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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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遠吠え

 パンパンに詰まった買い物袋をたずさえスーパーから出ると、町はすっかり茜色に染まっていた。


 ちょうど帰宅ラッシュの時間帯ということもあってか、駅前や商店街は主婦や学生やサラリーマンたちなんかであふれかえっている。この不景気な時代に少しでも売り上げを伸ばしたいのか、商店街の住人たちもそろって店先で叫ぶように客の呼び込みを行っていた。


 うるさいったりゃありゃしない。


 近くのスーパーが心底邪魔なんだろうなぁと、この道を通るたびに毎回思う。重い買い物袋のせいで耳を塞げないのが残念だ。


 そんな喧騒に包まれる町の中で、俺と環は二人並んで歩いて帰っていた。


 「…………」

 「…………」


 活気のある商店街とは対照的に、気分は最悪。スーパーであんなことがあったせいか、普段明るく振る舞っている環でさえ俺と同じように沈黙を貫いていた。


 こんな調子で本当に大丈夫だろうかと、少しだけ心配になる。


 帰ったら天童にカレーの作り方を教えてもらうことになっているが、この調子だとボーっとして奴の教えをガン無視し、カレーとは名ばかりのとんでもない物体を作ってしまいそうで怖い。


 環の作る料理は、毒物を混入された豚のエサにも勝るとも劣らないレベルのクオリティを放つものだ。天童の教えが無視されるということはつまり、それを食べることになっている俺が死ぬということである。


 冗談じゃない。


 出来ることなら調子を取り戻せるような気の利いた言葉の一つでもくれてやれれば良かったのだが、しかし俺の思いつく言葉はロクでもないことばかりらしく、結果として環をはげますに至らなかった。


 実際に言ってみたところ、すでに環から強烈なビンタをお見舞いされてしまった後だ。


 悲しいことに、女心というやつは俺には少し難し過ぎたらしい。


 『安心しろ環、貧乳はステータスらしいぞ』って言っただけなんだけどな……これの何がいけなかったのか、誰か懇切丁寧こんせつていねいに説明してくれ。


 「…………」

 「…………」


 商店街を出ても、無言の時間はしばらく続いた。


 人々の騒々しさが薄れたこともあってか、どちらからとも喋りかけようとしない空気感はより静けさを増す。まるでお通夜のような雰囲気だ。いつも環とは喧嘩ばかりしているから、この静けさは俺にとって逆に新鮮だった。


 ……うーん、意外と悪くないな。むしろ良い。環にはこのまま一生黙っていてほしいまである。


 「ねぇ上月」

 「なんだよ」


 しかし、俺の家が目前に差し迫ったところで、今まで黙っていた環がおもむろに口を開いた。


 「今更なんだけどさ、本当にあの状態の美花を一人家に残したままで良かったのかな?」

 「…………」


 何を言いだすかと思えば、本当に今更な話だった。


 今更過ぎて、アホかと思う。


 町でしっかりと買い物を済ませたこんな状況でそんなことを言われても、もはや俺達に出来ることなんて何もないだろう。どう考えても手遅れだ。あとの祭りが過ぎる。


 とはいえ、言い出した環の表情は真剣そのものだった。


 本気の本気で、家に残した天童のことを心配しているらしい。


 「……まぁ本人が大丈夫だって言ってたんだし、大丈夫なんじゃねーの? 知らんけど」


 適当に大丈夫だとは言ってみたものの、本当に大丈夫かどうかなんてものは誰にもわからない。


 俺の家には今、重傷の天童の他に一匹の猫がいる。猫とは名ばかりの、俺や天使すらも簡単にボコボコにしてしまうような、凶暴なバケモノだ。


 そいつがいる限り、天童の安全が保障されることは絶対にない。


 「即決で私に付いてきてたけど、私達が買い物に行ってる間にまた美花が襲われてたら……」


 環はそう言いながら、不安に視線を揺らめかせた。


 その心配はもっともだと思う。なにせ俺だって天童が無事でいるなんて思っちゃいないからな。


 「まぁまず間違いなく殺されているだろうな。俺が残っていようがいまいが関係なく」

 「えぇ……」


 どの道あのバケモノに襲われた時点で天童の死は確定しているのだ。無力な俺が残ったところで、結果として死体が一つ分増えるだけのこと。大した違いはない。


 ゆえに、環の心配はある意味において無駄だと言える。天童を助けられるすべなど、初めからありはしないのだ。


 「帰って天童の死体を発見したら、俺達で丁重ていちょうとむらってやろうぜ。庭にでも埋めときゃ、勝手に天界に帰ってくれるだろ」

 「いや、清々しい表情で何言ってんのよアンタは……」


 俺の発言に、環はゴリゴリにドン引きしていた。


 ゴミを見るかのような冷たい眼差しを向けて、心底呆れ果てたような重い溜息を吐く。


 しかし、流石に冗談だと分かっているのか、いつものように怒って本気で殴り掛かってくることはなかった。


 せいぜいが悩まし気に自分の頭を抱えるばかりで、鋭い殺気すら飛んでこない。


 暴力を振るってこない環なんて可愛いものである。


 「それに、さり気なく私に死体遺棄の手伝いをさせようとしないでよね……。仮に美花が死んでたとしても、私がいつものようになんとかするから、アンタは事が済むまで黙って私の盾になってなさい」

