拙者の特技は土下座でござる
午後の授業も終わり、放課後になった。
進学して早々にクラスでの居場所を失ってしまった俺は、SHRが終わるなりすぐ、そそくさと逃げるようにして教室を出る。
その足取りは早い。
普段ならダラダラとのんびりと歩いて帰る俺だが、先に廊下を歩く担任教師をも追い越して、競歩選手顔負けのスピードでただ黙々と廊下を突き進んでいった。
階段を降り、昇降口へと差し掛かかる。
あとは靴を履き替えて帰るのみとなったところで、
「──待って、上月君!」
俺を呼び止める者が現れた。
振り向くと、激しく息を乱しながら俺をジッと見つめてくる、学校指定のジャージを羽織った女の子が立っている。
「──!?」
俺はその女の子を見て絶句した。
他でもない。俺がゲロをかけてしまった人物、熊谷深月その人だったからだ。
「ま、待って……!」
息も絶え絶えに、再び俺を呼び止めようとする熊谷。
俺達以外誰もいない静寂な空間に、熊谷の少し乱れた息遣いだけが響き渡る。
「はぁ、はぁ」
「…………」
なぜだろうか、顔が上気しているせいもあってか、その様子が妙に艶めかしく視界に映る。ゲロを掛けられたにも関わらず、女の子の良い匂いが漂ってきて不思議と頭がくらくらしてきた。
熊谷ほどのリア充にもなると、オスの本能を刺激させるような高い香水でも使っているのだろうか。
まぁなんにせよ、熊谷が俺を追いかけてきた理由なんて決まり切っているので、
「ちょっ!?」
俺は何も聞こえなかったフリをして、再び前を向いて歩きだした。
卑怯者だろうが何だろうが、逃げたい気持ちは抑えきれないので仕方がない。ていうか、ゲロをぶちまけた相手に向かってどんな顔をすればいいの?
「待ってって、言ってんじゃん!」
しかし、すぐさま熊谷に追いつかれ、後ろから肩を掴まれてしまう。
なんだか最近はこんな風に誰かに肩を掴まれてばかりだ。逃げようとしても逃げられない。みんな俺を捕まえるの上手すぎません?
とかなんとか、そんなことを考えていると、
「うおっ!?」
肩を掴まれたままぐるん! と、熊谷に力ずくで体を反転させられた。
思ったよりも強い力に驚愕する。熊谷は華奢な体に見えて、意外と筋力があるようだ。人は見かけによらないものだと、改めて思い知らされる。
環然り、円香さん然り、どうして俺の周りにいる女の子はこんなにも力持ちな奴が多いのだろうか。本当に不思議で仕方がない。
そんな中でも天童は別格である。力加減を間違えられただけで軽く死ねるレベルだから超危険。これだから、女の子って奴は油断が出来ない。
「なんで無視すんの!?」
無理矢理に振り向かされたことによって、熊谷の真っ直ぐな視線が俺に向けられる。
ゲロをぶちまけてしまった相手にどんな顔を向けていいのか分からない俺は、当然のようにテンパった。
「な、ななななななな、なんでござるか熊谷殿!?」
「へ?」
「拙者に何か御用でござるか!?」
「え、えーと……」
まさか俺がここまでテンパるとは思っていなかったのか、熊谷はポカンと口を開けたまま固まってしまった。
戸惑うような表情を浮かべながら、いつまでも二の句を告げないでいる。
再び訪れた、しばしの沈黙。
そんな沈黙をぶち壊すようにして、俺は口を開いた。
「あー、分かったでござる! 土下座でござるね! 熊谷殿は、拙者に土下座を強要してるでござるね!」
「は!?」
「ならば見せてしんぜよう熊谷殿! とくとご覧あれ! 拙者の華麗なる土下座を!」
それは、淀みのない美しい動きだった。
熊谷から適切な距離を確保し、膝を折って四つん這いの体勢になる。頭を床に叩きつけて、俺は日本人の誇る最大限の誠意の証を見事な形で完成させた。
「────」
俺の完成度の高い土下座を見て、熊谷は言葉を失っていた。
この体勢からでは熊谷が今どんな表情を浮かべているかは分からないが、叱責の言葉が飛んでこないということは、俺の土下座にすっかり見とれてしまっているいい証拠だ。
完璧だ。完璧過ぎる。
土下座という行為はこれまで環相手に何度もしてきた行為なので、他の何よりも体に染みついている。俺の数少ない得意技の一つである。
あの殺人鬼である環をもすら何度も黙らせてきた俺の土下座だ。これならば、熊谷も大いに満足してくれるに違いない。
「わー待って待って! 違う! 違うから! 別に土下座して欲しくて呼び止めた訳じゃないから!」
と、思っていたのだが……俺の考えとは裏腹に、熊谷は俺の誠意の込められた土下座を慌ててやめさせようとした。
