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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第一章  天童美花、降臨
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厄介なお客様 

 思えば、三十分以内に営業ができる状態にまで戻せと環に無理難題を申し付けたのも、始めから俺に片付けの手伝いをさせるのが目的だったのかもしれない。


 「はぁ……どうして俺がこんな目に」


 プライドをかなぐり捨て、環に土下座を敢行かんこうした俺は今、店内の清掃にいそしんでいた。


 本当はこんなムカつく奴の手伝いなんてしたくもないのだが「土下座なんてしなくていいからアンタも片付けるのを手伝って! 早く!」と、半泣きで言われてしまったのだから仕方がない。


 マスターから出された罰は、環と仲直りすることである。


 下手に手伝いをこばんでまた喧嘩をしてしまえば、おそらくは仲直りに失敗したとみなされ、もう一つの罰を強制的に執行されてしまうことだろう。


 これから出される料理が、全て環の作ったものにされてしまう。


 恐ろし過ぎる罰だ。それだけは何としても避けなければいけなかった。


 環の作る料理は殺人的な味をしているうえに、運が悪ければ普通に死ぬ。


 マスターの美味しい料理が食べられないだけならまだしも、そんなことになってしまえば俺の精神が崩壊することは間違いないだろう。


 三ノ輪環という女は、それほどまでに恐ろしい奴なのである。


 「もう……何で落ちないのよコレ!」


 そんな風に俺が戦慄せんりつしながらも壊れた備品を交換していると、少し離れた位置から環の怨嗟えんさの声が聞こえてきた。


 ひょっこりと顔を出して覗いてみると、四つん這いの姿勢になりながらひたすらに床をごしごしとこすっている環の姿が見える。


 苛立たし気な声を控えることもなく、敵意剥き出しの感情を床にぶつけていた。


 どうやら床に付着している血痕が、なかなか落ちてくれないもよう。


 「ホント上月みたいにしつこくてウザい、消えろ!」

 「…………」


 なんか知らんが、怒りをぶつける対象を俺に設定されてしまった。


 そのおかげとでも言うべきか、環の床を拭く手に更なる力が加わる。べっとりとへばりついた血痕はみるみる内に薄くなっていき、跡形もなく消え去った。


 いや、どんだけ俺のこと嫌いなんだよ?


 床が綺麗になっていくのは素晴らしいことではあると思うが、聞いていて気分のいいものではないので出来ればやめてほしいものだ。


 俺は環の前に姿を現した。


 「そもそもの話、出血してる箇所を重点的に狙ったお前が悪いんだろうがよ。ちょっとけなしただけで本気で殴り掛かってきやがって……。もっと自制心を持てないのかお前は?」


 なんて、環に向かってくどくど文句を言ってやる。


 すると環はそこでようやく俺の存在に気づいたのか、こちらに顔を向けて、口を尖らせ睨みつけてきた。


 「だってしょうがないじゃん。アレくらいやんないと、上月にはダメージが入らない訳だし」

 「いや、出血してる時点で確実にダメージは入ってるだろ」


 いったいコイツは俺のことを何だと思っているのだろうか? 


 この世の全ての生物は、出血するほどの怪我を負えばしっかりとダメージが入るように設計されてると思う。現にもの凄く痛かったしな。


 何お前、俺の絶叫聞いてなかったの?


 俺が非難めいた視線を送ると、環は「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 「そうかもしんないけど、上月からしたらあの程度の暴力なんて蚊に刺されたようなもんじゃない。痛がる演技なんかしちゃって、まだまだ全然余裕そうに見えたわよ」

