vs.野犬
「さてと、コイツをどうしたものかな?」
「グルルル……」
間一髪天童への襲撃を阻止できたのは良いものの、問題はここからだ。
俺の腕に噛みつきながら低い唸り声を上げているコイツをどうするべきか、早急に考えなければいけない。
「……うーん」
一番手っ取り早い方法は、さっさと頭を潰して殺してしまうことだろう。人を襲う以上、このまま放置する訳には絶対にいかないからな。
しかし、だからと言ってすぐに殺してしまうのも、それはそれでなんだか気が引けた。
天童に襲い掛かった事実があるとはいえ、別にコイツだってしたくてそうした訳ではないと思う。ただ単にどこにも食料がなくて、仕方なく誰かを襲ってしまったというだけの話だ。動物の生きる世界では、それはごく普通の当たり前のこと。
危険だからというだけの理由で処理するのは、流石に人間のエゴが過ぎるように思う。
だいたい野生の動物がこうして飢えるようになったのも、そもそもは人間が自然界を荒らし過ぎたのが主な原因だ。豊かな生活を得ようとして、他の生き物たちの生活を踏み潰す。どちらが悪いかだなんて考えるまでもないだろう。
出来ることならたらふく飯を食わせてやって自然界に帰してやりたいところなのだが、根本的な問題を解決しない限り、一時的に飯を与えて帰したところできっとまた同じことは繰り返されると思う。
コイツを自然界へと無事に帰すことができて、なおかつ人を襲わないようにするためにはどうするべきか。
いっそのことこのまま家に連れ帰って、試しに人間を襲わないよう教育してみるか……。
でも動物を飼う余裕なんて俺にはないしなぁ……。
天童に金銭面での援助をお願いしようにも、実際に襲われた本人にそれを頼むのはちょっと難しそうだ。
「あ……ゆ、優さん」
なんて、俺があーでもないこーでもないとひたすらに頭を悩ませていると、
「……ち、血が……血が……」
「あ?」
ぼそりぼそりと、消え入りそうな程にか細い声が背後から聞こえてきた。振り返ると、青ざめた表情をした天童が、野犬に噛みつかれている俺の腕に集中している。
「いや、こんくらいどうってことねーよ」
鋭い牙が食い込まれた腕からは、確かに少なくない量の血が出ていた。が、子供の頃から母さんに徹底的に鍛えられてきた俺からすれば、この程度の傷なんて全然たいしたことはない。
「つーか、ぶっちゃけお前に殴られた時の方が遙かに痛かったしな」
もちろん強い痛みは感じている。それでも、天使達の無慈悲過ぎる暴力に比べれば余裕で我慢できる範疇だった。
この程度の痛みでいちいち騒いでいるようでは、凶暴な天使との生活なんて送れやしないのだ。奴らと共に暮らすためには、それこそ鋼のような強靭な肉体と精神力が必要なのである。
いや、だからといって別に天使との共同生活を送りたいわけでもないんだけど……。
「がぁ!」
「おっと」
少し意識を後ろへ向け過ぎてしまったためか、突然に野犬が暴れ出した。一刻も早く空腹を満たしたいのか、牙を封じられてなお、天童に喰らいつかんと血走った眼差しを向けている。
「ひっ!?」
「大丈夫だって。絶対に抜けないよう、筋肉でしっかり締めてるから。ほれ」
野犬に睨まれただけで悲鳴を上げる天童。
俺はそんな天童を安心させるため、噛みついている野犬ごと腕を持ち上げて、自分の言葉を証明するようぷらんぷらんと振って見せた。
「う、うぅ……」
しかし、残念ながらそれは逆効果だったようで、天童は震える体で縮こまりながら涙を流すばかり。
「お、おい」
俺がせっかく絶対に抜け出せないパフォーマンスをしているというのに、天童は防御する体勢で頭を抱えたまま、こちらを見ようともしない。
「…………」
その尋常じゃない程のビビりっぷりに、俺の中で小さな疑念が生まれた。
「天童……お前、もしかして──」
犬が怖いのか?
そう訊ねようとしたところで突然、野犬の口内が赤く光り出した。
「は?」
意味の分からない変化に俺が間抜けな声を上げると、次の瞬間、野犬の口内が爆発する。
ボン!!
「あっづあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?????」
腕の肉が内側から爆ぜる衝撃に、俺の絶叫が河川敷に響き渡った。
頭の中が真っ白になる程の痛みに、俺は涙を流しながら腕をぶんぶんと振る。
「あぁぁぁああぁ!! あああああぁぁぁぁぁ!!!」
締めていた筋肉は当然緩み、その隙に捕まえていた野犬が脱出を成功させる。しかし、それを気にする余裕など一切ない。灼熱の炎に焼かれる腕はなおも強烈な痛みを発し続け、俺はそれをどうにかすることで精一杯だった。
必死に腕を振り、はたき、息を吹きかけ、砂を叩きつける。
ようやくのことで炎が鎮火したころには、俺の腕はもう完全に使い物にならなくなっていた。
「ふ、ふっざけんなよ天童! 魔獣なら魔獣って先に言えよ!! あーもう! くっそぉ、いってぇ……! ごちゃごちゃ考えて損したじゃねぇかよ!」
炎が鎮火したことによって幾分か痛みはマシになったが、それでも痛いものは痛い。俺は唾を飛ばす勢いでがなり立て、涙目のまま天童を睨みつけた。
「ご、ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「あー……」
俺の怒鳴り声を受け、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す天童。
その姿があまりにも可哀想に見えて、俺の湧き上がっていたはずの怒りは一瞬の内に冷めてしまった。
「い、いや、俺の方こそごめん。別にそんな責めるつもりはなかったんだ。まぁ痛いのは痛いけど、これくらいの痛みはよくあることだし……」
何故だか逆に、俺の方が頭を下げて謝ってしまうしまつ。そんなに悪いことなんてしてないはずなのに、とんでもない罪悪感が込み上げてきて、胸がズキンと痛んだ。
なにこの状況? なんで俺が天童を泣かせたみたいになってんだよ?
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「えーと……」
しきりに謝り続ける天童に、どうしたものかと俺が固まっていると、
「ガルルルル……!」
「あ?」
背後から再び、野犬──もとい魔獣の唸り声が聞こえてきた。
振り返ると、瞳を殺意にギラギラと輝かせながら懸命に立ち上がろうとする、魔獣の姿が。
「おぉ、すげぇなお前。そんな状態でまだやるんだ」
その姿を見て、俺は素直に感心した声を吐き出した。
俺と同様に、先程の炎で魔獣もかなりの手傷を負っている。口元は見るも無残に焼け爛れ、鋭かったはずの牙はボロボロとなり、歯肉からは溢れんばかりの血を流している。
どう考えても戦えるような状態ではない。それどころか、見た感じ立っているのやっとといったところだろう。
しかし、それでも獲物を絶対に仕留めんとする意志はまったく折れちゃいなかった。
諦めるどころかむしろ復讐心に燃え、更なる殺意を宿しているかのようにすら見える。
気づけば俺は、少しだけ口端を上げていた。
「嫌いじゃないぜ、お前のその諦めない心の強さ」
ビビッて逃げられたらどうしようかと思っていたが、立ち向かってくれるのならありがたい。
俺は戦おうとする魔獣に敬意を表して、無事な方の手で「掛かってこい」と合図を送った。
「ガァ!!」
次の瞬間、俺の出した合図を正しく理解してくれたのか、魔獣は即座に駆けだし、僅かに残った牙で俺に襲い掛かってくる。
そのタイミングに合わせて、俺は魔獣の首元めがけ、全力の蹴りを打ち込んだ。
「よっと」
「がっ──!?」
ボギッ!──と、魔獣の口から発せられた最期の声と共に、首の骨が砕ける音を聞いた。
確かな手ごたえを感じて、そのままの勢いで力任せに高々と宙へと蹴り上げる。
「────」
魔獣はすでに絶命しているのか、口から血を吹き出しながら静かに空を飛んでいった。
沈みゆく夕日と重なるように宙を舞って……そして、──ドボン! と、大きな水しぶきを上げて、河の中腹辺りへと身を落とす。
「よし、駆除完了っと」
野犬ならともかく、人間以上に自然界を荒らす魔獣を生かしておく理由はない。
キラキラとオレンジ色に輝く川面を見ながら、俺は一仕事終えた満足感と共に、ホッと息をついた。