「お願いだから顔を上げて!」
「え?」
半ば絶叫じみた声が昇降口に響き渡る。
はて? 土下座でないというのなら、なぜ熊谷は俺を追いかけてきたのだろうか。
絶対に俺の土下座が目的だろうと確信していたからこそ、途端に意味が分からなくなってしまったぞ。
「土下座でないのなら、拙者に何のようでござるか熊谷殿?」
顔を上げて、熊谷に問い掛ける。
「一応言っておくが拙者、今は手持ちが少ない故、汚してしまった制服の弁償代ならもう少し待ってほしいでござる」
悲しいことに、俺の財布の中には今、三百円ほどしか入っていない。
俺の胃酸で色落ちしてしまった制服の弁償をしろと言われても、すぐに支払うのは不可能だ。そういうお願いをするのなら、せめてATМに寄ってからにしてほしい。
「いや、制服のことで呼び止めた訳でもないから……えーと、とりあえずその侍口調やめてもらっていいかな? マジでウザ……こほん。キャラが違い過ぎてキモ……変だから、今まで通りの上月君に戻ってくれると嬉しいな」
熊谷はそう言って、ニコリと微笑んだ。
微笑んでくれてはいるが……いい加減我慢の限界が訪れたのか、本音を隠しきれていない。俺のことをウザくてキモイ奴だと思っていることがよーく分かる発言であった。
……とはいえ、まぁ実際に酷いことをしてしまったことは事実なんだし、気持ち悪がられること自体は全然構わないんだけどね。多少の虐めも、甘んじて受け入れてやることにしようとは思っている。
俺がそんな覚悟を決めていると、
「私が君を呼び止めたのはね、これ」
突然、熊谷は懐からスマホを取り出した。
どうしてこの状況でスマホを取り出したのか分からない俺は、コテンと首を傾げる。
いったいこのスマホで何をするつもりなのだろうか。
「今から俺の恥ずかしい写真でも撮って、ネットにバラまくつもりですか?」
「違うから。ていうか、まず最初にその考えが浮かんでくるってどうなの?」
真っ先に思い浮かんだことを言ったら普通に熊谷にドン引きされてしまった。
いや、『どうなの?』と言われましても……これが俺が今まで受けてきた、世間一般的な対応のされ方なのですが……。
数々の虐めを受けてきた俺には、それ以外のことなんて思いつきもしない。
思いつかない程、俺の人生は過酷だったのだ。そんじょそこらの非リア充と一緒にされては困る。
「そうじゃなくて、上月君と連絡先を交換したいなって思って」
「俺と……連絡先の交換?」
まさかの答えが返ってきて、思わず聞き返してしまった。
クラスの人気者が俺の連絡先を知りたがる? 天変地異の前触れだろうか?
「そっ。クラスで上月君とだけまだ交換してないからね」
「──!?」
その話が本当なら、熊谷は俺に土下座させるためでも虐めるためでもなく、連絡先を交換するためだけにわざわざ走ってまで追いかけてきてくれたということだ。
驚いた。本当に驚いた。
まさかゲロをぶちまけてしまった相手に連絡先を聞かれるなんて、夢にも思っていなかった。
熊谷はなんて天使みたいな女の子なのだろうか。天使過ぎて、もしかしたら俺は未だ保健室のベッドで眠っているんじゃないだろうかと疑ってしまう。
とりあえず、頬を強めに抓ってみた。
痛い。良かった……どうやらこれは現実で間違いないらしい。
「拙者の連絡先を知りたがる人物、お巡りさんだけかと思っていたでござるよ」
「その喋り方やめてって言ったよね?」
「あっ、はい」
天使に怒られたので、侍口調をやめる。
俺は熊谷の指示に従い、懐から自分のスマホを取り出した。
そして、それをカーリングのようにして、熊谷の足元へとスライドさせる。
「わぁ!?」
俺の行動が予想外だったのか、熊谷は慌てて飛びのき、ひらひらと揺れる自分のスカートを押さえつけた。
「ちょ、ちょっと!? いきなり何撮ろうとしてんのよこの変態!!」
次の瞬間、顔を真っ赤にした熊谷から容赦のない罵倒を浴びせられる。
どうやら熊谷は、俺がスカートの中をスマホで撮影しようとしたのではないかと早とちりしてしまったらしい。
「では、どうぞ」
「は?」
もちろん俺はそんな変態ではないので、熊谷からの罵倒を華麗にスルーして、手の平を上に向け先を促した。
「…………」
「…………」
「…………。いや、何が?」
俺が何を促しているのか本当に意味がわからないのか、熊谷はまたもやポカンと口を開けて固まってしまった。
この反応……。まさか、熊谷は本当に俺と連絡先を交換したかっただけの目的で追いかけてきたとでもいうのか?
