毎日がバッドモーニング
「…………さん……優……ん……起きてください優さん!」
「う、うーん……」
怒涛の一日を終えた次の日の朝、少女の声と、ゆさゆさと揺さぶられるような感覚で俺は目を覚ました。
眠気眼を擦りながら瞼を開けると、
「おはようございます優さん、朝ですよ! 今日も一日頑張りましょう!」
ガッツポーズをしながら微笑む天童の姿が視界に入ってくる。
「…………」
「ちょっと!?」
その表情が非常に不愉快だったので、俺はそっと目を閉じ再び夢の世界へと落ちることにした。コイツの笑顔を見ているくらいなら、少しでも眠って体を休めていた方が遙かに有益である。
「朝だって、言ってるじゃないですか!」
「いでぇ!?」
次の瞬間、天童の宝具ボイスとともに、バチン! と、弾けるような音が部屋に響いた。
まるで金属バットで殴られた時と同じような衝撃を受け、堪らず目が覚める。ジンジンと熱を帯びた痛みが頬に広がっていき、口内を血の味で満たしていった。超いてぇ……。
慈しむよう頬を撫でながら目を開くと、今度はプンプンと怒った様子の天童の顔が視界に入ってくる。
「まったく、なに二度寝しようとしてるんですか。私がこうして起こしにきてあげているのですから、しゃきっと目を覚ましてくださいよ。ほら、しゃきっと!」
いや、目を覚ますどころか普通に永眠しかけたんですけど……。
今のビンタは本当に俺を起こしに来てくれたのか疑問に思うような一撃だった。その証拠に、今も脳がぐわんぐわんと揺れている。
天童はもっと自分がゴリラ並みの力を持っているということを自覚するべきだろう。頑丈な俺が相手じゃなきゃ死んでたぞ、間違いなく。
「ねぇ……もしかしてコレ、毎朝続くの?」
何だか先程から既視感が凄くて、俺はおそるおそる天童に訊ねてみた。
天童は胸を張ってそれに答える。
「当然です! 優さんを起こすのは私の役目ですから!」
「…………」
何が当然なのかまったくわからないが、どうやら目覚まし時計さんの仕事はこのアホによって奪われてしまったらしい。
可哀想な目覚まし時計さん……。今はどこも就職難で、新しい仕事を見つけるのも大変だろうに……。
俺は体をもぞもぞとよじらせながら、天童に唯一の仕事を奪われてしまった役立たずの目覚まし時計さんに目を向けた。
三時五十分。
「……あ?」
三時五十分。我が目を疑い、何度確認してみても三時五十分だった。俺が起きようと目覚ましをセットしていた時間よりも三時間ほど早い。早朝どころか、まだ草木も眠る深夜な時間帯である。
「……寝る」
なので俺は再び体をよじらせ、布団の中へと頭を潜り込ませた。
まったく、こんな時間に起こすだなんて非常識にも程がある。ただでさえ連日寝不足なのだから、せめてあともう少しくらいは寝かせてくれてもいいだろうに。
俺が今度こそ深い眠りに落ちようとしていると、
「させません!」
「ちょっ──」
またしても、天童にそれを妨害された。
突然に布団を引っぺがされ、早朝の冷たい空気が容赦なく俺の体を冷やしてくる。せめてもの救いは、昨日と違って部屋に暴風が吹き荒れていないことくらいだろうか。
「寒い……返して……」
俺は寒さに身を縮こまらせながら、天童の持つ布団を取り戻さんと手を伸ばした。
ベシッ! とはたき落とされる。
ゴキッ! と手首が可動域を超えて折れ曲がった。超いてぇ……(二回目)。
必然的に、目から涙が溢れだす。
「なんだよもぉ……まだ朝の四時前じゃねぇかよぉ……」
天童に情けない姿を見せているという自覚はあるが、こればかりは勝手に溢れてくるものなのでどうしようもない。寝不足と疲れのせいで、今は精神を正常に保つことができない状態だ。
「なんでこんな早くに起きなくちゃいけないんだよぉ? 頼むからもっと寝かせてくれよぉ……。あと五時間でいいからさぁ」
「いや五時間って、二度寝どころかゴリゴリに学校に遅刻しちゃうじゃないですか……。ダメですよ優さん、早く起きてください!」
「うぅ……」
あまりにも……あまりにも無慈悲に天童は俺の願いを突っぱねた。
それどころか布団を遠くへと放り投げて、昨日と同じように俺を起こすためコネコネぺったんと体を揺すってくる。胸の中心から、猛烈な吐き気が襲ってきた。
いや、だから俺はパン生地じゃねーっつーの! コネコネはともかく、ぺったんは絶対にいらないだろ!