 「…………」


 本当にコイツは俺のことを何だと思っているのだろうか? アレが演技だと? いくら俺でもそこまで我慢強くはないぞ。


 納得がいかず、俺が抗議の声を上げようとしたところで、環は不意に視線を落として聞こえるか聞こえないかくらいの声量でぽしょりと呟いた。


 「……まぁ、後半はマジだったみたいだけど」

 「分かってたんならその時点でやめろよな……。おかげで全力で逃げ回っちゃったじゃん、俺」


 結果として店内はめちゃくちゃになってしまった。


 環が気づいて早めに殴るのをやめてくれていれば、ここまでの被害が出ることはなかっただろうに……。


 当然、マスターの怒りを買うこともなかった。


 例えきっかけが俺の方にあったのだとしても、この惨状を生み出した実行犯はあくまでも環である。


 一番反省しなければいけないのは間違いなくコイツの方であり、俺以上の罰を受けてもらうのは当然のことだ。


 具体的に言えば、今回の件で壊れた備品の代金を、全額負担してもらいたい。


 親からの少ない仕送りでやっている高校生の身としては、被害総額がなんであれ、一円たりとも払いたくないのである。というか、払える自信がまったくありません。


 残りの半月以上を水と野草だけで過ごす生活は、流石に勘弁願いたかった。


 天童程ではないが、俺だって育ち盛りの高校生だ。ちゃんと栄養のあるものを食べたい。


 とはいえ、そんなことを言ってもあえなく却下されてしまうことは目に見えている。


 マスターは優しそうな顔をしていて、その実心に鬼を飼っている人だ。例え今のマスターにどんなお願いをしたとしても、叶わないと考えた方が良いだろう。


 皆もよく覚えておいてほしい。この世に神はいないのである。


 渡る世間は鬼ばかりだ。


 「ふぅ……まぁこんなもんかしらね」


 そんなこんなで軽く絶望しながらも、俺と環はなんとか時間内に営業ができるまでの状態に戻すことができた。


 まだ若干の汚れは残っているものの、あくまでもマスターの指示は『最低限』営業を再開できる状態にしておけというもの。


 とりあえず目をらさないと気づかないくらいに綺麗にしたのだから、これくらいでまぁ十分だろう。


 というか、タイムリミット的にもここら辺が限界だ。


 マスターが指示した時間は三十分。すでに二十九分が経過していて、残り時間は僅かもない。


 「上月、そろそろ営業を再開させるから、表のプレート裏返しておいて」

 「はいよ」


 環に適当な返事をしつつ、扉へと向かう。


 やらなければいけない使命を果たし、緊張感の抜けたテンションで俺が外に出ようとしたところで、


 「ようやく見つけましたよ優さん! やっぱりここにいたんですね!」


 バァン! と、勢いよく喫茶店RINGの扉が開け放たれた。


 「うぉっ!? ビックリしたぁ!」


 まったく警戒していなかったタイミングでの出来事だったため、もの凄く情けない声が出てしまった。

 

 大声を出して現れたのは言うまでもなく、ちんちくりんな金髪少女、天童美花である。


 どうやら入学式を終えたその足でこの店に来たらしく、格好は今朝見た制服姿のままだ。おまけで胸の辺りに桜のコサージュを付けている。


 ピッカピカの一年生。きっとランドセルを背負って例のCMに出演しても、違和感はまったく仕事をしてくれないことだろう。


 「なんでお前がここにいるんだよ……。てゆーか、勝手に入ってくんな」


 しかし、準備中と書かれたプレートを無視して入ってくるのは天使としていささかどうかと思う。普通に迷惑行為だとは考えないのだろうか?


 って、一番の問題はそこじゃないな。


 「どうやって俺の居場所を突きとめた?」


 俺がここにいることなんて、天童は知らなかったはずだ。


 大都会程ではないにしても、それなりに広い町で、放課後を迎えてすぐ、それもノーヒントで俺の居場所を導き出すのは流石に無理があるように思う。


 それこそ名探偵やら警察犬くらいにしか出来ない芸当だろう。となると、必ず何かヒントになるようなものがあったはずだ。


 それは何か?


