にもう一発だけお腹に拳を叩き込まれて、その思考は強制的に中断させられた。


 完全に油断しているところに、ダメ押しの一撃……。コイツ、マジで性格悪すぎんだろ。


 膝を屈してお腹を押さえているところに、天童はビシッと俺に人差し指を突きつける。


 「このことは、帰ったら環さんにしっかり報告させてもらいますからね! 覚悟しておいてください!」

 「えぇ……い、いや、それはマジで殺されるやつだから勘弁してほしいんだけど」

 「ふーんだ!」


 天童は拗ねた子供のようにそっぽを向いて、俺の懇願こんがんをあっさりと無視した。


 それからすぐに背中を向けて、てってってっと逃げるように土手を駆け上がっていく。


 「こ、このっ」


 追いかけたくても追いかける余裕のない俺は、その走り去る後ろ姿を見つめることしか出来なかった。


 家に帰ったら環からの容赦のない折檻せっかんが待っているんだろうなと、俺が絶望に表情を歪めていると、


 「……?」


 土手を登り切ったところでふと、天童が足を止めた。


 「あ、そうだ。最後に一つだけ、言い忘れていたことがありました」

 「えぇ……」


 その一言に、思わずうめき声がこぼれる。


 果たして、コイツはこれ以上俺に何を言うつもりなのだろうか。もうすでに十分過ぎるほどの仕打ちは受けているのだから、いい加減罵倒を浴びせるのは勘弁してほしいのだが……。


 そう警戒心をあらわにする俺の前で、天童はくるりと踊るように回って、


 「……え?」


 その光景に……俺はつい、見惚みとれてしまった。


 「天童?」


 夕日の光に反射して、ふわりと舞う天童の髪がきらびやかに輝く。翡翠ひすい色の瞳が、真っ直ぐに俺の心を射抜く。


 雪のような白い肌は少しだけ赤みをびていて、嬉しそうに笑う無邪気な姿は、俺の視界に……どうしようもないほど正しく天使として映った。


 そして、告げられる。


 天使のような優しい笑顔で……『ごめんなさい』なんかよりもずっと聞きたかった言葉がようやく、天童の口から俺の耳へと届けられた。 



 「ありがとうございます、優さん。優さんのおかげで私……救われちゃいました!」

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