「やめろ!」
俺はガバッとはね起き、頻りに体を揺すってくる天童に強く抵抗した。
天童は上体を起こした俺を見てようやく起きてくれたと判断したのか、ほっとした表情で胸を撫でおろした。いや、ほっとすんなし。
「ていうか、なんでそんな元気なんだよお前? お前だって昨日の夜、遅くまで起きてたよな?」
手間暇をかけてビーフシチューが完成したのがほんの三時間前のことだ。それから食べ終えるまで俺と一緒に起きていたのだから、睡眠時間なんて俺とほとんど変わらないはずである。むしろ片づけをしていた分、俺よりも長く起きていたのではなかろうか。
「ふっ」
天童はそんな俺をあざ笑うかのようにして得意げな顔して笑った。ムカつく笑顔だ。殴りたくなってくる。
「お忘れですか優さん、私は天使なんですよ? 一日や二日くらい眠らなくたってへっちゃらなんです!」
「…………」
便利ですね、天使の体。羨ましいったりゃありゃしない。
しかし、残念ながら人間の体はそう頑丈に出来ちゃいないのである。普通の人間はまともな睡眠が取れないだけで簡単に体調を崩してしまう、脆弱な生き物なのだ。
後学のためにも天童は一度ラノベ作家や漫画家のツイートを見てみると良い。あいつらみんな夜遅くまで仕事して体壊してるからな。
俺は嫌がらせの意味も込めて、先程の天童の口調もマネて苦言を呈した。
「お忘れですか天童さん、俺は人間なんですよ? 一日でも眠らなかったら、普通に睡眠不足で体を壊しちゃうんです」
「というわけで優さん、さっそくこれに着替えてください」
「聞けや」
どうやら天使の体ってやつは本当に便利なものらしい。自分にとって都合の悪い話は全て自動的に聞こえなくなってくれるようだ。ストレスフリー間違いなしじゃん。
「……で、なにこれ?」
反発すればするだけ時間と体力の無駄なので、仕方なく俺は天童のペースに合わせることにした。
差し出されているのはジャージだった。
「ジャージです」
「いや、それは見たら分かるんだけど……」
どストレートな返答に戸惑う。
俺が聞きたいのは『これが何なのか』ではなく、『何のためにこれに着替えなくちゃいけないのか』ということだ。これがジャージであることくらいは流石に分かるぞ。
天童はジト目を向ける俺に応えるよう、今度はトングとゴミ袋を取り出してきた。
「天使になるためにはより多くの善行ポイントが必要です。優さんにはこれから町内の清掃活動に従事してもらい、ポイント稼ぎをしていただきます」
「えぇ……」
思わず嫌がる声が出てきてしまう。
要するに、これに着替えて町内のゴミ拾いをしてこいとのことらしい。はぁ、めんどくせ。
ちなみに善行ポイントとは、その字面の通り、善い行いをしたものに与えられるポイントのことである。
俺も詳しくは知らないが、なんでもこの世にいる全ての人間にはこのポイントが与えられるようになっていて、このポイントの数値次第で死後の行き先が変わってくるらしい。
特に膨大なポイントを獲得した人間には死後、天使になる資格が与えられるとかなんとか。
そういえば、そういう理由で俺も子供の頃はよく母さんに慈善活動を強要されてたっけ。
昔を思い出す。懐かしき、母さんと一緒に暮らしていた思い出の日々。
……思い出しただけで辛くなってきた。
「おやすみ」
なので、地獄のような過去を思い出して酷く憂鬱になってしまった俺は、天童から差し出されたジャージを受け取るだけ受け取って、それを掛け布団の代わりとして使用させていただくことにした。
辛いことを思い出してしまった時なんかは、こんな風に沢山眠って忘れてしまうのが一番である。
「いや、何さらっと寝ようとしてるんですか! ダメですよ優さん起きてください!」