 ……ダメだ。


 考えても考えても、空腹と怪我のせいで頭が全然働かない。


 思えば昨日からロクに休みも取らずに酷い目に合わされてばかりだったからな、そんな状態でいくら考え事をしても、答えを導き出せるはずもないか。


 「ふっふーん!」


 気づくと、天童は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


 それから自慢するように胸を張り、トントンと自身の頭を軽く小突く。


 「昨日、優さんの頭の傷を治療をするついでに、GPS的な物を埋め込ませてもらったのです。優さんがどこに隠れていようとも、私には全部お見通しなんですよ」

 「ふざけんなっ、何してくれてんだお前!?」


 とんでもないことを聞かされ、俺は反射的に叫び声をあげていた。


 脳が指示を出すのと同時に手を動かし、思考も停止して俺は頭の傷をえぐるようにガリガリときむしる。


 「クッソっ! 痛ぇ!」


 しかし取れる気配が全くない。というか、包帯の上から掻いたところで意味なんてなかった。


 俺は今以上に襲い掛かってくるであろう痛みを覚悟して、乱暴な手つきでそれをほどく。


 ガリガリガリガリガリ!


 「あぁ! 痛ぇ! 痛ぇ!」


 それでも取れそうな気配は全くなく、気が狂いそうな痛みだけが襲い掛かってきた。


 耐えがたい苦痛だった。掻いても掻いても一向に取れる気がしないうえに、ただひたすらに痛みだけが強くなっていく。


 「痛ぇ! チクショウ! どこに埋め込んだんだよクソがっ!」


 そもそもの話、頭のどこに埋め込まれているのかもわからないものを果たして取れるものなのだろうか。せっかく綺麗にした床も、俺が新たに生み出した鮮血で真っ赤に染まっていった。


 心が折れかけて、もういっそのこと病院の先生に摘出手術をしてもらおうかと考えたところで、


 「まぁそれは冗談として……三ノ輪環さん、ですよね?」


 まるで何事もなかったかのように血まみれの俺を放置して、天童は端っこで呆然としている環に挨拶をしていた。


 「いや、冗談かよ!」

 「初めまして。この度、絵里先生に代わり天界より派遣されました、天童美花と申します。以後お見知りおきを」

 「無視してんじゃねぇよ!」


 俺のツッコミは当然のようにスルーされて、天童の意識はもう完全に環だけに向けられていた。


 もはや俺のことなんて、道端の石ころも同然の扱い。


 「え、えーと……三ノ輪環です。……こちらこそ、よろしくお願いします?」


 よく分からない奴の登場で若干の戸惑いを見せながらも、環は礼にのっとり、天童に会釈を返した。


 その様子を見て、一抹の不安がよぎる。俺は環に一言注意してやることに決めた。


 「……おい環」

 「何よ?」


 そっと耳打ちをするため、環との距離を詰める。俺が近づくと同時に、環は俺から距離を取った。いや、警戒する相手が違うから。


 完全に近寄んなオーラを出されてはいるが、事態は急を要するので今は気にしないことにする。もう一歩分だけ環との距離を詰めた。


 「間違っても天童に心を許すんじゃねーぞ。ソイツ、お前と同じくらい頭のおかしいヤバい奴だから。常識なんて何も知らないサイコパスだから。刑務所から出てきたばかりの殺人鬼と思って接した方がいい──ぐふっ!」