「連絡先の交換というのは名ばかりで……熊谷は俺のスマホを奪い取って、高笑いしながらバキボキに踏み潰すのが目的だったのでは……?」
「バカなの!?」
思っていたことを俺が口にすると、熊谷はさっきとはまた別の理由で顔を真っ赤に染めた。
「しないよ! する訳ないじゃん! マジで上月君、私のことなんだと思ってるの!?」
思ったよりもキレられたので、俺は若干たじろぎながら、熊谷の問い掛けに素直な気持ちで答える。
「え、えーと……天使みたいに性格の良い、超絶可愛い美人さん? だと思ってます」
「絶対嘘じゃん! だって目が死んでるもん! 疑問形だもん! 超絶可愛い美人だと思ってるような目ぇしてないもん!」
素直な気持ちで答えたのだが、俺の目が死に過ぎているせいか、熊谷はまったく信じてくれない。
慌てて弁解を試みる。
「いやいやいや、噓じゃない嘘じゃない。上月君こんなことで嘘吐かない。超絶可愛い美人を前にして目が死ぬのは、そういう奇病があるからでありまして」
「それこそ絶対に嘘じゃん! 聞いたことないよそんな意味のわかんない病気!」
「いや……まぁ確かに、眼科の先生も何だコレって驚いてましたけど」
「ふざけんな! 眼科じゃなくて精神科に行けよ! ──ハッ!?」
と、そこまで怒鳴り散らしたところで、熊谷はハッとなって口を噤んだ。
気づけば、周りには沢山の人だかりが出来ている。どうやら今のやりとりを聞きつけて、ぞろぞろと野次馬がこの場に集まってきてしまったらしい。
「も、もう!」
流石にキレ散らかしているところなんて誰にも見せたくないのか、熊谷は無理矢理に笑顔の仮面を張り付け、俺に微笑みを向けた。
ぷるぷると、怒りで体が震えている。クラスの人気者ってのも大変ですね……。
熊谷は必死に怒りを抑えながら、自分の足元に落ちている俺のスマホを拾い上げた。それから自分のスマホと照らし合わせて、高速でフリック入力していく。
流石は今を生きる女子高生といったところか、入力作業はあっという間に終わった。
ヒョイと無造作に投げられ、俺のスマホが手元に返ってくる。
「私の連絡先入れといたから、これで用はおしまい! じゃあまたね、上月君!」
それだけを言い残して、熊谷は駆け足で走り去っていってしまった。
熊谷がいなくなったことで興味を失ったのか、集まっていた野次馬達も方々に散っていく。
「またね……か」
またね、ということは、また明日も話しかけてくるつもりなのだろうか。
「俺のこと嫌いになったのなら、無理に関わろうとしなきゃいいのに……」
リア充の考えなんて、俺にはまったくわからない。
どうして嫌いになった奴に対しても積極的に関わろうとしてくるのか、不思議で不思議でたまらない。
たぶん、一生分かり合える日なんて来ないのだと思う。
そんなことを思っていると、ピコン! と、手元のスマホに通知が来た。
「ん?」
見ると、それは先程連絡先を交換した熊谷によって、俺がクラスのグループラインへと招待されている旨を伝える通知だった。
「…………アホか」
考えるまでもない。
俺は即座にスマホを操作し、クラスのグループラインへの招待は、秒で拒否させてもらった。