すかさず天童が俺の眠りを妨げようと手を出してくる。
しかし、流石にジャージが破けては困るのか昨日のように力任せには引っ張ってこない。逆に俺はジャージが破けても全然かまわないので、全力で抵抗させてもらった。
「絵里先生からの命令なんです! お願いですから抵抗しないでください! ──このっ、いい加減にしろ!」
段々と天童の口調も荒々しいものとなる。
「ここで頑張らないでいつ頑張るんですか! ただでさえ優さんには善行ポイントが足りていないんです! 今のうちに少しでも稼いでおかないと、後になってから大変なことになってしまうんですからね! このままじゃ優さん、天使になるどころか地獄いきですよ!」
「…………」
天童が何を言ってこようとも、俺はただひたすらに無言を貫いた。
何一つとして心に響いてこない。そもそもの話、俺は一度だって天使になりたいだなんて思ったこともないのだ。
俺は誰にも迷惑をかけず、このまま一人で生きて一人で死ぬつもりなのである。地獄に落ちようが別に構わない。
「……わかりました、そこまで抵抗するのなら仕方ありません」
やがて、天童のジャージを引っ張る力が消えた。
確認するよう薄く目を開けてみると、頑なに起きようとしない俺に嫌気がさしたのか、やれやれと言った感じで天童は肩を竦めていた。
これは、諦めてくれたということなのだろうか?
「私も強行手段を取らせていただきます」
「は?」
いや、違った。天童は全然諦めちゃいなかった。
「──ひっ」
思わず悲鳴が上がる。天童はゴキゴキと指の骨を鳴らし、冷たい眼差しで俺を見据えていた。こんなにも恐怖心を抱いたのは、果たしていつぶりだろうか?
背筋に冷たい汗が流れる。迷いなんて一切ない、どんな非道をも行ってみせる拷問官のような目を向けられ、俺の心臓は今にも弾けそうにな程に鼓動を強めた。
思い出すのはわがままを言って慈善活動を拒否した時の母さんの顔だ。あの時の母さんも、確かこんな表情をしていたっけ……。
そして、そんな表情を見たあとはいつだって俺は死ぬ寸前までボコボコにされていた。心の奥底に封印されていた恐ろしくも忌まわしい記憶が、今甦る。
ダメだ、殺される!
慌てて逃げるよう後退すると、その動きを制するように天童が俺の服を掴んできた。
「ちょっ──」
次の瞬間、ビリィ! と、俺の着ていた服が強引に引き裂かれた。
天童の前に、俺の裸体が晒される。俺は人生で初めて山賊にグヘへされそうになるの村娘の気持ちを知った。なるほど、確かにこれは悲鳴を上げずにはいられないな。
俺の服はいともたやすく天童に引き裂かれ、あろうことか下の方にも手が伸びてきた。
「や、やめろって!」
俺が必死に抵抗を試みるも、
「ぐあぁぁ!?」
バキ!ボキ! と、抵抗する俺の腕が次々と破壊されていく。
絶えず悲鳴を上げる俺に、天童は申し訳なさそうな顔して口を開いた。
「すみません優さん、これも絵里先生の指示ですので我慢してください。大丈夫ですよ、優さんの裸体は天界で散々見てきたので今更発情したりなんかしませんから。あぁ、あまり抵抗しないで。私も辛いんです」
そう言いながらも小枝を折るように俺の骨をバキボキと折り続ける天童さん。言ってることとやってることが全然違う。
母さんに育てられている時から感じていたことだが、果たして天使という奴はみんなこのような拷問まがいのことをしてくる奴ばかりなのだろうか? 鬼畜以外の何ものでもないだろ。
「それじゃあお着替えしましょうか、優さん」
「うっ……うぅぅ……」
ニコニコと微笑みながらジャージを着せてくる天童の顔を見て俺は、絶対に何があっても天使にだけは逆らっちゃいけないことを心に深く刻み込んだ。
テンシ、コワイ……。トテモ。