 鳩尾みぞおちに強烈な肘鉄をお見舞いされ、俺は膝から崩れ落ちた。会心の一撃に呼吸が出来なくなる。


 「な、なにしやがる……」


 産まれたての小鹿のようにプルプル震えながら見上げると、環は軽蔑の眼差しで俺を見下していた。


 「教えてくれてありがとう。要するに、上月よりは常識があるということね。アンタのおかげで何だか急にこの子に安心感が湧いてきたわ」


 そして、優しく微笑みながら俺の目の前で天童と握手を交わす。


 「よろしくね、天童さん。あんなバカの言うことなんて聞いちゃダメよ。耳がけがれるから」

 「ご心配ありがとうございます、環さん。ですが大丈夫ですよ。優さんと一緒に暮らすにあたって、彼の性格の悪さは絵里先生からしっかりと聞いていますから」

 「はぁ? なんだよそれ?」


 コイツはいったい母さんからどんな話を聞かされたのだろうか。


 性格の悪さで言えば、絶対にお前らクソ天使達の方が上だろうに。


 「えっ、一緒に暮らしてるの?」


 環は環で、別のところに食いついていた。どうやら俺と天童が一緒に暮らしていることに酷く驚いているもよう。


 「はい。優さんのお世話をすることも、私の大事なお仕事となっていますので──きゃっ!?」


 小さな悲鳴が上がったかと思うと、環は天童を守るようにギュッと抱きしめていた。


 それから俺と更に距離を取って、射殺すような鋭い眼差しで睨みつけてくる。


 「このロリコン!」

 「は、はぁっ!!??」


 何を勘違いしたのか、いきなり訳の分からないことを言われてしまった。


 「いや、なんでいきなりそういう話になるんだよ!? 俺がロリコンだと? バカを言うな!」


 果たして、今の話のどこら辺にロリコン要素があったというのだろうか? いい加減なことを言うのはやめてほしい。 


 「お前っ、俺がソイツと暮らすようになった経緯なんて何一つとして知らないだろうが! 知らないくせに、勝手に話を飛躍させておぞましい勘違いんしてんじゃねーよボケ!」

 「そんなの聞かなくても分かるわよこの変態野郎! こんな可愛い女の子と一緒に暮らしておいて、アンタが手を出さないわけないじゃない!」

 「俺にどんな偏見へんけんを抱いてんだお前は!? 誰が手なんか出すか、そんなちんちくりんなクソガキによぉ!」


 俺と環の口喧嘩が白熱する中、唐突に、天童から爆弾が落とされる。


 「でも優さん、昨日私の部屋にノックもせずに勝手に入ってきて、それから着替え中の私の裸をジロジロと観察してたじゃないですか」

 「天童ぉぉぉぉぉ!? 誤解を招くような言い方はやめろぉぉぉぉぉ!!」

 「や、やっぱり!」


 いつの間にか環の俺を見る目が変わっていた。


 変わった、というか悪化していた。


 冗談なんかじゃない、本気で犯罪者を見るような軽蔑の眼差しで俺を睨みつけている。


 わなわなと震える手で、環は懐からスマホを取り出した。


 「は、早く! 早く警察に連絡しなきゃ!」

 「や、やめろふざけんな! そんなバカなことで警察の世話になってたまるか!」

 「いやぁぁ! 来ないでよ変態!」


 環を止めようと慌てて近づくと、次の瞬間、高速で飛来したカップが俺の頭部で粉々に砕け散った。上手いこと傷口に命中したものだから超痛い。


 「こ、この野郎……絶対に一発ぶん殴ってやる!」


 いい加減俺も我慢の限界だった。これだけの仕打ち、耐えられるはずがない。例え相手が女、子供だろうとも、一発本気で殴らなければ気が済まない。


 俺が赤く染まった拳を握りしめ、全力で格上の相手を打倒せんと心に決めた時、



 「何をしてるんだい、二人共?」



 「「─────ッ!?」」


 空気が、一瞬で凍りついた。


 ガクガクと震えながら後ろを振り返ると、どす黒いオーラーを放ちながらニコニコと微笑むマスターが立っている。


 俺は目の前が真っ暗になった。


 「片づけをしてくれってお願いしたはずなのに、どうしてお店の状態を悪化させているのかな?」

 「い、いや違うんです! これを散らかしたのは全部環で、俺は何も──」

 「違うからおじいちゃん信じないで! これはコイツが変態だから仕方なくやったことで──」

 「そういうのいいから──二人共、こっちへ来なさい」

 「「…………はい」」


 慌てて弁解を挟もうとするも、本日二度目ということもあり聞く耳すらもってくれない。


 俺と環は再び、厨房の方へと連行された。


 一人取り残された天童から、声をかけられる。


 「あー、それじゃあ私……待ってる間ここを掃除しておきますね……。……えーと、お二人共……そのー、何と言うか……ごゆっくり?」


 『ごゆっくり』じゃねーよ! ボケ!!  

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