 「えぇ……」


 かと思いきや、突然の盾使命に、今度は俺がドン引きする番だった。


 いくら頑丈な体が取り柄とは言え、人知を超えたバケモノを相手にするのは流石に無理がある。


 例えるなら旧ザ〇に乗ってガ〇ダムに一騎打ちを挑むようなもの。「天界の猫はバケモノかよ」とかなんとか言う暇なく、一瞬で沈められて終わりだぞ。


 恐ろしいことに、だんだんと家が処刑場に見えてきた。


 安心して帰れる場所がない。こんなに悲しいことはない。


 しかし、そんなことを考えていても歩けば家に辿り着くものだ。例えどんな危険が待ち受けていようとも、俺には他に行く場所がないのだから仕方がない。


 重い買い物袋を両手に持って、玄関の扉の前に立つ。両手が完全に塞がっているため、扉を開けるのは環にお願いした。


 「環、頼む」

 「うん」


 そう二つ返事で了承して、環がドアノブに手を伸ばす。


 それを後ろで眺めていると、


 

 「アオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!」


 

 「──っ!?」


 不意に、町全体に響き渡るかのような遠吠とおぼえが、どこからともなく聞こえてきた。


 「びっくりしたぁ……なんだよ今の?」


 驚き遠吠えのした方へと振り向いてみると、恐れおののくようにして犬猫がギャアギャアと騒ぎ出し、大量のカラスが茜色の空を黒く染めている。


 驚いたのは環も例外ではないらしく、俺と同じ方角を見つめて固まっていた。


 長くこの町に住んでいるが、こんな経験は初めてだ。まさか近くに狼がいるわけでもあるまいし、こんな全身を震わすような遠吠えなんて、生まれてこのかた聞いたこともない。


 「……ねぇ上月、まさか今のって」


 何か嫌なものを感じとったのか、環が少し動揺した眼差しを俺に向けてきた。


 その視線に、俺は頷きをもって返す。


 「家に荷物を置いたら、ちょっと町の様子を見てくる。お前は家で天童に飯でも食わせてやって──」

 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! アンタ一人で行かせるわけ──」


 と、環が最後まで言い切る前に、


 「にゃー!!」


 パリーン!! と、リビングのガラス戸を貫通して、中からシロが飛び出してきた。


 「…………」

 「…………」


 突然の出来事に俺と環が何を話していたのかも忘れて呆然としていると、続けて頭に包帯を巻いたままの天童がシロを追いかけるようにして同じ場所から姿を現わす。


 次の瞬間、パリーン!!! と、ガラス戸が粉々に砕け散った。


 「うっわ……」

 「……………」


 ドン引きしながら声を漏らす環の隣で、天使に破壊されていく自分の家をジッと見つめる俺。何が起きているのか一瞬理解できなくて、言葉が何も出てこなかった。


 「ま、待ってくださいえr──っ!? シ、シロ!」


 すると、シロを追いかけようとしていた天童が急に動きを止めて、驚愕の表情を浮かべながら俺達の方を向く。 


 「お、おかえりなさい優さん! と、環先輩……。帰ってたんですね!?」


 なぜかシロが逃げ出したことよりも俺達がいることに驚いて、天童は誤魔化すように声を張り上げた。


 明らかに不自然な反応だ。しかしそれも一瞬のことで、


 「す、すみません! 出来るだけ早く戻るので、お留守番をお願いします!」


 天童はすぐさまに空を飛んでいくシロに視線を戻し、自身の背中からも小さな翼を出して空を飛んで追いかけていった。


 「……ゖんな」

 「……え?」


 次第に状況を脳が正しく理解し、体が震える。


 「……っけんな!」

 「……上月?」


 怒りが、腹の底から込み上げてきて止まらない。


 煮えたぎるマグマを全身に感じて……そして、


 「ふっっざっけんな!!」

 「──!?」


 天童が降臨してからずっと溜まりに溜まり続けてきたフラストレーションが今、爆発した。


 「いい加減にしろよテメェら! どんだけ俺ん家の家計を苦しめたら気が済むんだよ、あぁん!? 普通にガラス戸スライドさせて出ろやボケ!! もう貯金残ってねーんだぞ!!! 明日から雑草確定なんだぞ!!!!」

 「お、落ち着いて上月! 雑草確定って何の話!?」

 「ぶっ殺す!!!」


 俺が何を言ってるのかもわからずに、近くで激しく動揺する様子を見せる環。


 そんな環を完全に放置して、俺はただひたすらに殺意を込めて叫び続けた。


 近所迷惑だろうが何だろうが関係ない。


 絶対に力で勝てない相手だということすらも頭から消え去って、気づけば俺は本能のおもむくまま、奴らをぶん殴ろうと走り出していた。


 「ちょ、ちょっと待ってよ上月、置いてかないで!? この状況で私にどうしろって言うの!?」


 後ろから環が何かを叫んでいるが、それはどうでもいいので全部無視してやった。

 

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